俵山女歌舞伎
たわらやまおんなかぶき
長門市
県
民俗文化財
4月23日の熊野神社祭礼に奉納されるほかにも、随時、公演されている歌舞伎芝居。
1851年(嘉永4)8月の火災で焼けた俵山温泉の復興の際に、熊野神社への祈願と入湯客への謝罪のために開かれた歌舞伎興業一座が、それを機縁として、各地での巡業を終えると、俵山へ帰って来て、熊野神社に芝居を奉納するようになった。休養をとっては巡業に出向いていたが、西南の役後、この地に住み着くようになったと言われている。
一座は、佐賀の中村福時の流れを汲むものと言われ、女性ばかりで組織し、「雛勝芝居」、「俵山女歌舞伎」などと呼ばれて、現在も、その芸を伝えている。
4月23日の熊野神社祭礼に奉納されるほか、いつでも公演されている歌舞伎芝居です。
1851年(嘉永 4)8月の火災で焼けた俵山温泉が復興した時に、熊野神社への祈願と入湯客への謝罪のために開かれた歌舞伎興業の一座が、それ以来、各地での巡業を終えると俵山へ帰って来ては、神社に芝居を奉納するようになり、1877年(明治10)の西南の役の後、この地に住み着くようになりました。
一座は、女性ばかりで作られていて、「雛勝芝居」、「俵山女歌舞伎」などと呼ばれ、今も、その芸が伝えられています。
俵山女歌舞伎
無形民俗文化財
昭和51年3月16日 (山口県教育委員会告示 第3号) 無形民俗文化財
長門市
俵山女歌舞伎保存会
4月23日熊野神社祭礼に奉納するほか、随時公演する。
嘉永4年8月の火災で焼けた俵山温泉に復興に際し、熊野神社への祈願と入湯客への謝罪の意味から開かれた歌舞伎興行の一座が、これを機縁として各地での巡業を終ると俵山へ帰り熊野神社へ芝居を奉納して休養をとっては巡業に出向くようになり、西南の役後ついに土着するに至ったといわれる。
この一座は佐賀の中村福時の流れをくむものといわれ女ばかりで組織されて、雛勝芝居、又は、俵山女歌舞伎と称されて現在もその芸脈を伝えている。
浄瑠璃三番雙、太功記十段目、本蔵下屋敷、時雨の炬燵、先代萩老後正岡、梅野吉兵衛長吉殺し、野崎村お染久松、忠臣蔵七段目、朝顔日記、壺坂霊験記、神霊矢口の渡し、八百屋お七、千本桜道行、関取千両、本町綱五郎糸屋騒動、江戸鏡山故郷錦絵、一条太蔵卿、御所桜三段目、一の谷嫩軍記、新吉原揚屋の段、義経千本桜、春日の由来良弁杉、三十三間堂棟木の由来、鎌倉三代記、艶容女舞衣半七酒屋の段、摂州合邦ケ辻、玉藻の前三段目(狂言・法界坊、つり女、京人形、お光狂乱)
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