南嶺子越住筑前聖福寺諸山疏并江湖疏
なんれいしえつじゅうちくぜんしょうふくじしょさんのしょならびにごうこのしょ
宇部市
国
重要文化財
室町時代
・絹本墨書筑州聖福寺江湖疏 一幅 延文四年の年記がある
東隆寺を開いた南嶺和尚を博多・聖福寺に招くことを依頼した記録である。南嶺和尚は聖福寺の招きを一度は辞退したらしく、重ねて招きたいので幾度も辞退されないようにと述べている。
県指定(書跡)の「南嶺和尚道行碑文」にいう南嶺和尚の博多・聖福寺入寺の史実を裏付ける貴重な資料である。
作者は不明であるが、漢文について相当に学識の深い僧の手になるものと思われる。
・絹本墨書筑州聖福寺江湖疏 一幅
東隆寺を開いた南嶺和尚を博多・聖福寺住持に招請した際の疏(上奏文)である。年月の記入はないが、その内容からして、「絹本墨書 筑州聖福寺 江湖疏」と前後して書かれたものと考えられる。
南北朝時代の1359年8月、東隆寺を開いた南嶺和尚(なんれいおしょう)を博多・聖福寺に招くことを頼んだ記録です。南嶺和尚は聖福寺の招きを一度は断ったらしく、重ねて招きたいので幾度も断らないようにと述べています。
作者は不明ですが、漢文について相当に学識の深い僧の手になるものと思われます。南嶺和尚の直接の資料として重要です。
南嶺子越住筑前聖福寺諸山疏并江湖疏 延文四年八月(絹本)
古文書
平成4年6月22日
宇部市厚東区大字棚井647番地
宗教法人 東隆寺
南北朝時代 延文4年(1359)8月
二幅
・「絹本墨書筑州聖福寺江湖疏 一幅 延文四年の年記がある」
絹本墨書、掛幅装
・「絹本墨書筑州聖福寺江湖疏 一幅」
絹本墨書、掛幅装
・「絹本墨書筑州聖福寺江湖疏 一幅 延文四年の年記がある」
縦42.2cm、横157.5cm(53cm、51.9cm、52cm、三枚横矧)
・「絹本墨書筑州聖福寺江湖疏 一幅」
縦42.5cm 横157.5cm (50.7cm、52.5cm、4.3cm、3枚横矧)
為国開堂、一州合歓云、
右伏以、流通正法、還它作家宗師、挙揚真乗、須是跨竃的子、於一微塵裏、転大法輪、於一切時中発大機用、猛握起本分鉗鎚、快煉四海奇衲、恭惟、新命堂頭南嶺大和尚、呵仏祖不譲臨済老漢、甄別邪正、無愧大覚初翁、眼熟江湖、盟堅約、名溢叢林、鶴衆至望、早踞猊座、高震雷音、上祝一人之遐寿、下塞四衆之虔請、謹疏
延文四年八月 日疏
・「絹本墨書筑州聖福寺江湖疏 一幅」
諸山
承
大都裏天下大元師相公府、剳付鎮西路筑州大宰府、敦請長州安国堂頭和尚南嶺大禅師、住持本路博多縣十刹為頭九州第一山聖福禅寺、為国開堂演法、肆隣峯闔詞勧請云、
右以一仏出世、十方讃揚、所請諸山囲繞須弥、衆流朝宗娑竭、尊特可敬、道徳有隣
恭惟、新命堂頭和尚南嶺大禅師、西来祖師的的単伝、龍峰老人密密付授、拈花堂裏、巻席去歸衆中、得月樓前、払袖独超物外、閲経探三蔵之至蹟、讀書洞百家之淵原、昏衢光明幢、回瀾砥柱石、介堂清世、最尚宗師、公文遠下自長安、法席盛開於聖福、寺乃千光尊者立也、地是都護総管居焉、唐韓要衝津、西南大都会、梵剥相列、閭閻旦千、諸官郊迎、萬衲門候、渇心思服甘露、刮目佇看曇華、鶏三唱関、帆一飼到岸、撃鼓擧松源三轉語、香祝天子萬斯年、為一疏、便来勿三譲幸甚、謹疏
今 月 日
・「絹本墨書筑州聖福寺江湖疏 一幅 延文四年の年記がある」
日本国鎮西筑州安国名山聖福禅寺 江湖恭審
長州安国南嶺和尚、膺大檀那左武衛大将軍/img>選、来董此席
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