山口県の文化財

指定文化財の検索

文化財の概要

文化財名称

木造十一面観音菩薩立像

文化財名称(よみがな)

もくぞうじゅういちめんかんのんぼさつりゅうぞう

市町

山口市

指定


区分

有形文化財

時代

平安時代

一般向け説明

 山口市の大林寺境内にある観音堂の本尊で、秘仏である。カヤ材の一木造り、像高は96.5cm。頭体部ともに前後二材をあわせ、内ぐりがなされている。頭上には10面の化仏があったのが、今はすべて欠失している。左手はまげて、手の平を前にし、第一・二・三指の先をつけ、右手は垂下して手の平を前にして同様の印をむすぶ。面相の眉や髪などを墨で、くちびるを朱で描くが、他は素木(しらき)のままである。胎内に墨書銘があり、治承2年(1178)に僧禅忍十輪房が作ったものとわかる。地方作であるが、全体に時代的特色がよく出ている。平安時代の仏像で、造像年月や作者がわかるものは大変珍らしい。

小学生向け説明

 山口市の大林寺にある観音堂の本尊です。
 カヤを材とした一木造りで、仏像の高さは97cmです。
 前後二材をあわせ、内ぐりがなされています。
 頭上には10面の化仏がありましたが、今はすべてなくなっています。
 象のなかに墨で書かれた文字があり、1178年に僧禅忍十輪房が作ったものとわかります。
 地方作ですが、全体に時代的特色がよく出ています。
 平安時代の仏像で、仏像をつくった年月や作者がわかるものは珍らしく、貴重なものです。

文化財要録

要録名称

木造十一面観音菩薩立像

指定区分・種類

彫刻

指定年月日

昭和44年2月4日(山口県教育委員会告示 第2号)

所在地

山口市朝倉町3番14号

所有者

宗教法人 大林寺

制作等の年代又は時代

平安時代末期 治承2年(1178)

員数

一躯

製作者

僧禅忍十輪房

品質及び形状

 頂上に仏面、天冠台上に10面をいただき、地髪前面をまばら彫にし、白毫を画く。彫眼、耳朶環、三道を彫り、条帛、天衣をつける。天衣は膝前で二段とし、裳は三段折返しとする。左手屈臂、掌を前にして立つ。第1・2・3指を捻じ、右手は垂下して掌を前にし、同様の印を結ぶ。両手とも臂釧、腕釧をきざみ、裳裾は両足首を覆い直立する。
 カヤ材、一木造。頭躰部ともに前後二材をあわせ、内刳を施す。頭上面はほぞ差し、左臂、左手首及び左右の上膊背面外側ならびに右手前膊内側を矧ぎ付ける。台座は蓮肉を残し、一材製上面に蓮実をあらわす。
 白毫、朱書、頭髪、眉、瞳、眼の縁、髭、垂髪等を墨彩、唇に朱、目頭、目尻に胡粉をおく。
 頭上面すべて欠失、矧目がゆるみ、天衣遊離部、右手第3・4指半ばより先、右上膊背面外側部矧木等欠失、左脛内側、右脛外側に孔がある。
 光背及び台座の蓮肉を除く他の部分欠失。

寸法又は法量

像高 96.5㎝
頂上~顎 16.7㎝
髪際~顎 11.6㎝
面幅 11.7㎝
耳張 14.1㎝
面奥 14.1㎝
臂張 31.5㎝
裾張 25.8㎝
足先開 15.2㎝

銘文

像内背部につぎの墨書がある。
治承二年戊戍四月十八日壬午申時始造之
同潤六月十三日乙巳作畢
仏師僧禅忍十輪房生年四十一歳戊午年生人
為滅罪生善極楽往生也

参考情報

 本寺は古く吉敷郡小俣に創建されていたリョウ巌寺が、寛永年間に今の地に移転し寺号を改めたものである。昭和4年8月火災のため、本堂庫裡などが焼失した。この観音像は寺から離れた別の地にあったものであるが、管理が不便であるため後年この地に移されたものである。

地図

画像

木造十一面観音菩薩立像 関連画像001

木造十一面観音菩薩立像 関連画像002

木造十一面観音菩薩立像 関連画像003