銅鐘
どうしょう
岩国市
県
有形文化財
鎌倉時代
いつの頃からか吉川家の菩提寺である岩国・永興寺にあったが、1684年(天和4)、岩国藩主吉川広紀の命により極楽寺に返されたという言い伝えのある鐘。
全体の高さ105.8㎝、口外径61.0㎝で、鎌倉時代の1272年(文永9)に造られた。
上帯・下帯ともに文様がなく、撞座は崩れて形がはっきりしていないが、「周防国玖珂庄新寺 文永九年十一月 日 大工依継 願主明真」という銘文がある。
極楽寺は二井寺山の頂にあり、「新寺」とも称していた。聖武天皇の勅願所となったという言い伝えのある寺でもある。
鎌倉時代の1272年に、依継という人が造った銅の釣鐘です。全体の高さが約106㎝、口の直径は61㎝です。長い間、岩国の永興寺にありましたが、岩国藩主・吉川広紀の命令で極楽寺に返されたと言い伝えられています。極楽寺は二井寺山の頂上にあり、新寺とも呼ばれ、聖武天皇の命令で国の安泰などを祈った所となったと伝えられる寺です。
銅鐘
工芸品
昭和41年6月10日(山口県教育委員会告示 第5号)
岩国市周東町用田866番地
宗教法人 極楽寺
鎌倉時代 文永9年11月(1272年)
一口
依継
上帯、下帯とも無文、乳4段4列、撞座はつきくずれて、その形状が明らかでない。撞座の中心までの高さは21.07㎝と比較的高く、駒の爪は0.8㎝と出が小さい。上帯の上部に1.1㎝角の穴がある。
総高 105.8㎝
龍頭高 21.0㎝
笠形高 6.4㎝
鐘身高 81.0㎝
口辺外径 61.0㎝
同内径 49.2㎝
周防国玖珂庄新寺 文永九年十一月 日
大工依継 願主明真
この鐘いつのころよりか、年久しく岩国永興寺にこれあり。然るに元来、当山の鐘ゆえ、天和4年甲子の2月18日、廣紀公の厳命によって再び当山にかえると伝えり。
極楽寺は高森南方約4km、海抜250mの二井寺山頂にあり、天平年間に玖珂群大領秦皆足が開創し、のちに聖武天皇の勅願所となったとの所伝がある。
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