神上寺銅矛
じんじょうじどうほこ
下関市
県
有形文化財
弥生時代
弥生時代後期(紀元1~2世紀)の青銅製の中広形銅矛で、長さ76.7㎝、重さ1300g。
神上寺の寺伝によると、古くから霊山として信仰されている華山(713m)の山頂付近から出土したとされ、江戸時代には4本あったが、現在そのうち1本のみが寺宝として伝えられている。
国産の銅矛の出土は北九州地方に集中し、その鋳型の出土地も北九州地方に限られている。よってこの銅矛は北九州で造られ、弥生時代後期にこの地持ち込まれたと考えられる。この銅矛は県内唯一の例で、弥生時代の副葬品として埋められた風習がこの地に及んだことを示す例として貴重である。
弥生時代後期(紀元1~2世紀)の青銅製の中広形銅矛で、長さ76.7㎝、重さ1300gです。神上寺の言い伝えによれば、古くから霊山として信仰されている華山(713m)の山頂付近から出土したとされ、江戸時代には4本ありましたが、現在そのうち1本のみが寺宝として伝えられています。
国産の銅矛の出土は北九州地方に集中し、その鋳型の出土地も北九州地方に限られていることから、この銅矛は北九州で造られ、弥生時代後期にこの地持ち込まれたと考えられています。
神上寺銅矛
考古資料
昭和53年3月31日 (山口県教育委員会告示 第1号)
下関市豊田町大字江良624番地
宗教法人 神上寺
弥生時代中期~後期
一口
長さ 76.5cm 青銅製矛形祭器
関部上方の両側刃部が欠損している。背上の鎬は明瞭で、袋部根元の節帯は1段。耳は扁平で孔がなく、耳の中央と節帯の段が位置的に対応する。したがって、中広形銅矛として分類されている型式に属するものである。
寺伝によれば、出土地は華山山頂附近という。出土状況及び遺跡の詳細は不明である。墳墓以外の特殊遺跡(祭祀跡)から出土したと考えられ、北九州以外の地方で発見される銅利器の埋納意図と同じ性格をもつものと思われる。
江戸時代には4口あったといわれるが、たびたびの移転等により行方不明となり、後滝壺から引き上げた1口が本件であるといわれている。
なお、4口とも同じ型式をもつものであり、『防長原史時代資料』に失われた2口の図版が集録されている。
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