阿弥陀寺の湯屋
あみだじのゆや
防府市
国
重要民俗文化財
阿弥陀寺の湯屋は、桁行10.53m、梁間4.5m、桟瓦葺平屋建の覆屋をもち、鉄湯釜で沸かした湯を石製の湯舟にくみとり、石敷の洗い場で湯を取って体を洗う方式である。洗い場は男子用、女子用で区別されている。
湯屋の起源は古く、俊乗房重源(東大寺再建の責任者)が1197年 に創建した阿弥陀寺の鉄宝塔(国宝)に、「浴室、釜一口・闊六尺、鉄鋳一千斤」と見える。当時の鉄釜の寸法は、内径178㎝、深さ100㎝、高さ104㎝、鉄湯舟の内径96㎝である。
鎌倉時代のものと伝えられる鉄湯釜と鉄湯舟も保存されており、当時からの湯屋のようすを知る上で貴重な資料となっている。
1484年、寺と共に焼失したが、江戸時代の1673~1683年に再建され、その後、幾度か修理がなされた。現存の石湯舟の内径は、長さ128㎝、幅28㎝、深さ14㎝で、1820年の銘文があり、鉄湯釜には1828年の銘文がある。
今も毎年の開山忌(7月第4土・日曜日)には、洗い場で湯を取って入浴する行事が行われている。
阿弥陀寺は防府市にあるお寺です。奈良の大仏で有名な東大寺を建てなおす工事の責任者であった俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)というお坊さんが、800年前に建てたお寺です。
湯屋とはお風呂のことで、800年前の鎌倉時代、お寺が建てられた頃つくられたといわれ、この時代に使われていた鉄湯カマと鉄湯舟も保存されており、当時からの湯屋のようすを知ることが出来ます。
現在の湯屋は今から300年前に建てなおされたものといわれており、直径1mの鉄のカマでわかした湯を石製の湯舟にくみとり、石敷の洗い場で湯を取って体を洗います。
今も毎年7月第4土・日曜日の重源さんの命日には、洗い場で湯を取って入浴する行事が行われています。
阿弥陀寺の湯屋
附 旧鉄湯釜 一口
鉄湯舟残欠 一口
重要有形民俗文化財
昭和47年8月3日 (文部省告示 第120号) 重要民俗資料
昭和50年10月1日 (文化財保護法1部改正に伴う名称変更) 重要有形民俗文化財
防府市大字牟礼1869番地 阿弥陀寺境内
宗教法人 阿弥陀寺
江戸時代 延宝年中(1673~1680) ?
一件
現存の湯屋のうち
鉄湯釜 鋳工 松村彦右衛門
湯舟 石工 有田富春
【寸法】
[重源建立湯屋の大鉄釜及び鉄湯舟]
鉄塔銘にある鉄釜
外径 184.5cm 内径 178.5cm
深さ 100.7cm 高さ 103.7cm
鉄湯舟
外径 115cm 内径 96cm
(イ)現存の湯屋
鉄湯釜
径 97.5cm
深さ 57cm
石湯舟
長さ(外径150cm 内径128cm)
幅(外径50cm 内径28cm)
深さ(外高35cm 内深14cm)
(ロ)温室建家の面積 47.385㎡
現在使用中の風呂釜及び湯舟に記載されている銘文は次のとおりである。
[風呂釜の銘文]
文政十一戊子二月十五日鋳工松村彦右エ門同与十郎防州花宮山阿弥陀寺風呂釜無住
[湯舟の銘文]
奉獻湯舟一口
為
御園生氏先祖代々
高橋氏先祖代々
麗容妙秀信女
施主 高橋久兵衛内
世話人 小沢惣左エ門
石工 有田富春
文政三庚辰六月
当寺現住高観代
湯屋(桟瓦葺平屋建、梁間4.5m、桁行10.53m) 1棟
現用鉄湯釜(文政11年在銘)、現用石湯舟(文政3年在銘)およびその他の湯屋施設
旧湯屋釜 1口
旧鉄湯舟残欠 1口
建久8年(1197)11月安置の阿弥陀寺鉄塔銘に「釜一口闊六尺 鉄鋳一千斤」と見え、また阿弥陀寺文書、正治2年(1200)11月8日付周防国庁宣に重源の建立として浄土堂一宇七間四面、薬師堂一宇七間四面、舎利殿1宇方丈、鉄塔一基高五尺、鐘一口高三尺と其に、
湯屋一宇 五間四面
在大釜一口 廿五石納
鉄湯舟一口 同之
の記載があり、施入の水田23町5段および陸畠3町はことごとく不輸租地として所当の官物以下、国役ならびに万雑事の催足を免除された。この庁宣をうけて同月目代春阿弥陀仏、権介多々良(大内)弘基ら、留守所在庁官人45人連署の置文には、
抑々念仏の行業、温室の功徳は諸仏の所嘆、殊勝の善根なり、仍て南無阿弥陀仏(重源)は便宜の処に至る毎に此事を興立する。爰に忝くも造東大寺の使の勅宣を奉じ、当国の執務己に十五周年に至る。然る間、国府の東辺枳部山麓、水木便宣の地を卜とし不断の念仏と長日温室とを建立す。云々。
とあって必ず念仏の道場と施浴の温室とを建立したことがうかがわれ、さらに、
抑々当寺は堂塔仏像経巻と云い、房舎温室湯釜鉄船と云い、忝くも宰吏大和和尚を建立させれ、南無阿弥陀仏の別所と称し、念仏衆十二人、維即六人、承仕三人の料これを宛置かしめ給い、仏聖燈油衆侶の供田を寄進す、御庁宣に任せ施行此の如し、而して偏に代々の留守所在官人等を以って壇越とすべし云々
ともあって、阿弥陀寺湯屋の起源および創建当初の規模、ならびに運営の一端を知ることができる。当時の大釜(廿五石納)1口は現在阿弥陀寺に保存されている。草創296年の年月を経て文明16年(1484)に至り、堂塔ことごとく焼失した。翌17年大内政弘の下知によって開山堂が復興し、再建が図られたが、昔日の規模に及ばず、慶長の頃には衰微の極に達したという。
江戸時代になって阿弥陀寺中興の第一世宥恵法印があらわれ、延宝年中(1673~1680)浴室に復興を手始めとして寺の再興に尽力した。今の温室はその当時再建されたものでその後幾度か修理が加えられて現在に至ったと考えられる。
ちなみに現温室の湯舟には文政3年の銘文があり、また、湯釜には同11年の銘がある。
[使用法]
(イ)湯屋の東を流れる小渓谷の上方から竹のかけ樋で水を引き、温水脇にある花崗岩製の水槽にためる。ついで水は鉄の湯沸し釜に運ばれる。
(ロ)湯沸し釜に水をたたえた後、したの竈の焚口から火を入れて湯を沸かす。
(ハ)焚場の床は広い土間で、薪材を置き火を焚くに都合がよい。
(ニ)洗場は、男子用と女子用に区別せられ、その床は花崗岩製の石畳で造られ、同時に流し場のように仕組まれている。
(ホ)釜場と浴場とは防災のためか、特色のある家形建造物(花崗岩の石柱と壁石板の組み合せ)で囲まれている。
(ヘ)浴者は南入口の板引戸をあけて床板張の脱衣場に入り、衣類は室の北側に取り付けてる竹棚に置く。ついで男性は男子用洗場で、また女性は女子用洗場で洗浴する。
昭和46年3月30日(山口県教育委員会告示 第7号)山口県指定民俗資料
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