鷺流狂言
さぎりゅうきょうげん
山口市
国
記録作成等の措置を講ずべき無形文化財
鷺流狂言は鷺仁右衛門宗玄(さぎにえもんそうげん)に実質上始まり、宗玄が徳川家康の愛顧を受け、観世座の座付狂言方となったことから隆盛をきわめた。江戸時代を通じて幕府御抱えの流派で、その芸風は写実的で柔軟性に富むところに特徴があった。しかし、明治に入り、幕府が瓦解したあおりで流派は衰亡し、宗家(仁右衛門家)分家(伝右衛門家)ともに絶えた。
現在に残る鷺流狂言は地方で伝承されてきたものである。
山口につたわる鷺流狂言は、春日庄作(しゅんにちしょうさく)にはじまる。春日庄作は、分家鷺伝右衛門派の家元である鷺(十世伝右衛門)寛太郎に学び、江戸時代末期に活躍していたが、明治になってからは、厚狭郡(現在では宇部市)において農業に従事していた。
1886年(明治19)春日庄作は、山口にある野田神社の上棟式の神事能に招かれて狂言方として出演、それが縁で山口にうつり、道場門前の本圀寺に住んで狂言を教え、大勢の弟子をもった。
くだって戦後、狂言が衰微していく事を心配した山口市内の有志は、1954年(昭和29)に鷺流狂言保存会を結成し、春日庄作の直弟子である吉見安太郎や田口光三を中心に伝習者の養成につとめた。
1967年(昭和42)山口県指定無形文化財の第一号として鷺流狂言が指定された。
現在、唯一人の伝承保持者である小林栄治は、吉見安太郎の弟子である中西治郎に学び、長年にわたって山口鷺流狂言の伝習と後継者育成の中心人物として活躍している。その芸風は柔らかに自然で品位があり、高い芸位を示す。
1997年(平成9)山口鷺流狂言は、文化庁の「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に選ばれた。
2000年(平成12)10月には、国立能楽堂で、全国で三地域(山口、佐渡、佐賀)しか残っていない鷺流狂言の初競演に参加した。
このうち、山口には鷺流伝右衛門派が伝わっているが、佐渡には鷺流仁右衛門派が伝わっている。ともに、江戸時代の武家式楽の流れをくむものである。また、佐賀に伝わるものは、県無形民俗文化財に指定されている。
2001年(平成13)には、県内に残る鷺流狂言の手附本が翻刻され、「山口鷺流狂言資料集成」として出版された。
山口につたわる鷺流狂言は、春日庄作(しゅんにちしょうさく)という人が、山口の野田神社の神事能にまねかれて狂言をえんじ、それを縁に山口に伝えられたものです。
鷺流狂言は全国で山口のほか2ケ所しか残っていません。山口でも衰えていく事を心配した人たちが1954年(昭和29)に鷺流狂言保存会をつくって以来、その伝習につとめています。
伝承保持者の小林栄治さんは、庄作の孫弟子にあたる人から狂言を習い、これまで50年以上狂言を演じつづけています。現在も山口鷺流狂言の中心人物として、舞台にたつとともに、後世に伝えていく人を育てています。
鷺流狂言
記録作成等の措置を講ずべき無形の文化財として選択されたもの
平成9年5月27日
山口市
山口鷺流狂言保存会
(事務局)山口市教育委員会文化財保護課内
