三隅の腰輪踊
みすみのこしわおどり
長門市
県
民俗文化財
毎年9月16日に、長門市市と三隅八幡宮前庭で舞われる踊り。
いつ頃から行われたものかは分からないが、1691年(元禄4)に記され、1784年(天明4)に書き改められたという「八幡宮祭礼定桟敷割絵図」によると、江戸時代初期には、いろいろな芸能が、八幡宮に奉納されている。
山口県内に広く行われている「楽踊り・念仏踊り・諫鼓踊り」などと同じ種類のもので、歌詞を伴わずに、楽だけで踊られている。現在、4つの楽が伝えられている。
人々の健康、牛馬の安全、作物の豊かな実りなどを祈って舞われるが、「この踊りは、雨乞いのためにも踊られる。」という古老の言い伝えもある。
毎年9月16日に、長門市市と三隅八幡宮前庭で舞われる踊りです。いつごろから行われたものかは分かりませんが、江戸時代の初めごろには、八幡宮に奉納されていたようです。山口県内に広く行われている「楽踊り・念仏踊り・諫鼓踊り」などと同じ種類のもので、歌詞はなく、楽だけで踊られ、今は、4つの楽が伝えられています。人々の健康、牛馬の安全、作物の豊かな実りなどを祈って踊られますが、「この踊りは、雨乞いのためにも踊られる。」という古老の言い伝えもあります
三隅の腰輪踊
みすみのこしわおどり
無形民俗文化財
昭和52年3月29日 (山口県教育委員会告示 第2号)
長門市
三隅町腰輪踊保存会
毎年9月16日 長門市市 三隅八幡宮の前庭
いつ頃から行われたか判らないが、元禄4年(1691)8月14日に記されたものを、天明4年(1784)8月に書き改めたという「八幡宮祭礼定桟敷割絵図」なるものが現存し、すでに江戸初期には諸芸能が八幡宮に奉納されている。安政年間(江戸時代末期)に書き留められた三隅八幡宮所蔵の「八幡宮并寺社由来家譜控」によると、「祭日之儀者八月十五日・十六日執行仰せつけられる。…十五日は腰輪等四楽……十六日は流鏑馬…田楽…獅子舞神式相済御還幸之事」云々とある。現在はその祭日が新暦9月16日に変更されたが、かつては祭日当日は8月15日・16日の仲秋の名月にあたり、放生会も行なわれた。
山口県に広く行われている楽踊・念仏踊・諫鼓踊と同種の歌詞を伴わない楽だけの踊りである。現在三隅町には四楽が伝わり、上中小野・下中小野・麓辻並の上地区から一楽、市・中村・大竹・正楽寺の中地区から一楽、豊原から一楽、浅田、沢江、上ゲの下地区から一楽が奉納される。
同じ踊りでも楽毎にその踊り方に多少の差異がある。すなわち多少の緩急や、優美に見せ、面白く踊るもので、上地区のものは「鬪鶏」、中地区のものは「月の前の伶楽」、豊原のものは「獅子の洞入り」、下地区は「虎の子渡し」の名称をつけ、その名にふさわしい踊り方を古来から伝承して来たのである。
例年四楽出場してその技を競ってきたが、昭和37年以来二楽ずつ隔年交代制となった。
イ.当屋(楽総代)1名 以前は村役や高年齢で踊りの役を退いたものが引受け、経費の全部を負担し、一切の世話をした。紋付羽織で踊りの先頭に立つ。
ロ.後見人1名 踊り役を退いたものがあたる。踊役が踊庭に勢揃いしたとき踊組の前へ出て庭誉めの祭文を述べる庭誉の役を行う。羽織・袴・裃を着用。
ハ.警固4名 踊役を退いたものが主としてあたる。踊りの隊形の南東・南西・北西・北東に位置し警備に当たる。紋付袴を着用、手に奉書をまいた青竹の杖を持つ。
ニ.胴取(太鼓打ち)2名 踊の主役で胸に吊るした太鼓をバチで打ちながら踊る。頭には花冠をかむり、法被・大口・手甲・白足袋・草履をつける。胸には太鼓をつるし、背中に五色紙で飾った腰輪をつける。
