鉄宝塔(水晶五輪塔共)
てっぽうとう(すいしょうごりんとうとも)
防府市
国
国宝
鎌倉時代
高さ301.3㎝、全体が五輪塔に近い形をした鋳鉄製の多宝塔。直径61.4㎝の塔身部の内部に、舎利(釈迦の遺骨)を納めた高さ13.9㎝の水晶五輪塔を安置する。台座の四面には、中心に梵字を記し、その左右に創建当時の阿弥陀寺の四至(境界)や本尊・堂塔・諸社の由来、造東大寺大勧進和尚(俊乗房重源)以下の連名による願意、鋳工などの名前が浮き出た文字で記されている。平重衡らによって焼打ちされた奈良東大寺の再建に尽力した俊乗坊重源が、1197年(建久 8)、大仏を鋳造した草部宿祢是助らとともに造ったものである。
鎌倉時代の1197年、奈良の東大寺を建て直すことに力をつくした俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)らが鉄でつくった多宝塔です。高さは301.3㎝あります。多宝塔は釈迦(しゃか)や多宝如来(たほうにょらい)という仏をおさめるためのもので、この鉄宝塔の中には舎利(しゃり=釈迦の遺骨)をおさめた水晶五輪塔(すいしょうごりんとう)が置かれています。
鉄宝塔(水晶五輪塔共)
国宝(工芸品)
明治35年7月31日(内務省告示 第55号)
昭和29年3月20日追加
防府市大字牟礼1869番地
宗教法人 阿弥陀寺
鎌倉時代 建久8年(1197)
一基
俊乗坊重源 鋳大工草部宿禰是助以下
〔鉄宝塔〕
鋳鉄製。総体五輪塔に近い形態で水輪に相当する部分を胴張りある円塔状の龕となし、舎利を納入せる水晶五輪塔を奉安する。風空両輪に相当する部分には、寛文年間の修理銘(別記)ある相輪を上げているが別記基壇の銘文に「多宝十三輪鉄塔」とある如く、本来の様相に従ったものと推定される。尚現在龕の扉、相輪の隅棟飾鎖、風鐸等を逸している。基壇の四方には別記の如く金剛界四佛の種子を中央に銘文が鋳出され、当寺の四至、諸堂建立の意趣・壇越並に鋳工の氏名等が詳細に記されている。
〔水晶五輪〕
水晶製。地水輪と火風空輪の二つの部分より成り、舎利は水輪内に納置されている。火輪の三角錐状を呈することは著しい。これは重源関係遺品に多く見るところである。空輪の殆ど球状を呈することが注目される。
〔鉄宝塔〕
総高(相輪とも) 301.3㎝ 相輪高 140.0㎝ 屋蓋幅 96.9㎝ 塔身径 61.4㎝ 基台高 42.0㎝ 基台幅 90.2㎝
〔水晶五輪塔〕
高さ 13.9㎝
阿弥陀寺鉄宝塔銘
<東面>
涅槃経日佛塔十三重 北限山峯
律日相輪十三 浄土堂
傅日金盤十三 奉安阿弥陀丈
周防国佐波郡牟礼郷 六像一躰
南旡阿弥陀佛銘 附持齋戒念佛
四至 衆十二口
東限山峯 多宝十三輪鐡塔
南限大路辰巳経尾未申多多良界 奉納五輪水精塔
西限多多良山界 釋迦真舎利七枚
(阿如来種子)
<南面>
経蔵
鐘樓 右當山者是大和尚位
六葉鐘一口竪三尺口一尺八寸 南旡阿弥陀佛宋朝此
護法神社 域名地霊所造寺起塔
八幡 熊野 春日 其之一也於是不断之
金峯 山王 白山 修念佛遠限未来縣内
食堂 之割地薗住侶資供然
浴室 則僧伽也州郡之以檀
釜一口闊六尺 那為外護邦人也寺塔
(寶生如来種子)
鐵鋳一千斤
<西面>
之就霊威宜祈願但州 少勧進大徳観西
裏之盛衰偏寺塔之崇 大徳照圓
否重請勿舎之矣伏願 奉行
吾与知識以此良因悉 目代法橋上人位證中
艤慈船於香海皆導芳 大徳仁教
駕於花宮云耳 大檀那
建久八年丁巳十一月二十二日 國吏 留守所
本願造東大寺大勧進 多々良氏 日置氏 大原氏
大和尚位南旡阿弥陀佛 源氏 大中臣氏 上氏
(無量寿如来種子)
<北面>
土師氏 賀陽氏 菅野氏 同寺供養
中原氏 佐波氏 胡氏 建久六年乙卯三月十三日
安部氏 矢田部氏 鋳大工従五位下行豊
伴氏氏等後胤招継 後権守草部宿弥是助
寺社檀那遐邇不堕 従五位下同助延
造東大寺杣始 従五位下同是弘
文治二年丙午四月十八日 執筆円運
同寺上棟 文字彫 舜估 慶尊 若〔 〕
建久二年辛亥十月十九日
(不空成就如来種子)
<露盤修理銘>
寛文二 十一月五日 大工郡司讃岐次男同木工允作當住權大僧都法印良恵
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