日本安国寺 五葉院記
にほんあんこくじ ごよういんき
宇部市
県
有形文化財
室町時代
「日本安国寺」は長門国守護・厚東武実が1339年(暦応2)に建てた東隆寺(現宇部市)のことである。東隆寺では、住持柏岩可禅の時代に五葉院を建立したが、その後年月を経る中で建物の傷みがひどくなったことから、謙室の代に建物の大修理をし、謙室は再建した五葉院を弟子の仁渓に伝えた。
仁渓は、1539年(天文8)大内義隆の遣明使節に加わり、師匠謙室の功績を後世に伝えようとして「五葉院記」の文と書を僧・黄鳳鳴に頼んだ。本書は仁渓の話をもとに中国の僧が記したものであるが、五葉院再建当時の東隆寺の建物配置や周囲の風景などが記されており、厚東氏文化の面影を伝える貴重な資料である。
日本安国寺は宇部市にある東隆寺のことです。五葉院は東隆寺内に建てられたお堂で、住職謙室の時代に東隆寺内の五葉院が大修理され、謙室は弟子の仁渓に五葉院を任せました。弟子の仁渓は、1539年に中国に渡り、師匠謙室の功績を後世に伝えようとして「五葉院記」の文と書を中国に頼みました。これが「日本安国寺 五葉院記」です。
本書には、五葉院再建当時の東隆寺の建物の配置や周囲の風景などが記されており、厚東氏文化の様子を伝える貴重な資料です。
日本安国寺五葉院記
書跡
昭和44年12月5日(山口県教育委員会告示 第27号)
宇部市厚東区大字棚井647番地
宗教法人 東隆寺
明時代 嘉靖19年(わが国天文9年-1540年)
一幅
黄鳳鳴筆
紙本墨書、掛幅装
縦127cm、横65cm
夫五葉院者、迺日本長州厚東郡鳳凰山安国東隆禅寺高僧之居也、僧名禅恕、別号仁渓、偶備使者之員、入朝我大明一統聖国、寓甫江之嘉賓堂、一日来会予、而言日、宋時有蜀蘭渓祖師大覚禅師、来日本盛法道、自蘭渓伝約翁和尚、約翁伝南嶺和尚、南嶺和尚卜地開山、遂為安国寺、南嶺伝法月山、月山的派柏岩西堂、始構五葉院、自柏岩後、有嗣徒毎歳輪流看院、歴歳悠遠、故梁棟傾斜、垣壁頽堕、渠々偉績将復于隍矣、吾師謙室西堂吁嗟不已、遂重修厥址竭、興土木之功、上酬柏岩法恩、下伝法嗣世守、其功不可忘也、予不敏未能求文以記其功、茲寓文章大邦、敢請縉新紳先生記之、余因与之言曰、上古俗淳民朴、穴居若龍蛇之蟄、埜処若鹿豕之遊、後世聖人憫其土処而病、木処而顛、易之以宮室、上棟下宇、以待風雨、尚易大壮之象也、彼大壮之卦、有安固不遷之義、故宮室之制、聖人尚之、後世安之、凡亭臺廟観寺院庵、名雖不同、同帰乎聖人之善制、而万世無易也、今拠釈氏之著談、謂天之上有堂、地之下有嶽、日月之中有宮囿、星辰之域有里数、反以乾坤之大、照臨之顕、山河之著、将欲掃除泯滅、而洞然不立、斯謂其教也、今謙室西堂重修五葉院、又聞西有一華軒対之、逢春軒左其側、天香閣、玉/img>橋、鳳凰山、鴛鴦池、凝翠、惜陰、落潮灘、降霜嶺、招鶴亭、戯魚臺十境、又森列其中、夫一寺之間、占山水明秀之美、得泉石膏乎盲之趣、雲屏四遶納青護於虚/img>、以太行之盤谷、枕帯清泉、/img>/img>書以適興、以韋瓊之幽居、此名僧卜築之勝地也、然地則勝矣、其視釈氏洞然不立之言、則一院之立已非空矣、况其余乎、鳴呼此非釈氏之徒叛其空虚之教也、物可尽空、而理不容於尽空、故人之制物、亦安於理之自然面已、且人生天地間、食以生之、居以息之、舎一不可以全躯、况仏教雖異端、而著書亦多、営置儲貯、将以遺後世之投簪祝髪者、伝誦已不、借曰、洞全不立、則仏之絵像無所依依帰、置造之書無所蔵貯、雖有奉法為徒者、無所聚居、将何以遺後世伝誦之不已、故謙室西堂之修院、正以伝其教於悠遠、仁渓之求記、正以彰其功於後人、修於前而記於後、則法教愈盛、一燈燃千燈、且慰乎一華開五葉之立意、何悪其有所建修、而叛其洞然不立之教哉
大明一統聖国嘉靖一十九年、歳値困敦、実沈蘭月、四明紫谷外史、黄鳳鳴書
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