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文化財の概要

文化財名称

木造大内盛見坐像

文化財名称(よみがな)

もくぞうおおうちもりはるざぞう

市町

山口市

指定


区分

有形文化財

時代

室町時代

一般向け説明

 山口市洞春寺に蔵されている。ヒノキ材の寄木造りで、総高は78cm。円頂(えんちょう)で玉眼、法衣を着し袈裟(けさ)をかける。両手はひざ上で重ね、各第一指の先をつけ、禅定印をむすんでいる。彩色はよく残るがすべて後補である。大内盛見は義弘の弟で義弘の死後当主となり、防長豊筑の守護となった。大陸ともさかんに交易して、大内文化興隆の素地をつくった。1431年、筑前で戦死をしたので、山口の国清寺を菩提寺として葬った。盛見の画像は山口常栄寺に蔵されているものがあるが、この木像と同じ姿態である。国清寺は江戸時代には常栄寺となり、明治になって洞春寺となった。当寺に盛見像がつたわるゆえんである。

小学生向け説明

 山口市の洞春寺(とうしゅんじ)にあります。ヒノキを材とした寄木造りで、像の高さは78cmです。室町時代につくられました。
 大内盛見は義弘の弟で義弘の死後26代の当主となり、周防国・長門国・豊前国・筑前国の守護となりました。大陸ともさかんに貿易して、大内文化興隆の素地をつくりました。1431年、筑前で戦死をしたので、山口の国清寺を菩提寺として葬りました。
 盛見の画像は山口常栄寺にありますが、この木像と同じ姿態です。
 国清寺は江戸時代には常栄寺となり、明治になって洞春寺となりました。当寺に盛見像がつたわる所以です。

文化財要録

要録名称

木造大内盛見坐像

指定区分・種類

彫刻

指定年月日

昭和52年11月11日(山口県教育委員会告示 第7号)

所在地

山口市水の上町5番27号

所有者

宗教法人 洞春寺

制作等の年代又は時代

室町時代

員数

一躯

品質及び形状

 円頂、前頭部の中央が盛り上がったように尖がり、頭を天辺から後頭部にかけて極端に扁平で、異形である。額には3本の皺を刻む。眼を大きく見開き、鼻は大きく鼻頭を下に向ける。唇は薄く小さな口元を引き締めている。ほほ骨は高く、顎を張り角張った顔貌である。法衣を着し、その上に紐吊りの袈裟を懸ける。両手は屈臂して膝上で掌を仰ぎ、右手を下にして重ね第1指の指先をつける。いわゆる禅定印を結び、曲ロクの上に結跏趺坐する形である。
 桧材の寄木造。頭部は前後2枚矧ぎとし、襟際で頭部を躰内に差込む。躰部は前後2枚矧ぎとし、両肩から裾に至る躰側部(上前膊部を含む)をそれぞれ矧ぎつける。膝前(下前膊部を含む)は横1材で彫出し、躰部に寄せ、両手首から先は別材とする。膝前の垂裳部は前面に横2材を上、下に矧ぎ、左右両端に竪各1材を矧ぎつけている。全体に大きく内刳りを施す。膝の両側地付部および垂裳の最下部に後補の補材がある。彩色は頭部は薄い墨色、顔面、両手首から先は肉色彩とし、眉は墨描、口唇は朱彩とする。法衣は朱一色とし、袈裟は切り交ぜで、條葉は墨彩、田相はネズミ色とする。彩色はすべて後補。

寸法又は法量

総高 78.0㎝
像高 55.0㎝
頂上~顎  15.3㎝ 
面幅 11.6㎝
耳張り 13.4㎝
面奥 15.9㎝
肩張り 34.5㎝
臂張り 41.0㎝
胸奥 18.8㎝
腹奥 21.0㎝
膝張り 48.7㎝
膝高 11.0㎝
膝奥 39.2㎝
裾張り 52.6㎝
膝前の垂れ(右側) 22.1㎝

銘文

膝前の裏中央に次の墨書がある。
「森田
    大佛師善右衛門」

参考情報

 盛見は義弘の弟で、義弘の死後26代の当主となった。防長豊筑の守護となり、また大陸ともさかんに交易をして、大内文化興隆の素地をつくった。応永11年(1404)臨済宗国清寺を創建し、祖先の菩提を弔うところとした。盛見は永享3年(1431)筑前深江で戦死をしたしので、国清寺を菩提寺として葬った。国清寺は江戸時代に常栄寺となり、明治になって洞春寺となった。当寺に盛見の像が伝わっている所以である。盛見の画像は、常栄寺に蔵されているものがあるが、この木造はそれと同一の姿態である。大内家当主の像としては義弘とこの像のみである。

地図

画像

木造大内盛見坐像 関連画像001

木造大内盛見坐像 関連画像002