長門の捕鯨用具
ながとのほげいようぐ
長門市
国
重要民俗文化財
江戸時代
近世日本において代表的捕鯨地の一つであった青海島の通浦に伝わる捕鯨用具である。
山口県の日本海沿岸北浦地方で「鯨組」という組織をつくり、鯨を網で囲み、もりで突きとる「網取り法」が始まるのは1673年であり、この鯨組の活動は1908年の廃止まで約230年続けられた。
この「網取り」による捕鯨用具は総数140点。捕獲、解体、加工、船関係用具、仕事着、商業関係用具など多種にわたり、質量ともによく整った収集資料である。なかでも、1670年代より使用された「からむし網」関係資料は、北浦地方の捕鯨の特色を示すものとして貴重である。
北浦鯨組の規模は、幕末の記録によると、船団24隻、乗組員255人、陸上員24人、支配者、地下役人9人の総数288人に達していたことがわかる。この組織編成には、膨大な資金を必要としたため、近郊の庄屋、網頭を出資者、経営者とする株組織がつくられ、漁民を労働者とする生産組織がつくられていた。また、藩も融資などの保護策をとっており、藩との関係にも密接なものがあった。
昔の鯨とりの道具が、長門市中央公民館に伝えられています。
山口県の日本海沿岸で、鯨を網でかこみ、もりでつきとる「網取り法」が始まるのは、今から約330年前からです。この「網取り」による捕鯨は、船24せき、人は300人の大きなグル-プで「鯨組み」と呼ばれていました。
集められた道具の中には、鯨を捕る時に使われてい鯨をつかまえる道具、肉を解体・加工する道具、船用具、仕事着、商業用具などさまざまなものがあります。
長門の捕鯨用具
捕鯨用具 三四点
解体用具 三三点
加工用具 九点
船用具 一七点
仕事着 一一点
その他 三六点
重要有形民俗文化財
昭和50年9月3日 (文部省告示 第133号) 重要民俗資料
昭和50年10月1日(文化財保護法1部改正に伴う名称変更) 重要有形民俗文化財
長門市東深川1324 長門市中央公民館保管
長門市
一四〇点
[捕鯨用具]
/番号/名称(別名)/呼称/数量/用法/
/1/本銛/ほんもり/1/鯨が網にかかると船から投げて突きさす。銛の根の穴で長い柄を固定させる。/
/2/〃/〃/1/〃/
/3/〃/〃/1/〃/
/4/〃/〃/1/〃/
/5/〃/〃/1/〃/
/6/〃/〃/1/〃/
/7/〃/〃/1/〃/
/8/〃/〃/1/〃/
/9/〃/〃/1/〃/
/10/〃/〃/1/〃/
/11/〃/〃/1/〃/
/12/〃/〃/1/〃/
/13/〃/〃/1/〃/
/14/本銛の柄/ほんもりのえ/1/本銛に固定させる柄/
/15/剣/けん/1/網にかかった鯨に先ず銛を投げて突き、やや弱ったところにこのケンで腰をつきさして切る。/
/16/〃/〃/1/〃/
/17/〃/〃/1/〃/
/18/〃/〃/1/〃/
/19/〃/〃/1/〃/
/20/〃/〃/1/〃/
/21/〃/〃/1/〃/
/22/〃/〃/1/〃/
/23/〃/〃/1/〃/
/24/つまる(さで)/つまる(さで)/1/鯨がかかった網にこれを投げて引っ掛け、網を船に近づけて鯨を弱らせる。輪に麻縄をつける。/
/25/〃/〃/1/〃/
/26/手形庖丁(鼻刺)/てがたぼうちょう(はなざし)/1/網にかかり弱った鯨(銛・剣のうち込みも終って)に船からとびのって、鼻の下を切り込み麻縄をかけて捕獲する。/
/27/〃/〃/1/〃/
/28/〃/〃/1/〃/
/29/〃/〃/1/〃/
/30/〃/〃/1/〃/
/31/〃/〃/1/〃/
/32/〃/〃/1/〃/
/33/〃/〃/1/〃/
/34/遠眼鏡/とおめがね/1/捕鯨の際の見張番(山見)が使用。/
[解体用具]
/1/捌庖丁/さばきほうちょう/1/捕獲し終えた鯨を約90cm(3尺)ごとに切る。/
