心光寺古墳出土品
しんこうじこふんしゅつどひん
下関市
県
有形文化財
古墳時代
下関市豊浦町の心光寺裏山にある心光寺古墳は、1931年に発掘された古墳時代後期(6世紀)の古墳である。遺物は第2号古墳の出土品で、陶質土器(朝鮮製)4、鉄のやじり11、鉄刀2、鉄短刀1、鉄のつち1、馬具(クツワ )1、須恵器1などがある。
古墳時代後期の典型的な副葬品のセットとして貴重であり、なかでも陶質土器や鉄のつちは埋葬された人物と渡来系鍛冶工人との関係をうかがわせるもので、朝鮮半島との交流を知る貴重な出土品といえる。
保管は下関市長府郷土博物館。
下関市豊浦町の心光寺裏山にある心光寺古墳は、古墳時代後期(6世紀)に築かれた古墳です。
遺物は第2号古墳からの出土品で、陶質土器(朝鮮製)4、鉄のやじり11、鉄刀2、鉄短刀1、鉄のつち1、馬具(クツワ )1、須恵器1などがあります。
古墳時代後期の典型的な副葬品のセットとして貴重なもので、陶質土器や鉄のつちからは、埋葬された人物と朝鮮半島との交流もうかがうことができます。
心光寺古墳出土品
新羅系陶質土器
鉄鏃
鉄刀子
耳環
鉄刀
鉄鎚
馬具(轡)
棒状鉄器片
考古資料
昭和55年4月11日 (山口県教育委員会告示 第2号)
下関市長府川端1-2-5(下関市立長府博物館)
下関市
(新羅系陶質土器) 四個
(鉄鏃) 一一本
(鉄刀子) 一口
(耳環) 一個
(鉄刀) 二口
(鉄鎚) 一個
(馬具<轡> 一組
(棒状鉄器片) 五片
(1) 新羅系陶質土器 4個
番号/器形/口径(cm)/器高(cm)/品質・形状等
1/器蓋/10.5/4.4/胎土に雲母を含み、全体に黒味がかった青灰色。ロクロは左回転。天井部内面に鉄銹付着。
2/器蓋/11.0/4.8/胎土は1と類似。ロクロは左回転。口縁部の製作タッチも1と類似。
3/器蓋/12.8/3.6/胎土に石英粒を含み、全体に灰色を帯びる。ロクロは整形で右回転、調整で左回転。
4/器身/9.7(受部径12.0)/4.4/胎土に細かい黒色粒を含み、全体に黒色を帯びる。ロクロは左回転。
1・2・4は胎土・形状等が類似し、同一の工人・同一窯の産と思われる。3は胎土・形状が他とは異なり、工人・生産窯の違いを感じさせる。
(2) 鉄鏃 11本
身部が断面三角形で、片面に鎬が通る鎬造鑿箭式に属するもの3本。平造圭頭鑿箭式と呼ばれるもの1本。茎に木質が銹着しているのかつぎから茎にかけての破片2本。4本の鏃が銹着して一塊となっている平造五角形式と呼ばれるもの1本。
(3) 鉄刀子 1口
身部から茎にかけての破片で、現在長55cm、身幅1.0~1.3cm。茎部に木質が銹着。
(4) 耳環 1個
外法径 3.0cm、内法径 1.7cm、断面径 6.5mm、突合部間隙幅 2.5~3.0mm。銅地金張。一部に銹化が認められるが、金筒の遺存度は良好。
(5) 鉄刀 2口
①現存長30.0cm、茎長17.0cm、刀身幅4.0cm、茎幅2.5cm、鍔の長径9.0cm(推定)、短径7.5cm(推定)……茎に2個の目釘穴があり、刀身は断面三角形で関は片関である。関部には鞘の小口金具が銹着する。鍔は倒卵型で、方形の透孔があく。
②現存長21.5cm、茎長19.0cm(推定)、刀身幅4.0cm、茎幅2.5cm 鍔の長径9.0cm(推定)、短茎7.5cm(推定)……刀身は断面三角形で関は片関である。関部には鞘の小口金具が銹着している。鍔は楕円形で透孔の存否は不明。
(6) 鉄鎚 1個
縦20cm、横4.0cm、厚さ4.0cmの直方体、下端は中央部がやや突出して丸味をもち、上端は平らに作られている。鎚の中央部には柄を装着するために縦3.6cm、横2.0cmの長方形の孔がうがたれている。柄は鉄製で、一部は孔中に残存している。
(7) 馬具(轡) 1組
銜、引手、鏡板からなる。いずれも丸鉄棒を曲げて作った簡単なものである。銜は径9~10mmの丸鉄棒2本を環を作って連ねたもので、全長20cmの二連式である。引手は径9~10mmの丸鉄棒を使用し、両端を曲げて環をつくり、銜に連結している。鏡板は、銜、引手と同様に丸鉄棒を円形に曲げて作った素環で、立聞の存否は不明である。鏡板の直径は7.5cm。
(8) 棒状鉄器片 5片
現存長22.5cmと同19.5cmとの二つに復元でき、断面はともに矩形である。
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