山口市の鷺流狂言は、その源流を萩の毛利藩のお抱狂言に発している。毛利藩の狂言方には大蔵流に春日、原、山本、鷺流に江山、嶋田、山本、計六家があった。鷺流の山本弥八家は、山本甚五兵衛久則というものが毛利秀就に召抱えられ石川慶八の門弟として狂言を習得し、その技をもって仕えた。この甚五兵衛には男子がなく、吉松某の男を養子としたが、これが山本清九郎勝で、江戸に上り大蔵弥太郎の門弟となり大蔵流の皆伝をうけている。この清九郎の実子はみな早世したので、三谷長兵衛の男を養子とした。これが山本藤八久恒で、この藤八は流儀替を仰付られ、鷺伝右衛門の門弟となり皆伝をうけて、鷺流をもって仕えることとなった。ところが、藤八は鷺流に変ったが同流のものがいなくて上演に不都合であったので、江山源兵衛、近藤久次郎両人を門弟として養成し、両人を藩の御顧として召出されるように尽力した。この藤八の嫡子山本弥八久正も、鷺伝右衛門の門弟となり残らず相伝をうけておりその養子八九郎清房以後代々鷺流狂言をもって仕えた。江山家は大和国の渡辺源兵衛助が母方の姓江山を名乗って、毛利吉元に仕えたのが初めてである。この源兵衛は前記のように山本藤八に鷺流狂言の稽古を受け、更に江戸に上って鷺伝右衛門の弟子となりその後代々鷺流狂言をもって毛利藩に仕えた。
春日家は、春日五郎左衛門就清が秀就公の小姓に召出され、長命次郎太夫の門弟となって狂言師として仕えたのがはじめである。二代目五郎左衛門成生、三代目権七直正、四代目万七直良と続き、幕末の春日庄作に伝えた。庄作は文化14年萩藩士、佐々木三右衛門の次男として萩に生れた。安政5年4月、吉見鉄吉、浅井清寿、野中儀右衛門、名女川栄四郎、名女川正三郎の後見により鷺寛太郎から伝授をうけている。庄作は、明治維新後は狂言に見切をつけ、農業に従事するため厚狭郡善和村に移住したが、事業は意の如くならなかった。ときに、山口の野田に能舞台ができ能楽も行われる気運となったので、明治20年頃すすめられて山口に出て道場門前本圀寺に仮寓して弟子を教えたり、野田の能奉納に対して狂言の中心人物として活躍し、その妙技を発揮した。庄作は、鷺流の狂言師としては全国唯一の名手であったと称揚せられる腕をもっていたという。明治30年80才で死没した。資性は温和でかつ磊落であり、芸道一筋の人であった。平常は徒歩にも苦しむ程の老齢に至っても、一度舞台に登ると別人の如く思われる程であったといわれている。
庄作の門弟には、永久竜三郎、吉見安太郎、原田利三郎、西村直太郎、中山岩吉、永久栄次郎、津田亀吉、田口光三、清水治三郎、松村弥一等がいて一時は隆盛をきわめたが、年代がたつにつれて物故し、衰頽の一途をたどった。これを憂えた山口市内の有志は、昭和29年200余名の協賛を得て鷺流狂言保存会を結成し庄作の直弟子で唯一の生存者である田口光三を中心として伝習者の養成や、実技の観賞、また史実の研究を随時開催した。昭和36年鷺流の復興に力を尽くした田口光三は没し、庄作の直弟子は全くなくなった。現在、保存会は、小林栄治を中心にその技をみがきその伝統をつたえている。
上演可能演目
皹 因幡堂 伊呂波 靱猿 鬼瓦 伯母ケ酒 柿山伏 鎌腹 不聞座頭 金藤左衛門 昆布売 咲花 清水 舎弟 宗論 末広がり 墨塗
空腕 千鳥 鈍太郎 技殻 伯養 雛聟 不毒
布施無経 文荷 棒縛 宮城野 物真似 その他
ビデオ収録
・平成10年7月4日 「千鳥」(野田神社能楽堂にて)
・平成10年11月7日 「しびり」「二人袴」「皹れ」「呼声」「千鳥」(山口県教育会館にて、定期公演)
・平成11年10月16日 「棒しばり」「二人大名」「居杭」「因幡堂」(野田神社能楽堂にて、山口鷺流狂言保存会結成45周年記念講演)
・平成12年3月25日 「諷果」(野田神社能楽堂にて)
・平成12年11月23日 「引括」「清水」「隠狸」「伯母ヶ酒」「寝音曲」「鬼瓦」(山口県教育会館にて、定期公演)
〔また、平成10年3月13日、野田神社能楽堂にて、「鬼瓦」「盃」「十七八」収録〕
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