金銅薬師如来坐像懸仏
こんどうやくしにょらいざぞうかけぼとけ
下関市
県
有形文化財
鎌倉時代
面径31.0㎝の薄い円形の銅板の中央に、別に鋳造した高さ14.3㎝の薬師如来坐像を貼り付けた懸仏。上部2カ所に鐶座を設けて、吊り鐶で懸垂するようになっている。全体に青錆がよく着いているが、頭光や仏像の首の下などに金メッキをした痕跡があり、蓮台の下などには銀メッキの痕跡が見られる。
この懸仏で特に注目されるのは、裏に付いている杉板に墨で書かれた銘文である。それによると、鎌倉時代の1298年(永仁6)正月に彦(豊前修験道の霊地・英彦山)から持って来られたもので、正月7日の卯刻(午前6時)に英彦山を出発し、8日の申刻(午後4時)に吉永八幡宮に着いたと記されている。吉永八幡宮の創建年代は分からないが、鎌倉鶴ケ岡八幡宮から勧請したと伝えられている。
直径31.0㎝の薄く丸い形をした銅の板の中央に、溶かした銅を型に流しこんで造られた高さ14.3㎝の薬師如来坐像を貼り付けた懸仏です。
上部2カ所で吊り下げるようになっています。
裏に付いている杉板に、「鎌倉時代の1298年正月に、彦(豊前国英彦山)から持って来られたもので、正月7日の卯刻(午前6時)に英彦山を出発し、8日の申刻(午後4時)に吉永八幡宮に着いた」ことが墨で書かれています。
金銅薬師如来坐像懸仏
工芸品
昭和54年12月4日 (山口県教育委員会告示 第7号)
下関市豊浦町大字吉永1058番地
宗教法人 吉永八幡宮
永仁6年(1298)
一面
【構造・形状】
円形の薄い銅板の中央に別鋳半肉の薬師如来坐像を貼付け、上部2ケ所に鐶座を設け吊鐶によって懸垂する形をとる。
像容は肉髻を盛り上げ、螺髪は表わさない。右手は屈臂して右胸前にたて、左手は屈臂して左膝上で薬壺を執る。衲衣は左肩からかけ、少し右肩をおおう形(偏袒左肩)に着し、頭光を負って蓮台上に結跏趺坐する。
本体は蓮台とともに銅の一鋳からなり、衲衣の衣文、蓮台の蓮弁(三段魚鱗葺き)の縦筋などは毛彫りとし、全体に鍍金を施している。薬壺の奥に小穴が2個あって、それは鋳損じと見られ、また右膝奥の裏側に小補鋳を施した箇所がある。頭の最上部と蓮台の最下部中央に本体と同鋳のがあって、頭光を通して鏡板に差込み、鉄釘で留めている。
頭光は1枚の円形の薄い銅板からなり、鍍金を施す。中心に単弁8葉の蓮華座をあしらい、四方に放射光を表わす。蓮華座の八弧形の中房、花芯、縦筋をつける花弁は蹴彫りとし、放射光は毛彫りとする。
鏡板も1枚の円形の薄い銅板からなり、銀鍍金を施し、外周に同じく銅板からなる覆輪をつけ、背面に杉板をとりつける。仏像の本体と台座に当るところはその形にそって切り抜かれ、杉板に「やくし」と墨書する。覆輪は鐶座間を一つ、それ以下を一つとして2区からなる。覆輪と杉板とは上下左右ほぼ同間隔に4ケ所、鐶座の上に各1ケ所、計6ケ所で鋲留めし、杉板上には鋲留めのところに1cm角ほどの銅のあて板を置く。
鐶座は花形で、吊鐶を通す突起部ともども銅の一鋳からなり、表面には花形に副って花弁様の文様を毛彫りする。
全体に青錆が顕著であるが、頭光は比較的よく鍍金がのこり、仏像の首下、衲衣の襞、蓮台の一部にも鍍金の痕が認められる。また鏡板の頭光の下、仏像・蓮台の下には銀鍍金のあとが明らかにのこっている。
面径 31.0cm 覆輪幅 0.9cm
像総高 14.3cm 覆輪の厚さ 0.7cm
像高 11.7cm 鐶座高(突起部を含む) 14.2cm
像の出 2.5cm 鐶座幅 5.0cm
台座幅 8.7cm 突起部の孔径 0.5cm
頭光の径 10.2cm 裏板径 30.7cm
裏板の墨書銘
「永仁六年戊戌正月七日彦ヨリ御出
内正月七日卯時内八日吉永ニ申時御下
大願主大貳阿闍梨円全
大願主平郡安行」
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