ホ.団扇使2名 胴取りの先導役。胴取の所作を指導するようにしてあおぎ立てて踊る。紺絣単位に立付け袴をはき、黒の手甲に白足袋、草履ばき、黒繻子の帯で袴掛け、腰には美しい布を数本巻き垂らし、塗り笠をかむり、太刀を一本帯びる。団扇はいずれも握り太の青竹をさいて、これを骨にし白紙を貼り、周辺を色紙で美しく飾りつける。
ヘ.鉦打ち10名 少年の役。胴取、団扇使いの周辺に円陣を組み直径25cmばかりの鉦を持ち、この両役の所作に従いこれをはやすように打ち鳴らす。周辺に色紙を垂らした菅笠をかむり、筒袖紺絣の単衣に袴をつけ小腰輪を帯にさしこみ、五色の垂れをつける。
胴取-袖のない白法被、白のかみしも、白の浅葱の袴、白足袋、草履、花冠、太鼓、枹、腰輪
団扇使い-紺絣単衣、立付け袴、黒手甲、白足袋、草履、黒繻子の帯の襷、腰布塗笠、太刀、団扇
鉦打ち-筒袖紺絣単衣、袴、菅笠、小腰輪、鉦、撞木
県内の風流踊には歌詞を伴うものと、楽打ちだけのものがあるが、楽打ち系のものが多い。三隅の腰輪踊は長門市深川の楽踊と同系のものである。歌詞を伴わぬ楽打ちの方は勢いとんだり、はねたりすることが多く急調子で踊らねばならぬ場合が多いので、主役の胴取はその技術と共に体力を必要とする。重い花笠を冠っている為に体のこなしにも非常に熟練を要する。また踊りを美しく見せる為には太鼓の打ち方とともに花冠の揺り方にも工夫が必要である。この胴取を指揮する役目は団扇使いの団扇の指し方によって示される。団扇使いは胴取と呼吸を合せることが必要である。一踊りのうちで4回程高潮に達する時がある。「はがえ」というのは太鼓が両方よっているところを団扇で敲くことを言うが、この時機を見て団扇使いは「ソウイ」という掛声と共にさっと団扇を引くと、胴取はそれに応じてくるりと向きを変えて離れる。このような場面が一つの見せ場である。この場合胴取2人は鶏の蹴合いのような所作をするのも一つの妙技である。
イ.道行きと隊形 宮参りともいい、祭礼当日当屋の門前に勢揃いし、半楽踊る。その後胴取を中心に簡単な酒肴を受け景気をつけて、神酒・肴をつめた重箱をさげた当屋組員を従えて神社に練りこみ、神前控所で奉納順番をきめ準備をする。隊形は次の通りである。
ロ.踊り庭への練りこみ
出番が来ると道行きの隊形で「庭からめ」の太鼓と鉦を打ちながら進む。踊庭に来ると左から円を画きながら踊り隊形になり、社前に対して整列する。
ハ.お祓い 整列すると後見人の指揮で神前に一礼して神官のお祓いをうける。
ニ.庭誉め 後見人が庭誉め祭文の奉上を行う。祭文は次の通り。
東西東西 先ずもってこれはみごとな御庭かな 天下泰平 国家安全の御庭にて候 しからば本日三隅八幡宮の御祭礼につき 万民息災 牛馬安全 五穀豊穰 立願祈念のため腰輪踊一と庭踊らせばやと存じ候 役者残らず不調法者にてございますれば いささか さわりましょうとも神明勘忍なされ納受くだされませ 各様方も心静かに見物なされ候
ホ.踊り方 後見人の合図で全員中心に向きをかえる。先団扇の合図で踊りを始める。その踊り方は次のとおり(月の前の伶楽)市の胴取の要領を示す。
踊り終えて神前に進み拝殿に入って次の踊り組みの参入を待つ。こうして全部の踊り組が到着し終ると全部揃ってお祓いをうけ奉納のことを報告する。この時各踊り組から捧げた神酒は、その全部を一つの丈片口に移して相混合し、四楽(二楽)仲よくこれを頂くことになっている。休憩した後また前のように神前で一楽踊って道行の隊形で去って行く。地元にもどった踊り組はまず当屋をはじめとして、それぞれの習慣に従って昔の鎮守神等に向って一楽ずつ踊ってその年の奉納を終る。
この腰輪踊は「雨乞い」にも踊られることは古老の語ることである。
昭和55年度 文書記録作成
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