/2/〃/〃/1/〃/
/3/〃/〃/1/〃/
/4/〃/〃/1/〃/
/5/〃/〃/1/〃/
/6/〃/〃/1/〃/
/7/〃/〃/1/〃/
/8/大庖丁(肉切庖丁)/おおぼうちょう(にくぎりぼうちょう)/1/鯨を解体する際に肉を切る。/
/9/〃/〃/1/〃/
/10/〃/〃/1/〃/
/11/〃/〃/1/〃/
/12/〃/〃/1/〃/
/13/〃/〃/1/〃/
/14/〃/〃/1/〃/
/15/〃/〃/1/〃/
/16/鯨の骨鋸/くじらのほねのこ/1/捕獲した鯨の解体の時、骨を切る。/
/17/〃/〃/1/〃/
/18/鈎/かぎ/1/鯨を切る時、切りやすくするために肉にひっかけてひっぱる。/
/19/〃/〃/1/〃/
/20/〃/〃/1/〃/
/21/万力/まんりき/1/鯨の切身等を移動したり、1カ所にまとめたりする時に、先にひっかけて使用する。/
/22/〃/〃/1/〃/
/23/〃/〃/1/〃/
/24/笊(ばら)/ざる(ばら)/1/鯨肉を運んだ笊籠/
/25/〃/〃/1/〃/
/26/〃/〃/1/〃/
/27/〃/〃/1/〃/
/28/〃/〃/1/〃/
/29/〃/〃/1/〃/
/30/〃/〃/1/〃/
/31/〃/〃/1/〃/
/32/〃/〃/1/〃/
/33/〃/〃/1/〃/
[加工用具]
/1/締桶/しめおけ/1/鯨肉を入れおもしをのせ油脂をしぼる。/
/2/〃/〃/1/〃/
/3/〃/〃/1/〃/
/4/〃/〃/1/〃/
/5/締桶の枠/しめおけのわく/1/締桶で鯨油脂をしぼる時のわく。/
/6/樽/たる/1/鯨肉からしぼり出された油脂を入れる。/
/7/火鈎/ひかぎ/1/鯨の油脂を採取するため、大釜を焚く時の火かぎ。/
/8/〃/〃/1/〃/
/9/鈎/かぎ/1/鯨肉を大釜で焚く時に、釜の中をかきまぜる。/
[船用具]
/1/網綱/あみづな/1/捕鯨用の網をつくる綱。/
/3/櫓/ろ/1/鯨船をこぐ櫓である。/
/4/〃/〃/1/〃/
/5/艫櫓/ともろ/1/〃/
/6/櫓の腕/ろのうで/1/〃(腕の部分のみ)/
/7/琵琶櫓の腕/びわろのうで/1/鯨船の櫓の一種であるが、形が琵琶に似ている(腕の部分のみ)。/
/8/〃/〃/1/〃/
/9/轆櫓/ろくろ/1/鯨船に備えつけられ、網を巻きあげる。心棒は船内にある受(うけ)に入る。)/
/10/轆櫓(かんぐらさ)/ろくろ(かんぐらさ)/1/鯨船を岸に引きあげるろくろ。岸において船に結んだ網を巻きながら引き寄せる。/
/11/梃子/てこ/1/浜にあげた鯨船を海に出す時に、押し出すテコとして使用する。/
/12/篝/かがり/1/船のあかり及び船底をてらし防腐、防虫に使用。鉄の受の部分に松明を置きもやす。/
/13/〃/〃/1/〃/
/14/〃/〃/1/〃/
/15/〃/〃/1/〃/
/16/〃/〃/1/〃/
/17/恵美須板/えびすばん/1/信仰的な意味(魔よけ・海上安全)で鯨船のへ先につける。/
[仕事着]
/1/綿子/わたこ/1/捕鯨出漁の際防寒着として着用。腰丈の長さで上にはおるる/
/2/どんだ/どんだ/1/捕鯨出漁の際、防寒着として着用。綿子より長く膝下あたりまである。/
/3/〃/〃/1/〃/
/4/〃/〃/1/〃/
/5/〃/〃/1/〃/
/6/〃/〃/1/〃/
/7/〃/〃/1/〃/
/8/〃/〃/1/〃/
/9/〃/〃/1/〃/
/10/〃/〃/1/〃/
/11/〃/〃/1/〃/
[商業用具]
/1/大福帳箱/だいふくちょうばこ/1/鯨組関係書類納書。(鯨売員に関するもの)/
/2/焼印/やきいん/1/捕鯨用具等に押した鉄製の印。/
/3/棕櫚印/しゅろいん/1/鯨を仲買する札組の家で、所有物に押印したしゅろ製の印。墨をつけ、たたきつけて押印する。/
