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文化財の概要

文化財名称

湯本南条踊

文化財名称(よみがな)

ゆもとなんじょうおどり

市町

長門市

指定


区分

民俗文化財

一般向け説明

 9月9日に、大寧寺と湯本住吉神社で踊られ、9月10日の赤崎神社の礼祭に奉納される踊り。1577年(天正5)から1582年(天正10)の間の伯耆国(現在の鳥取県)羽衣石城主・南条元続と毛利家臣・吉川元春との戦いに縁のある踊りで、元来、吉川藩が芸州(現在の広島県)在藩当時に始められたものであるが、後に、岩国に移る時に、岩国藩の吉例踊りとして伝えられた。その後、長門俵山村に在住していた藩士・来島某ら数名が、岩国滞在の折に、吉川家の許しを得て習得し、俵山で再編成された。1674年(延宝2)、湯本村の庄屋・平川某が、俵山村に特にお願いし、「他の地方には伝授しない。」という約束で習得し、それが、赤崎神社祭礼の奉納踊りとして、現在まで続いているものである。
 国により記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財として選択されています。

小学生向け説明

 9月9日に、大寧寺と湯本住吉神社で踊られ、9月10日の赤崎神社の例祭に奉納される踊りです。1577年(天正 5)~1582年(天正10)の伯耆国(今の鳥取県)の南条元続と毛利家臣の吉川元春との戦いに関係のある踊りで、岩国藩の「吉例踊り」として伝えられていたものを長門俵山村に住んでいた藩士の数名が、吉川家の許しを得て習い覚え、俵山に伝えました。それが、さらに、1674年(延宝 2)、湯本村の庄屋・平川某に伝えられ、赤崎神社祭礼の奉納踊りとして続いているものです。
 国により記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財として選択されています。

文化財要録

要録名称

湯本南条踊

指定区分・種類

無形民俗文化財

指定年月日

昭和47年8月5日 (文化庁・芸能第123号)「記録等の措置を講ずべき無形文化財」として選択
昭和51年3年16日 (山口県教育委員会告示 第3号) 無形民俗文化財

所在地

長門市

保持者

湯本南条踊保存会

時期及び場所

 9月9日午後2時頃湯本大寧寺橋に勢揃いし、隊形を整え磐石橋を渡り寺前の広庭で大寧寺の御見物に入れる。終了後湯本住吉神社で再び踊って解散。
 9月10日赤崎神社礼祭に奉納。毎年楽踊と前後に踊る慣行となっている。花見橋に勢揃いし、道行きの隊形を整え螺貝の合図と共に踊り初め、赤崎社前の楽桟敷の踊り場に向って押入り輪形の本踊りを修めて終了する。その後八幡宮社前で同様に奉納し、湯本温泉前で踊り総て終了する。

由来及び沿革

 南条踊は、吉川軍と南条軍の和睦成立後、吉川藩士が人質として収容していた南条藩士から南条地方で往古より盆会に踊り続けられていたのを吉川藩に伝えたという説と、吉川軍が羽衣石城で壮士数十名を踊子に扮し踊らせながら入城して南条軍の攻略に成功したこの誉れを伝えるため「南条攻略の踊」とし、略して「南条踊」と呼んだという説などがある。
 南条踊は元来、吉川藩が芸州在藩当時に始めたものが、後に岩国に移封する際岩国藩の吉例踊りとして続けられた。後、長門俵山村に在住していた藩士来島某等数名が岩国滞在のとき、吉川家の許を得て習得し俵山において再編成した。延宝2年、湯本村の庄屋平川某は、俵山村に懇望し、「他の地方には伝授しない」との請文を立てて習得したが、それが赤崎社祭礼奉納踊として今日に及んでいる。湯本南条踊は、往古より当屋を定め、その年の踊行事の総てを引受けていた。当屋は3つの部落で輪番に交替することになっている。各部落より世話人数名を選出して運営に当っていた。

