木造千手観音菩薩立像
もくぞうせんじゅかんのんぼさつりゅうぞう
下関市
県
有形文化財
平安時代
下関市豊浦町三恵寺の本尊である。ヒノキ材の一木造りで、像高は113cm。頭上に化仏(けぶつ)10面を置き、合掌手、宝鉢手の外、左右の脇手は各19手で、42手形の千手観音である。面部、体部とも素木(しらき)であるが、頭髪は群青、眉、眼のふち、ひとみ、口ひげなどは墨、口には朱などの彩色がある。手や指、持ち物には後補の部分が多い。下ぶくれの豊かな面相、しのぎたつ眉、眼のふち、くちびる、小鼻の切れなど力強い彫りのさえを見せている。ひざ下の衣紋は古風なところが見られるが、その彫りは浅い。制作は平安時代後期、11世紀末から、12世紀初頭頃のものであろう。
下関市豊浦町にある三恵寺の本尊です。
ヒノキを材とした一木造りで、仏像の高は113cmです。
化仏10面と、42手をもつの千手観音です。
つくられたのは平安時代後期で、1100年前後とおもわれます。
木造千手観音菩薩立像
彫刻
昭和54年12月4日 (山口県教育委員会告示 第7号)
下関市豊浦町大字川棚5000番地
宗教法人 三恵寺
藤原時代(平安時代後期)
一躯
真言宗三恵寺の開基は、同寺所蔵の「長門国三箇寺記」(執筆年代は不明)によれば、延暦年間(782~806)である。同記はまた、本像について延暦8年(789)8月、西海より当地に浮木1本流れ来り、これをもって観音をなせば諸願成就と告げ、これによって仏師6人、番匠28人で造作されたものと伝える。伝説の域を出るものではないが、本像は真言宗古刹の所産であると思われる。
【形状】
垂髻。髻頂に仏面を置き、髻の周囲に4面、地髪部に5面の頭上面を配し、正面に化仏立像を置く。天冠台をつけ、台下正面の地髪はマバラ彫りとし、その他は平彫りとする。白毫相をあらわす。彫眼とし、耳朶は環、三道を刻む。頭に冠飾り、胸前に胸飾りをつける。四十二臂型(合掌手、宝鉢手、左右の脇手各19手あて)をあらわし、全手ともに手首に釧をつける。条帛を左肩から右脇を通ってかけ、先端部を左背面及び左胸前で反転して垂らす。天衣を両肩から垂らし、腰から膝の上下をめぐり、合掌手の下膊部の内側を通って外側に出し、体に副って垂下する。裳(二段折返し)をつけ、足をわずかに開いて揃え、蓮台上に立つ。 桧材の一木造り。頭体を竪一材から彫出し、頭部は耳のうしろ、体部は襟際から裾下までを通して大きく割矧ぎ、内刳りを施す。頭上仏は全て矧付け。白毫は水晶を篏入。合掌手と宝鉢手は体部とともに彫出するが、両脇手は背面に肩から合掌手の上膊部にかけて取付けた副木に臂で矧付ける。持物は全て別材。両足先も別材矧付け、体部と共木で彫出した足で立つ。腕から外側に垂れる天衣は別材矧付け。
面部、体部とも全体は素木であるが、頭上仏、本体とも頭髪は群青彩、眉・目の縁・瞳・口髭・顎髭を墨描とし、口唇には朱彩を施す。彩色は全て後補。
銅製鍍金透彫りの冠飾りおよび胸飾りは後補。そもそも天冠台があれば宝冠はいらぬものである。前立の化仏も後補で、もとは菩薩像であったものを後補の際阿弥陀仏としたものと思われる。頂上仏も後補。右腕手は3手を除き全て後補。左手は8手を除き後補。錫杖、戟をはじめ脇手の持物も全て後補。足先後補。外に垂下する天衣後補。宝鉢手はじめ脇手の指先はほとんど後補。
膝前下方の天衣中央下に5×2.8cmの楕円形、同じく天衣下向って右方に径およそ5cmの円形の穴があって、それぞれ補修している。
像高 113.0cm 体奥 21.5cm
頂上~顎 27.7cm 裾張り 28.0cm
面長 11.3cm 頭上仏面の頂上~顎 5.4cm
面幅 10.8cm 頭上仏面の面幅 3.3cm
耳張り 13.7cm 頭上面の頂上~顎 5.4cm
面奥 16.0cm 頭上面の面幅 2.9cm
臂張り 30.8cm 足先の開き 15.3cm
脇手張り(最大) 64.4cm
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