/4/印肉桶/いんにくおけ/1/しゅろいんのスタンプ台である。印肉は細い網にススを水でとかし墨とした。/
/5/銭袋/ぜにぶくろ/1/鯨の皮でつくった銭入れ。/
/6/算盤/そろばん/1/鯨を売買する札組でしようした五珠算盤。/
/7/棒秤/ぼうばかり/1/鯨肉の売買で切身等の重さを計った。(札組で使用)/
[その他]
/1/捕鯨営業鑑札/ほげいえいぎょうかんさつ/1/捕鯨に出漁する際に必携すべき郡役所の鑑札。/
/2/締太鼓/しめだいこ/1/捕鯨出漁の合図、捕獲後の大漁の祝い、鯨唄の雑子等に使用する。鯨の皮を使用して製作している。/
/3/〃/〃/1/〃/
/4/〃/〃/1/〃/
/5/弁当箱/べんとうばこ/1/出漁の際の弁当箱。三段に仕切ってあり、上段は箸入れ、中段は御飯、下段に菜を入れる。/
/6/〃/〃/1/出漁時の弁当箱。大小三つで一組になっており、大の方に御飯、小の二つに採を入れる。/
/7/〃/〃/1/出漁時の弁当箱。大小二つで一組になっており、大の方に御飯、小の方に菜を入れる。/
/8/苧麻の綱/からむしのつな/1/網をつくったものか、鋸につけるロープとして使用。/
/9/綱/つな/1/〃/
/10/〃/〃/1/〃/
/11/〃/〃/1/〃/
/12/鞴/ふいご/1/江戸時代から通浦で鯨組の刃物を中心に続けた鍛冶屋「カジハン」のふいごである。/
/13/立貝起し/たてがいおこし/1/鯨取りが始まるまで、海岸で鯨組連中が貝をほって酒肴にした。貝ほり道具。/
/14/鑢/やすり/1/鯨の骨鋸などを磨く。/
/15/〃/〃/1/〃/
[補助用具]
/1/管銛(燕銛)/くだもり(つばくろもり)/1/捕鯨の漁場にふか等の大きい魚が入った場合これを使用して捕獲する。海岸においておく。鋸の根が管になっており、これに長い柄をつける。/
/3/〃/〃/1/〃/
/4/〃/〃/1/〃/
/5/〃/〃/1/〃/
/6/〃/〃/1/〃/
/7/〃/〃/1/〃/
/8/〃/〃/1/〃/
/9/〃/〃/1/〃/
/10/管銛の柄/くだもりのえ/1/管銛の根の管につなぎ合わせる。/
/11/〃/〃/1/〃/
/12/〃/〃/1/〃/
/13/つんざし銛/つんざしもり/1/用法は、くだもりと同様であるが、先が鋭くとがっている。/
/14/管/くだ/1/鋸の一種で、刃が動くため、突きささったあと肉によく食い込む。捕鯨船につみこまれたことが考えられるが、確証はない。/
[長州捕鯨略史]
捕鯨が産業として、「鯨組」という大規模な組織を形成し、鯨を網で囲み銛で突きとる「網取り法」による近世捕鯨を展開するのは、我国では、各捕鯨地とも江戸初期のことである。
北浦沿岸(山口県日本海岸)では、通・瀬戸崎(仙崎)、川尻を中心に、津黄、立石、黄波戸、島戸、肥中、角島、見島の諸浦において「鯨組」の活躍が見られるのである。通浦では延宝元年(1673)より「鯨組」が取り立てられ、瀬戸崎浦では寛文12年(1672)に「鯨突き組」が、更に元禄11年(1698)に川尻浦で「鯨組」が興っている。これらの鯨組の活動は、明治41年(1908)の廃止に至るまでに二百数十年続いていった。
捕鯨の方法は、原始的な弓取り法の時代の流れ鯨や寄り鯨を対象とする受動的なものから、戦国時代の「突き取り法」へ発展し、更に近世になると一段と進歩した「網取り法」が普及する。我国捕鯨史上、網取り法は紀州太地鯨組において延宝5年(1677)に始まり、土佐、肥前へ伝わったとされているが、長州捕鯨ではどうであったろうか。通浦では当初縄網を使用していたが、通浦正福寺縁起、防長風土注進案等によると、やはり、同時期の延宝年間には、強い苧麻(からむし)網を使用し始めている。しかも北浦独自の発生とみられ注目できるものである。
