石屏子介禅師墨蹟
しっぺいすかいぜんじぼくせき
萩市
県
有形文化財
室町時代
石屏子介(しっぺいすかい又はしっぺいしかい)は、1318年(文保2)に来日した中国・宋の僧で、1342年ころ中国・元に渡り1356年(延文1)に帰国した。彼には大内弘世・義弘らが帰依しており、山口に香積寺を開き、また萩の竜蔵寺を臨済宗に改めて盛んにするなど、大内氏の禅学の基礎を築いて1381年(永徳1)に没した。石屏子介が元から持ち帰った「雪峯東山空和尚外集」(竜蔵寺)は国の重要文化財に指定されている。
本書は彼の没する3年前の筆跡で、枯れた中にも雄大さが感じられる晩年の境地を示している。
石屏子介禅師の木像は山口・洞春寺に所蔵されている。
石屏子介は、1318年(文保2)に来日した中国・宋の僧で、1342年ころ中国・元に渡り1356年(延文1)に帰国しました。石屏子介には大内弘世・義弘らが帰依しました。彼は山口に香積寺を開いたり、萩の竜蔵寺を臨済宗に改めて盛んにするなど、大内氏にかかわる禅宗の学問の基礎をきずき、1381年になくなりました。
この書は、彼のなくなる3年前の筆跡です。
石屏子介禅師墨蹟
書跡
昭和50年3月22日 (山口県教育委員会告示 第1号)
萩市大字椿東293番地
宗教法人 龍蔵寺
南北朝時代 天授4年(1378)
一幅
石屏子介
紙本墨書、掛幅装
縦70.0cm、横53.7cm、総縦155cm、総横56.5cm
三萬猊牀無處容
戊午仲春
石 屏
(白文方印・石屏)(朱文方印・子介)
只个方々一丈中
等閑把定不通風
縦饒摩詰逞神力
三萬猊牀無處容
戊午仲春
石屏子介禅師(仏宗真悟禅師)は文保2年(1318)来朝の宋僧、霊山道隠から法嗣して、興国3年(1342)頃渡元し、15年後の正平11年(1356)に帰国した。
肥後玉名高勢津の大倉山永徳寺、周防山口の香積寺の各開山、長門萩の白牛山竜蔵寺の改宗中興開山等に名を残した。これは、菊池武光、大内弘世・大内義弘などの帰依に負うところである。
また、中巌円月、春屋妙葩、絶海中津なども同社の人であり、五山きっての詩僧でもあった。
石屏子介禅師が元朝から帰朝するさい持ち帰った「雪峯東山空和尚外集(手沢本)」は、昭和49年6月8日重要文化財に指定された(竜蔵寺所蔵)。また、元から帰朝する際、その参学の労をねぎらって楚石梵琦(普照慧弁禅師)が付与した「送別偈」も重要文化財に指定されている(熱海美術館所蔵)。
石屏子介禅師像(木彫)は洞春寺に所蔵されている。
竜蔵寺は萩市中津江にあり、寺伝に天平年間、行基菩薩の開創と伝える。もと三論宗の古刹であったが、応安年中(1368~74)香積寺住山中の石屏禅師がその頽廃を嘆き、寺家を再興して臨済宗に改めた。よって当社もまた、石屏を開山と崇め、その直筆の偈1幅をはじめ多くの寺宝を襲蔵している。
石屏子介禅師関係年表
/和暦/西暦/事項/
/興国3/1342/(石屏渡元)/
/正平8(文和2)/1353/楚石梵琦墨蹟(送別偈)付与石屏蔵主/
/正平11/1356/(石屏帰朝)/
/正平15/1360/石屏禅師、永徳寺開創/
/建徳2(応安4)/1371/〃 香積寺開創(元瑠璃光寺域)/
/応安年間/1371~74/〃 萩竜蔵寺再建/
/天授4(永和4)/1378/石屏子介禅師墨蹟(拈古七絶)/
/弘和元(永徳元)/1381/石屏子介禅師示寂(竜蔵寺位牌)
(表)当山開山石屏勅位仏宗真悟禅師大和尚
(裏)永徳元辛酉天2月10有4日遷化/
/応永18/1411/勅諡号(後小松天皇より下賜)
「勅防州路香積禅寺石屏和尚者(中略)仏宗真悟禅師」
(石屏語録)/
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