銅鐘
どうしょう
平生町
県
有形文化財
鎌倉時代
鐘身の高さ72.0㎝、外径56.0㎝の鋳銅製の鐘。上帯・下帯に文様はないが、銘文の中に「・・・周防国大野平郡阿曽社 洪鐘 嘉暦二夸丁卯三月八日 大工舟治国真・・・」と記されているので、鎌倉時代の1327年(嘉暦2)に舟治国真によって造られたことがわかる。阿曽社は大野八幡宮の社坊松蓮寺の鎮守であったが、明治維新後の神仏分離によって、石城山式内三社大権現(石城神社)別当職・神護寺が廃寺となり、松蓮寺と合併して現在地に移った。松蓮寺が神護寺の寺号を称することになったので、そのまま伝えられているものである。
鐘身の高さ72㎝、口の直径56㎝の、銅の釣鐘です。
鎌倉時代の1327年、舟治国真という人が阿曽社のものとして造りました。
阿曽社は、むかし、大野八幡宮の社坊である松蓮寺を災難から守る神でした。明治時代の神仏分離によって神護寺と松蓮寺が合併し、松蓮寺が今の地にうつって神護寺の寺号を名乗ることになったので、ここに伝えられています。
銅鐘
工芸品
昭和41年6月10日(山口県教育委員会告示 第5号)
熊毛郡平生町大字大野南1218番地
宗教法人 神護寺
鎌倉時代(嘉暦2年3月8日)
一口
【製作者】 舟治国眞
鋳銅、上下帯は無文、撞座は龍頭の軸線上にある。乳は4段4列。
龍頭高 16.5㎝
笠形高 5.2㎝
同径 41.0㎝
鐘身高 72.0㎝
外径 56.0㎝
内径 44.0㎝
諸行無常 是生滅法 生滅亡巳 寂滅為楽
一聴鐘声 當願無生 脱三界苦 見菩提
法身恒寂静 清浄無二扣 為度衆生故 示現種々形
願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道
周防国大野平群阿曽社 洪鐘 嘉暦二夸丁卯三月八日
大工舟治国眞 大願主佛子増慶敬白 沙弥道空
阿曽社は同郡大野八幡宮の社坊松蓮寺の鎮守であったが、維新後の神仏分離によって石城山式内三社大権現(石城神社)の別当職神護寺が廃寺となり、同寺と合併した松蓮寺が神護寺の寺号を称するに及んで、銅鐘もまた同寺の名義で伝えられているのである。
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