鉄錆地六十四間筋兜鉢
てつさびじろくじゅうよんけんすじかぶとはち
岩国市
県
有形文化財
安土桃山時代
高さ13.4㎝、径は前後22.3㎝、左右20.7㎝で、錆漆を塗った64枚の台形の鉄板をはぎ合わせた部分が筋になっている兜鉢。眉庇(まびさし)は、当世眉庇と言われる戦国時代に流行したもので、中央には、三光鋲(眉庇を留める3つの鋲)の1つで、祓立(はらいたて)が固定されている。鉢裏正面の板に「宗家作」、後ろ中板に「天正六年十二月日」という銘がある。星兜の名残である四天の星が腰巻上の高い所にあること、また眉庇の固定のしかたなどが戦国時代以降の形式を帯びていることなどから判断して、安土桃山時代の作と考えられている。
宗家は明珍派宗家19代にあたり、名は久太郎で、近江国(現在の滋賀県)安土に住み、後に江戸へ移り住んだ。明珍は、平安時代に初代宗介が京都九条に住み、近衛天皇からその号を賜ったと言われ、甲冑師・鐔(つば)師としては名門である。
錆漆を塗った鉄板のはぎ合わせた部分が筋状になっている兜鉢です。
戦国時代に流行した日よけの小さなひさしが付いています。
鉢の裏正面の板に、「宗家作」という銘があり、明珍派宗家19代にあたる久太郎という人が安土桃山時代に作ったものと考えられています。明珍は、平安時代に初代宗介が京都九条に住み、近衛天皇から号を賜ったと言われ、甲冑師(かっちゅうし。鎧や兜を作る人)・鐔師(つばし。刀の鐔を作る人)としては名門の家です。
鉄錆地六十四間筋兜鉢
工芸品
昭和42年7月4日(山口県教育委員会告示 第12号)
岩国市横山2丁目10番27号(岩国歴史美術館)
財団法人 岩国歴史美術館
戦国時代以後の形式を帯びて安土・桃山時代
一頭
〔材質〕 鉄錆地
〔間数〕 六十四間筋兜鉢
〔張数〕 64枚張
〔合目〕 前正面
〔響穴〕 4個
〔四天鋲〕 4点
〔高勝環〕 欠失
〔三光鋲〕 鉄錆地丸頭鋲
〔眉庇〕 鉄錆地出眉庇
〔銘〕 鉢裏真向宗家作、後中天正六年十二月日
〔要害板〕 各長 4.6㎝、各幅(広)1.4㎝、(狭)1.0㎝
〔立物台〕 鉄錆地祓立台
〔受張〕 欠失
〔〕 欠失
兜鉢高 11.9㎝ (天辺孔~腰巻下縁 13.4㎝)
兜鉢径 前後 22.3㎝、左右 20.7㎝
頂辺孔径 前後 2.2㎝、左右 2.1㎝
腰巻幅 広 2.2㎝、狭 2.0㎝
鉢裏真向に「宗家作」、後中に「天正六年十二月日」の銘がある。
宗家は明珍派宗家19代にあたり、名は久太郎、近江の安土に住み、のち江戸に移り住んだ。明珍は平安時代に初代宗介が京都九条に住み、近衛天皇からその号を賜わったものといわれ、甲冑師、鐔師の家としては名門である。
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