さて鯨組という大規模な組織を編成するには、膨大な資金を必要とするが、庄屋、網頭等の浦方上層支配階級が殆どを占める株組織が形成され、自浦以外の庄屋階級からも出資を仰ぎ、更に藩府からの融資にも依存していた。その経営形態は、長州捕鯨の場合、浦役人級(庄屋・年寄等)の支配層が中心となって出資者兼経営者として経営主体となり、浦民を労働者とする裏方共同体的な生産機構が主流をなし、長州捕鯨独自の藩直営の形態もみられた。
北浦鯨組の規模はどうであったか、創業当初の資料がなく、幕末期の「前大津代官所捕鯨記録」によりうかがうこととする。まず捕鯨船団では、鯨を網の中に追い込み、銛を突いて射とめる「追い船」8艘、鯨を包囲する苧網(おあみ)を積んだ「惣階船」12艘、射とめた鯨を2艘の船で抱いて浜へ帰る「持双(もつそう)船」4艘の計24艘で総乗組員255人、陸上要員24人で、鯨組の支配者である地下役人9人を加え、従業員総数288人であった。以上は川尻鯨の場合であるが、通浦、瀬戸崎浦もほぼ同様の規模であったと考えられる。鯨組の経営、支配は数名の「網頭」が実権を握りその権力と経済力は絶大なものであった。捕鯨労働者である漁夫にも職制があり、10種類程度の職階制からなっていた。川尻浦の場合でみると、捕鯨作業の最高責任者を「沖合親仁(おきあいおやじ)」といい、網作業、網船の指揮者が「網戸親仁(あみどおやじ)」であり、沖作業人を監督し、その功績を評価したものが「宿老」とよばれた。捕鯨技術要員の中の花形は「刃刺(はざし)」とよばれ、追い船の船首に立って銛を打ち込み、厳冬の荒波に潜って手形包丁をふるって鯨の鼻を切るなど生命をかけた職掌であった。刃刺の助手として、鼻を切ったあと苧網を通す役目をもったものは櫓をこぐ「艫押(ともおし)」であった。その他、船頭、舵子(かこ)、山見、沖切(鯨の解体、旗や吹流しで海上の鯨船に合図する役目)、箪司持(たんすもち=諸道具の手入れや出し入れ、小使いの役目で13歳から1人前になるまでの少年)などがあった。
長州藩当局においても、全国的に数少ない捕鯨業を積極的に奨励し、「鯨運上銀」の取り立てによる藩財政の強化を図った。その保護政策では、創業時における藩の指導監督、資金の貸し下げ、港湾の改良整備、製品の買い上げ、不漁による経営難に際しての資金及び従業員への飯米の貸し下げ、藩主ら自らの上覧による精神的な奨励策、網頭らへの名字帯刀の許可など、近世長州捕鯨の200年間は藩との関係は実に密接なものであった。
江戸末期になると不漁に見舞われて経営困難に陥り、明治維新後の鯨組は、これまでの藩支配保護を離れて民間経営となり、藩政時代からの多大な赤字をかかえたまま、川尻捕鯨組が再建にある程度成功したほかは、各鯨組とも益々経営難に陥っていった。こうした中に明治9年より15年頃までに川尻浦を始めとし、瀬戸崎浦、通浦で捕鯨業民主化の火の手があがり、通浦では明治15年に、通浦共同のものとして認められ、「通浦地下中」に対して「捕鯨営業鑑札」が下付された。明治も後半に入ると日本資本主義勃興の波は、北浦沿岸にも押し寄せ、明治22年には、北浦捕鯨で最も古い伝統を持った通、瀬戸崎両浦に大日本帝国水産会社が進出しその傘下に入った。更に明治40年(1907)に旧鯨組関係者を中心に殆んどが地元の出資による「長門捕鯨株式会社」の創業をみるなど捕鯨近代化への過渡期の苦悩を内包しつつ、各浦旧鯨組はいずれも明治40年頃には解散の憂き目に会い独り自立経営を維持した川尻捕鯨株式会社も、遂に明治41年(1908)には、解散のやむなきに至った。しかし、この北浦捕鯨の伝統を基盤として、やがて近代的なノルウェー式捕鯨が発祥するという輝やかしい日本近代捕鯨史が、この北浦を舞台に展開されることになるのである。
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