岸見の石風呂
きしみのいしぶろ 1件
山口市
国
重要民俗文化財
平安時代
岸見の石風呂は、地元の花崗岩石を積み上げた幅4.4m、奥行3.6m、高さ1.8mの石室からなり、土間には石が敷きつめられており、石室は木造茅葺きの覆屋により保護されている。石室の中で小枝を燃やして石を焼き、火をかき出した後、ぬれたむしろを敷いて熱気浴をするサウナであり、同様の形式は佐波川流域に多く分布している。
この石風呂について記述した「石風呂の記」によれば、1186年(文治2)4月、東大寺再建の用材搬出の人夫の医療目的に俊乗房重源が作ったとされている。建物の休憩の間には、重源像を安置する祭壇があり、入浴者は必ずここでお祈りをすることになっていた。重源上人を「石風呂開山」と呼び、命日の6月5日を「石風呂開山忌」として、必ず石風呂をたき、お祭りをして、その恩に感謝するのがならわしになっている。
この石風呂は、山口市徳地にある石造りのサウナで、この形の石風呂は佐波川流域に多いそうです。
まず、石の部屋の中で小枝を燃やして石を焼き、火をかき出した後、ぬれたむしろをしいて熱気の中に入ります。
この石風呂についての古い記録によると、今から約800年前、奈良の東大寺を建てる木材を切り出す人々の疲れを取ったり、病気をなおすために、俊乗房重源(しゅんじょぼうちょうげん)というおぼうさんがつくったといわれています。
今でも重源さんのなくなった日の6月5日にはお祭りをして、必ず石風呂をたいて入浴し、その恩に感謝するのがならわしになっています。
岸見の石風呂
重要有形民俗文化財
昭和33年4月18日(文化財保護委員会告示 第35号)重要民俗資料
昭和50年10月1日(文化財保護法1部改正に伴う名称変更)重要有形民俗文化財
山口市徳地岸見字八幡824
山口市
一件
花崗岩を積みあげて石室を築き土間にも石を敷きつめている。
石室の大きさは幅(最大)4.4m、奥行(最大)3.6m、高さ1.8mである。
石風呂を保護するために木造茅葺の132㎡の覆屋がある。覆屋には四畳半と三畳の畳敷きの休憩の間があり、四畳半の間には重源上人の像を安置する祭壇がある。入浴方法は久賀の石風呂の場合とほぼ同様であるが、前者が石を焼いたあと海水をかけた海藻をしくのに対し、岸見ではぬれむしろを敷く。
この石風呂についてはその由来を記した「石風呂の記」が伝えられ、それによると「(前略)そもそも文治弐年四月大仏殿所用の材木採用の為、匠工、其外数多の職人夫卒三谷引谷の山々固屋所え、往来の寒暑に犯され悩むもの多く、上人此苦悩を見るに忍びず、この石ぶろを創して上の石底石には梵字を書写して是を救い給う、古へより幾星霜を経るといへども上人の本願爰に朽ず、入室の輩、としの初めよりとしの終まで諸所より来りて其数挙げて数え難く、諸疾諸瘡・疝気・癪気・諸病の療養として来る中にも、月の支りある婦人、又不浄にふれたる人達入る時は蟻はいいで、あるいは土砂落て室に居られず、其霊感のあらたなるを恐怖して、香花燈明を献上して礼拝懺悔し、各号を唱へる時は其災を消滅す、げに上人の遺跡と言つべし、予に此記を綴り呉れよと竹村某が求め否み難くて、八十翁直斉居士おのがつたなきを忘れて、あやしき言葉をもて其あらましを書きつらぬりことになんありける、
于時安政四のとし弥生桃さく月
石風呂やたちつつきたる春烟り(後略)」
山口県の石風呂の分布状況を見ると大島群を中心とする一群と佐波川流域を中心とする群と二つの系統に分けることができる。ところで前者の場合は、薬師堂に附属していたり、薬師像をまつったりしていて、薬師如来の信仰と結びついている場合が多いが、後者の場合は必ず「石風呂の記」にも見えるように、重源上人の創設という伝承があり、土地の人々は、かたくこれを信じている。岸見の石風呂には附属の小屋に、重源上人の像と称する稚拙な木像を安置する祭壇があり、入浴者は入浴前に必ずここで祈念をこめることになっている。また上人を「石風呂開山」と呼び、その命日である六月五日には「石風呂開山忌」として必ず石風呂をたき、お祭りをして、その恩沢に感謝するのがならわしになっている。
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