周南市安田の糸あやつり人形芝居
しゅうなんしやすだのいとあやつりにんぎょうしばい
周南市
県
民俗文化財
8月7日の和霊明神祭礼に、森河内の円通院境内で演じられる人形芝居。
江戸時代の元禄年間(1688~1703)、三丘領主・宍戸阿波守が、領内に市日を制定したが、以来、安田市は毎月21日に開かれ、諸国の商人や近郷からの人出で、大変賑わった。市日に集まる商人の中に、阿波の藍染め商人・松尾某がいて、文化(1804~1817)、天保(1830~1843)の頃、安田市の大黒屋に滞在して、領内の手織り木綿の取引や藍染めを業としながら、阿波の人形を手作りし、浄瑠璃とともに近隣に伝えた。安田村畔頭・竹屋勘兵衛らが伝授を受けて後世に伝えたのが、この糸あやつり人形である。
明治以後、安田市は次第にさびれたが、人形芝居は、安田独特の芸能として伝承され、和霊大明神の祭礼や大師縁日などに関係者が集まって開催されてきた。一時は途絶えていたが、1946年(昭和21)に、「三丘三和会」が作られて、郷土文化財としての保存と普及に努め、現在に至っている。
8月7日の和霊明神祭礼に、森河内の円通院境内で演じられる人形芝居です。江戸時代の元禄年間(1688~1703)、三丘領主の宍戸阿波守就附が定めた安田市に集まる商人の中の阿波の藍染め商人・松尾某が、文化(1804~1817)、天保(1830~1843)のころ、領内の手織り木綿の取引や藍染めを仕事としながら、阿波の人形を手作りし、浄瑠璃とともに近くの郷に伝えました。安田村畔頭の竹屋勘兵衛らが教えを受けて後の世に伝えたもので、明治以後、安田市はさびれましたが、人形芝居は、安田独特の芸能として伝えられ、和霊大明神の祭礼や大師縁日などに行われてきました。一時、途絶えましたが、1946年(昭和21)、「三丘三和会」が作られ、郷土の文化財として復活しました。
周南市安田の糸あやつり人形芝居
無形民俗文化財
昭和51年3月16日 (山口県教育委員会告示 第5号) 無形民俗文化財
周南市
周南市安田の糸あやつり人形芝居保存会
8月7日の和霊明神祭礼に森河内の円通院境内で演じられる。
(由来)
元禄年間、三丘領主宍戸阿波守就附は領内に市日の制定をしたが、爾来、宍戸領の中心部でお蔵元の安田市は、毎月21日が市日と定められ、当日は諸国の商人が集まり近郷の人出と相まって安田市は賑わいを極めた。
安田市の世話人(畔頭)の記録によると、市日には諸物資取引の店が軒並に開店し、地元では市中を流れる小流に「水からくり」や「出しもの」を造って「見せ物」にしたという。市日に集まる諸国の商人の中に阿波の藍染めの商人松尾某が安田に寄萬し、営業のかたわら阿波の人形を手作りして浄瑠璃とともに近隣に伝えた。文化、天保の頃、松尾某は安田市の大黒屋に寄萬し、領内の手織木綿の取引きや藍染めを業とした。浄瑠璃を稽古する者がふえ、安田村世話人竹屋勘兵衛、(畔頭)田中屋熊吉、木綿屋半衛門、大黒屋亀吉、若松屋伝兵衛等が伝授を受け後世に伝えている。
明治改暦以来、諸改革が行われて、安田市も新暦で毎月21日となったが、次第にさびれるに至った。しかし、人形芝居は安田独自の芸能として伝承され、付近の和霊大明神の祭礼や大師縁日などに関係者が相寄って開催して来たものである。大正末期から昭和初期にかけて、戦争中は中絶の形となっていた安田の人形芝居を復活するため、伝承者尾崎馬之助及び同素一、岡野英吉、末松好衛門、安永儀三郎、藤本勘一、三輪与兵衛、末兼連の諸氏が努力し、さらに三丘産業組合(組合長 有馬貢氏)が農村文化振興のため三丘文化協会を組織して人形芝居の保存に当たった。
戦後、世相混迷のとき、素人芝居大いにはやり、昭和21年1月、三丘村の関係者が集まり、「三丘村三和会」を組織して郷土文化財としての人形芝居の保存と普及につとめた。
浄瑠璃については明治・大正時代に活躍した元大阪文楽座の太夫、竹本源福太夫(島田出身)や竹本品太夫(下松出身)等を招いて稽古にはげみ、さらにまた戦時中より疎開していた文楽座の三味線弾き・豊沢仙作師また下松市の竹本絃千賀師について学び、現在まで三和会を存続している。
大阪文楽座の人形芝居を、糸あやつり、1人づかいの小型にしたものである。
即ち浄瑠璃(義太夫節)の演奏にあわせて糸あやつりにて人形をつかう形式。ふつう4~5人でつかう。
義太夫節の戯曲ならたいていの物は上演できる。おもな物をあげれば次のとおりである。
三勝・酒屋の段、太功記十段目、お染久松野崎村、千本桜道行、朝顔・宿屋・大井川、菅原寺児屋、三十三間堂・平太郎住家の段、安達原・袖萩祭文の段、堀川(猿廻し)、先代萩・御殿の段、壺坂、一谷・熊谷陣屋の段、阿波鳴門
人形は、頭と衣装とも45cm内外、頭は長さ7cm、幅5cm前後、人形の多くは頭の部分のみ桐ででき、腹部は厚紙、両腕と脚は布、両手先と足は木で作られ糸は5本を丁形の撞木棒に首と両耳の上部を、別に30cmほどの金属棒2本(それぞれの一端を連結して支点とし、自由に開くようにできている)に両手先を結ばれた2つの糸もとによってあやつられる。
一部の立役の人形には両足もついているが、その他の人形には両足はついていない。また「忠信」の人形には「ぶっかえり」や「ひきぬき」の手法も操作できるようにしてある。(義経千本桜道行初音の旅) 舞台では横1.8m、奥行53cmの組立式の「および腰舞台で、人形箱とともに運搬容易である。舞台前面は横1.5m、高さ64cmの長方形の額縁になっている。正面後に背景幕をつるす。上述のように小型であるため、劇場向きではなく、舞台効果は余りのぞまれないのに反し、小型でどこへでも持ち運びが容易であるため、座敷や公開堂、寺院の1間等の小規模の場において、特にその効果を発揮する。
[楽器]
三味線(太棹)・拍子木・太鼓・鉦
○出雲系あやつり人形(および腰舞台、古型小型人形のもの)
○大型系あやつり人形(本脚場舞台)
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