木造不動明王坐像
もくぞうふどうみょうおうざぞう
柳井市
県
有形文化財
鎌倉時代
柳井市無動寺の本尊である。ヒノキ材の寄木造りで、水晶をはめた玉眼である。像高は87.5cm。総髪で弁髪を左肩に垂らしている。右手に宝剣、左手に羂索(けんさく)をとり、不動明王に専用の、瑟瑟(しつしつ)座という、岩を形式化した台座の上に坐している。不動明王の目は、鎌倉時代頃から、天地眼(てんちがん)という、右目は全開、左目は半眼という形式のものが多くなるが、この像は両眼を全開している。銅製の胸飾りや腕くしろをつけている。制作は13世紀鎌倉時代後期頃と考えられる。現在彩色が厚く塗ってあるので、木寄せについてはよくわからない。光背は二重円光で、外側に火焔光が付いている。
この仏像は、柳井市無動寺の本尊です。
ヒノキ材の寄木造りで、胸の飾りは銅でできています。
仏像の高さは88cm、つくられたのは鎌倉時代とおもわれます。
不動明王(ふどうみょうおう)の目は、鎌倉時代ごろから、右目は全開、左目は半眼という形式のものが多くなりますが、この仏像は両眼を全開させています。
木造不動明王坐像
彫刻
昭和41年6月10日(山口県教育委員会告示 第5号)
宗教法人 無動寺
鎌倉時代後期
一躯
桧材寄木造り
像高 87.5㎝
光背総高 166.6㎝
火炎 166.7㎝
頂上~顎 30.0㎝
髪際~顎 18.3㎝
面幅 17.6㎝
耳張 22.1㎝
面奥 25.5㎝
臂張 63.8㎝
膝張 73.3㎝
膝高 15.2㎝
膝奥 55.0㎝
台座総高 53.5㎝
作者は毘首羯麿、日本三躰の一にて日赤不動尊と云われる。
不動明王は、インドのヒンズー教の湿婆神が仏教に取り入れられたものといわれ、やがて、大日如来の使者となって真言行者を守護とするものと考えられるようになった。不動とは大寂静の意味で、煩悩妾想に動揺しないことをいい、その姿は悪魔や煩悩を押える力を表現している。
不動明王の信仰と造像は、密教の興隆とともに盛んになったもので、観音信仰とならんで庶民の間に広く行き渡った。
無動寺は琳聖太子の開基と伝え、鎮守に北辰妙見を祠り、古くは大内氏に縁のあった寺で、小早川氏や毛利氏の祈願所となったいわれのある寺院と伝えられる。
無動寺は寺伝によれば、推古天皇時代百済国の王子琳聖太子、三明王二仏を当国に将来し、当所小池山に堂宇を建て不動明王並に制叱迦、衿羯羅の二童子を安置し祠ったのを草創とする。北條、足利の時代は最も隆盛を極め、坊舎12宇、寺領300石を云う。毛利氏の時代に至っても其の尊崇厚く、寺領8石を投施せらる。寺領についての防長風土注進案所載の古文書1、2を摘記すれば、
無動寺ノ儀ハ如前之可被之由承之於此方聊不可有奈儀候〔 〕
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