内容

 ほら貝を合図に踊りを入れつつ入場。外輪の28人が円形を作り中踊6人は中央で向い合って円形を作り、吹貫は輪の中に向い合って位置し、新発意は輪の中を踊歩く。隊形ができると、新発意は神社に向って静止し、花団扇をかざして「東西-南条赤崎大明神、例年の通り南条踊を仕る、さあらは太鼓をかしらにお願い申そう」と称え、中踊は太鼓鐘ささらのリズム面白く囃子を謡い、側踊は手振足振り勇しく踊り、吹貫も大輪を巡らし乍ら踊る。新発意文箱をかつぎ乍ら大花団扇を振りかざして輪中をかけ巡る。最後に「明年参いろ又参いろー」と謡いおさめて、トウエイ、シャンシャンシャンと拍子面白く終了する。

構成

(1)ほら貝 1人 (2)短冊 1人  (3)吹貫 2人 (4)新発意 1人 (5)側踊 28人 (6)太鼓 2人 (7)鐘打 2人 (8)編木 2人 (9)短冊 1人

設備・衣装・用具

(1)生笹短冊
 金銀5色の短冊に経文を書写し生笹に附す。これは大寧寺において調整せられ踊組に贈られることが例となっている。
(2)螺貝
 昔はこの外に弓1張、槍2本、鳥毛鎚2本、幟4本、鉄砲2挺を備え12人の者が紺看板を着てこれを持参し、踊の列の前後に隊していた。
(3新発意(しんぽて)
 白木綿の鉢巻、頬髭(熊の毛で作る)、胸当、白地帷子(背中に梅の折枝に兜の模様を染め抜く)朱鞘大小、別に朱鞘に文箱を附けた大刀をかたぐ。手覆、脚絆、白足袋、草鞋、大の花団扇、腰に数色の布のたくりを下げる(昔は螺貝を付けた)。
(4)太鼓打
 長白鉢巻、頬髭、胸当、白地帷子(背中に束ね熨斗の模様)、手覆、脚袢、白足袋、草鞋、腰に締太鼓を付ける。
(5)編木引
 衣装は太鼓打に同じ。首に編木を掛る。
(6)鉦打童子
 唐人笠、茶色の木綿筒袖の単物、紫地の袴、たくり帯、手覆、足袋、草鞋、合鉦をもつ。
(7)吹貫持
 白鉢巻、紺染の単物(袖に子持筋、背中に束熨斗の模様入り)、手覆、脚袢、白足袋、草鞋、吹貫(大輪ともいう)をかたぐ。
(8)側踊
 長白鉢巻、頬髭、胸当て、白地帷子(背に釘貫の奴紋)、朱鞘大小、手覆、脚袢、白足袋、草鞋、腰に黄色のたくり帯、花団扇を持つ。

歌詞

「初の一番」
年々参いる 千代久しきのお庭かなトウエイ
「初の二番」
ハアー 白金の籠に小鳥を百入れて白砂に掛けて かけてなぐさむ
「初の三番」
住吉の松に小鷹が巣をかけて遊ぶ処はあら見事 見事
「初の四番切」
おんじゃり若い衆お暇申す 明年参いろ 参いろ
「中の一番」
六角殿から珍重坊へのお引出物には何々の 先づ一番にどくこ・三こ・鈴・錫杖・花瓶、香炉・燭台・天目・見台・硯・檀紙・薄様・椙原なんどを引合せ唐の掛画が三幅一対お曳やろ お曳やろ
「中の二番」
珍重坊から六角殿へのお引出物には何々の 先づ一番に黒糟毛・粕毛・河原毛雲雀毛・つく毛・真黒・四つ白・額白・名馬揃えてお引やろ
「中の三番」
淀河の淀河の底の深きに 鯉鮒を袖も濡らさず とるは 不思議よ
「中の四番」
おんじゃり若い衆お暇申す 明年参いろ 参いろ
「後の一番」
空立つ鳥も おとさば おとせ(戻さばもどせ) 今おとせ
「後の二番」
宮島の 宮島の深仙の時雨はよい時雨 濡ては鹿が独りなぐさむ
「後の三番」
山伏の 山伏の 腰にさげたる法螺の貝 一吹ふけば国が治まる
「後の四番大切」
おんじゃり若い衆 お暇申す 明年参いろ 又参いろ
トウエイ イヤ サッサッサッ ソレサッサッサッ

画像

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