鉄錆塗二十八間総覆輪筋兜鉢
てつさびぬりにじゅうはちけんそうふくりんすじかぶとばち
岩国市
県
有形文化財
室町時代
元来、黒韋威胴丸と揃いのもので、安芸国(現在の広島県)の武田氏信が所用していたと伝えられる兜鉢。現在は錆漆塗りとなっているが、本来は32枚を張り合わせた黒漆塗りの筋兜鉢(はぎ合わせの部分を金属で覆い、筋状にしている)である。高さ12.2㎝、鉢の径は、前後23.2㎝、左右20.6㎝で、篠垂(しのだれ)という細い金メッキの筋金が前に3条と後ろに2条据えられ、頭頂部の八幡座は金メッキの魚子地(ななこじ=粟粒を並べたように、細かい粒を突起させたもの)に枝菊を高彫りにした円座に小刻みの裏菊と玉縁など5重になっている。腰には、神社等に見られるような斎垣(いがき)がめぐらされている。南北朝時代から室町時代初期にかけて作られたと推定されている。1541年(天文10)、安芸国銀山城が落城した後、城内にあったものを、毛利元就が欽明路峠の麓に移住していた武田小三郎に贈り届けたと言われている。
黒韋威胴丸と揃いのもので、安芸国(あきのくに=今の広島県)の武田氏信が使っていたと伝えられる兜鉢です。
南北朝時代から室町時代の初めごろのあいだに作られたとおもわれます。
1541年、安芸国銀山城が攻められて落城したあと、城内にあったものを、毛利元就が欽明路峠のふもとに移り住んでいた武田小三郎に贈り届けたといわれています。
鉄錆塗二十八間総覆輪筋兜鉢
工芸品
昭和42年7月4日(山口県教育委員会告示 第12号)
岩国市横山2丁目10番27号(岩国歴史美術館)
財団法人 岩国歴史美術館
南北朝時代~室町時代初期
一頭
〔材質〕 鉄錆塗
〔間数〕 二十八間総覆輪筋兜鉢
〔張数〕 32枚張
〔合目〕 前正面、後腰巻
〔篠垂〕 鍍金菊座に小刻座を重ね其の上に鍍金篠垂、正中三条、後中二条
〔八幡座〕 鍍金魚子地、枝菊高彫円座に裏菊二重小刻、玉縁
〔響穴〕 4個(鍍金小刻座に鳩目)
〔四天鋲〕 4点
〔高勝環〕 座無し鍍金菊頭環台に環付
〔眉庇〕 欠失
〔銘〕 鉢裏真向無銘、後中無銘
〔受張〕 欠失
〔〕 欠失
兜鉢高 12.2㎝(天辺穴~腰巻下縁 14.3㎝)
兜鉢径 前後 23.2㎝、左右 20.6㎝
頂辺孔径 前後 2.4㎝、左右 2.5㎝
腰巻幅 広 4.1㎝、狭 3.5㎝
この兜鉢は元来黒韋威胴丸に具していたもので安芸国武田氏信所用のものと伝える。天文10年5月安芸国銀山城(城主武田光広)落城後、城内にあったこれを毛利元就が周防国玖珂郡玖珂欽明路峠の麓に移住した武田三郎に贈り届けたものと言う。
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