久賀の石風呂
くかのいしぶろ
周防大島町
国
重要民俗文化財
江戸時代
久賀の石風呂の構造は、地元の花崗岩石を積み上げて石室を築き、内部は粘土で厚く塗り、土間はたたき固めになっている。石室の大きさは、幅5.4m、奥行4.6m、高さ2.5m、一度に17人入れるこの地方では最大規模のものとして知られ、木造瓦葺きの建物のなかにあり、瀬戸内沿岸の石風呂の代表的なものとされている。
石室内で小枝を燃やして石を焼き、海藻に海水をかけて中にしき、蒸気浴をするサウナ方式で、中が高温になるので、むしろに水を浸してかぶって室に入ったとのことである。
石風呂には、薬師堂があり、薬師如来の信仰とも結びつき、庵主が管理人で入浴料をとったとのことで、「地下上申」によると石風呂石という小物成(藩政時代の雑税)がかけられていたことや入浴銭が石風呂の修理費に充てられていた記事も見える。
この石風呂は、一度に17人も入れる石造りの大型サウナ風呂で、瀬戸内沿岸の石風呂の代表的なものです。
まず、石の部屋の中で小枝を燃やして石を焼き、燃えかすをかき出した後、海草に海水をかけて中にしいて、蒸気の中に入ります。中が高温になるので、水をかけたコモをかぶって石風呂に入っていたそうです。
石風呂には薬師堂があり、薬師様をおがんで、入浴料を払って入ったそうで、そのお金は石風呂の修理費などに充てられました。また、江戸時代には藩により税金もかけていたそうです。
久賀の石風呂 1件
重要有形民俗文化財
昭和33年4月18日(文化財保護委員会告示 第35号)重要民俗資料
昭和50年10月1日(文化財保護法1部改正に伴う名称変更)重要有形民俗文化財
大島郡周防大島町大字久賀1088番地
周防大島町
一件
花崗岩を用いて、石室を築き、目地には粘土を塗り込み、室の内部は粘土を以って厚手の内塗りが施され、土間はたたきになっている。
石室の大きさは幅(最大)5.4m、奥行(最大)4.65m、高さ2.55mである。石風呂を保護するために木造瓦葺きの建坪約29.7㎡の覆屋がある。
民間医療機関として近郷の庶民から親しまれ利用度も高かった事は、藩が営業税ともいうべきものを課税していることによっても推察できる。更に久賀の石風呂の製造法や入浴法が、大島郡下から伊予・安芸の内海沿岸地方へ伝播したことを或る程度たしかめられ、この石風呂は瀬戸内海を中心として発達した石風呂群の中にあってその発達過程の中核的な存在と見られる。
[入浴方法]
石室の中で火度の強い松葉や柴木の類を焚いて室を温め、その火をかき出してその上に海の海藻を敷きつめる。入浴者は筧から落ちてくる仕掛の水溜めに蓆を浸し、下着一枚、或は夜着程度のものを着た上に、この蓆をかむり、室の中に入り込む。一時に17人収容できる。そこで管理人は俵で作った戸扉で入口を塞ぐ。入浴時間は一回目より二回目、二回目よりは三回目と漸次長くなり、室内の温度が下ると、更に焚きそえて補温する。
入浴を終えたものは、別に鉄釜で沸かしたかかり湯で身体を拭い清める。入浴者の空腹になることを見計ってろぶたに餅を入れて売りに来る商人がいた。これは久賀の市立商人の系統の家のもので、餅売りはまた管理人の仕事を手伝うこともあった。石風呂の上には薬師堂があり、この庵主が管理人になっており入浴代を徴収した。
石風呂とは石室の中で柴を燃やし石を焼き、医療の目的で蒸気浴もしくは熱気浴を行うものをいう。元文年間に行われた毛利藩の風土調査の記録「地下上申」によると、久賀村の庄屋伊藤惣兵衛は久賀の石風呂について次のように記録している。
「石風呂の広サ九尺四寸程、入口弐尺五寸ニ三尺、上石大石内平ニ南無阿弥陀仏名号書付有之、弘法大師之御作と申伝候、尤風呂焚候節ハばら木弐三把焚、其炭をかき出し跡江毛葉を敷くニ、莚をかつぎ拾七人程宛代り代り入浴士、入口も俵にてふさき、他国他人之義は壱人日別拾銭宛入浴銭差出、地下人は不及其義、尤焼木代銭之儀者他人共に之時相場ニ而差出申候、右風呂之上屋弐間梁ニ三間半、地幅建にて惣茅葺にて御座候、并ニ薬師堂一宇有之、古入浴銭庵主請取、石風呂高五斗六升之石貫銀并堂修甫ニ仕候事」
大島郡には各地に石風呂が残存しているがこのように整ったものは少ない。普通覆屋が附属せず野ざらしのままのものが多いが、久賀の石風呂には古くから建物が所属していて規模の点からも代表的なものといえる。
〒753-8501 山口県山口市滝町1-1
Tel:083-933-4666 Fax:083-933-4829
E-mail:
Copyright(C) 2010 山口県観光スポーツ文化部文化振興課