鉄印東大寺槌印
てついんとうだいじつちいん
防府市
国
重要文化財
鎌倉時代
鉄製の槌の面に「東大寺」の三字をきざみ、これに長さ27㎝の木の柄をつける。鉄印の寸法は、たて5.5㎝、よこ3.4㎝、高さ8.2㎝である。
1186年(文治2)東大寺が再建されることになり、周防国がそのための材料を送り出す国に定められ、俊乗房重源がその責任者に任命された。材木は佐波川の上流で伐り出され、検査した後、極印を押して奈良へと送り出された。「鉄印東大寺槌印」はこの時使用されたもので、検査の役人を勤めた家に家宝として伝えられていたが、その後阿弥陀寺に寄進された。
鉄の印判(いんばん)の表面に「東大寺」の三字をきざみ、これに長さ27㎝の木のえをつけています。印の寸法は、たて5.5㎝、よこ3.4㎝、高さ8.2㎝あります。
鎌倉時代に東大寺を建てかえる事がきまり、周防国(現在の山口県東部)が木材などその材料を送り出す国にきまりました。その責任者として俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)というおぼうさんが周防国に派遣されました。
重源は現在の徳地町の山中から材木を切りだし、佐波川を使って東大寺へと運びました。
その際、役人が材木を検査し、合格したものにこの鉄印を焼いて押しました。この鉄印は、その時の役人の家に家宝として伝えられた物です。
鉄印東大寺槌印
重要文化財(考古資料)
明治35年7月31日 (内務省告示 第55号) 国宝(旧)
昭和25年8月29日 文化財保護法施行により重要文化財
防府市牟礼
宗教法人 阿弥陀寺
鎌倉時代
一顆
鉄製の印面に東大寺の三字を刻印し、これに長さ27cmの木の柄を附し、槌形をなしている。
縦5.5cm、横3.4cm、高さ8.2cm
文治2年(1186)3月東大寺再興の議が起り、周防国をその造営の料国として東大寺の大勧進俊乗坊重源に国務の管理を一任せられた。
四月重源は周防の国府に下向し、その18日用材を求めるために工匠の陳和郷以下、番匠物部為里、桜島国宗等十余人を従えて杣山に入り杣始めの儀を行なった。この杣山は佐波川上流に当り、支流の三谷川と引谷川との落合うところに木屋所を設け、東大寺の任命した山行事職の橘奈良定がいて、杣山から伐出した材木を検査して極印を捺した。
奈良定の子孫はその後この地に定住して奈良定の姓を名乗り、山行事の職を世襲したが、徳川時代に至って東大寺との関係が薄くなるにおよび、八坂村の百姓になった。その家宝として伝えていた槌印を、寛文5年(1665)八坂村を領していた右田の毛利就信が求めて、東大寺と関係の深い阿弥陀寺に寄進したものである。
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