陶の腰輪踊
すえのこしわおどり
山口市
県
民俗文化財
8月28日に、陶の八雲神社(荒神社)の神事として境内で舞われる踊り。八雲神社に所蔵されている「当屋名寄帳」によると、およそ400年以上前から、念仏踊りとして行われていたことが分かる。また、1842年(天保13)の「風土注進案」によると、この踊りは、6月土用3日に、腰輪踊りという名称で、子供が舞い、陶や名田島の社寺を巡っていたことが記述されている。
この踊りは、馬の病難除けを祈るための舞いで、踊り子が御幣を下げた竹の輪を腰に着けて踊るので、「腰輪踊り」と呼ばれ、午の年にだけ踊られていたという記録もある。腰輪踊りは、県内各地で、「念仏踊り」、「楽踊り」、「カンコ踊り」、「なむおーぜん」などと言われるものが踊られているが、陶のものは、他のものと比べて、動作が小さく、単調な踊り方が特色となっている。
8月28日に、陶の八雲神社(荒神社)の神事として境内で舞われる踊りです。およそ 400年以上前から、念仏踊りとして行われ、1842年(天保13)には、6月土用3日に、腰輪踊りという名前で、子供が舞い、陶や名田島の神社や寺を巡っていたようです。この踊りは、馬の病難除けを祈るための舞いで、踊り子が御幣を下げた竹の輪を腰に着けて踊るので、「腰輪踊り」と呼ばれ、午の年にだけ踊られていたという記録もあります。
陶の腰輪踊
無形民俗文化財
昭和51年3月16日 (山口県教育委員会告示 第3号) 無形民俗文化財
山口市
陶腰輪踊保存会
古くは毎夏の土用3日に山口市陶の八雲神社の社頭で行われていた。古記録では、陶、名田島の社寺をめぐったように書かれているが、現在は8月28日に八雲神社の神事として八雲神社境内の一カ所のみで踊る。
現在陶の地に鎮座の八雲神社(荒神社)に所蔵されている永禄元年(1558年)から書きつがれている当屋名寄帳に、……荒神念仏頭……と記されていることから、約400余年前から念仏踊りとして、この踊のあったことがうかがわれる。
天保13年に書かれた風土注進案には「六月土用三日腰輪おどりと申して子供の頭へ厚き紙にて十二支をこしらへ、是をかぶりて竹の輪へ紙を切張付、太鼓二人鉦十二人持是を打鳴し無言にておどり、陶名田島五社、山王宮、荒神宮、明神社三神社、正護寺を回り申候」とその状況を説明している。また江戸時代の荒神社の記録「諸道具当屋受渡帳」には鉦10丁、太鼓2個、布2筋、腰輪竹12などとこの踊りの道具のひきつぎが記されていて、踊が存続していたことを証している。
まず、親鉦、とうどり、踊子の順に輪をつくる。踊る順序は第1周めにはカン、カン、カン、カンと鉦をたえまなく打って輪を左廻りに1周する。この時輪の全部の者は中央をむき、ひらいた右足を左足にそろえ、又左足を出して廻るのである。2周めにかかると今度は、カン、カーン、カン、カン、カーンと鉦を3つたたいて1つ間をとる。足は右足を左足後にひき順次に1廻りする。3周めにはカン、カン、カ、カン、カン、カン、カ、カンいう風に鉦をうち、その度ごとに踊り子はぐるっと1周まわりながら、踊りの輪を1周する。1周、2周、3周とも、とうどりは太鼓を鉦と同じに打ち、動作も他の踊り子と同様である。さて4周めになると、鉦は1回のときと同じにうつが、とうどりは輪にそうてまず7歩あるき、そこにとまって太鼓を、トントコドッコイ・トコドッコイとうち次には6歩あるいて同様に太鼓をうつ。そして更に5歩、4歩………といって最後にはトントコドッコイ、トコドッコイとたえまなくうちならして輪の中央に2人出て、そこで太鼓をうちながら、鶏の蹴合いの様子を3回する。それが終るととうどりはもとの輪に帰って、踊は一応終了する。踊に要する時間は約25分位である。踊子の腰につけている竹の輪には、12枚の御幣をさげているが、この御幣は持ち帰って馬小屋の前にさげると馬が病気をしないといわれているので、見物の者は踊子の隙をみてもぎとり、家に持ち帰る。
親鉦1人、とうどり2人、踊子12人の計15人。
親鉦というのは左手に鉦(径15.5cm)をもち、右手に木の小槌をもって、頭上に厚紙でつくった龍の型のものをいだいている。とうどりとは頭鶏か頭取の字をあてるものかとおもわれるが、2人がそれぞれ中太鼓(径37cm位)を肩からかけた白布で胸の前につくり、これをたたくばちを両手にもつ。頭上には厚紙でつくった雄鶏の型のものをつけている。踊子12人は左手に鉦、右手にそれをうつ木の小槌をもつが、鉦は親のものよりやや小さく、径13cm位である。親鉦、とうどり、踊子のそれぞれは御幣をさげた竹の輪を腰につけている。
この踊は馬の病難よけ祈祷のためといわれているが、前記の永禄文書によると第1回が永禄元年戊午、第2回が元亀元年庚午と午歳のみの行事となっているようであるから、古くは馬の病難よけとして午の年にだけ行われていたと思われる。なお腰輪おどりの名称は踊子が御幣をさげた竹の輪を腰につけて踊るからのことであるが、一名念仏踊ともいった。このことは前記の永禄文書によっても知られまた明治15年に書かれた八雲神社当屋祭り規則のうち「願解大念仏踊り子賄は云々」とあったりすることでわかる。腰輪踊は陶以外に県下各地にあり、念仏踊、楽踊、カンコ踊、なむおーぜんなどという名称でよばれており、踊も多少の違いがある。そのうちで陶の腰輪踊は他にみられるほど動作も大きくなく単調な踊り方であるが、このことはかえって古風を存しているものではないかと思われる。
なお陶の近くで山口市鋳銭司の今宿に腰輪踊があった。風土注進案には「八月朔日、八幡宮、鷹の河内社、今宿の弁天社、住吉社にて今宿の者腰輪踊おどり仕候」とみえている。しかしこれは昭和16年に踊ったのを最後に、戦争中鉦などを供出して道具をなくし、今は行っていない。今宿の腰輪踊は陶のそれとは多少ちがいがあり、輪の中で踊る者は陶のように2人でなく、長い棒をもった2人が加わって4人である。今宿の踊も最近復活しようとしている。
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