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文化財の概要

文化財名称

岩国行波の神舞

文化財名称(よみがな)

いわくにゆかばのかんまい

市町

岩国市

指定

国選択

区分

記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財

一般向け説明

 周防に伝承される神楽の一つで、地元では、願舞または神楽と言われている。毎年10月14日に、小神楽として、荒玉社境内で一部が奉納され、7年毎の4月には、大神楽として、錦川河原に4間(約8m)四方の神殿を組み、神殿の北25間(約50m)離れた所に高さ13尋半(約14.5m)もある登り松を立てて、全曲目(15の舞)が奉納される。この神舞は、室町時代以降に京都地方で発生し、だんだんと西に進んで来て、当地に伝えられたと言われているが、一説には、荒神神楽で、豊後国(現在の大分県)から大島郡を経て平生町曾根に入り、瀬戸内の山間を北上してきたものの一つであるとも言われている。太鼓、横笛、手拍子に合わせて舞いが演じられるが、他の神楽と呼び方を異にしているとおり、演舞の様式が他の系統の神楽とは異なり、地方的特色の濃いものである。記録によれば、1814年(文化11)に、荒玉神社の氏子に伝授されたことになっている。

小学生向け説明

 毎年10月14日に小神楽として、荒玉社境内で一部が奉納され、7年おきの4月には大神楽として、錦川河原で神殿を組み、登り松を立てて、15の舞の全曲目が奉納される神楽です。地元では、願舞または神舞といわれています。太鼓、横笛、手拍子にあわせて舞が演じられますが、他の神楽と呼び方が違っているとおり、舞いの様式が他の神楽とは違っています。江戸時代の1791年ごろに、黒杭宮の神主から教えを受けて伝えられたのではないかと考えられています。

文化財要録

要録名称

岩国行波の神舞

指定区分・種類

記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財として選択されたもの

指定年月日

昭和51年12月25日 (文化庁 第259号) 「記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財」として選択

所在地

岩国市行波

時期及び場所

 毎年10月14日荒玉社境内で一部を奉納、7年目毎の4月に錦川河原で全曲目を奉納する。

由来及び沿革

 この神舞は、室町時代以後、京都地方において発生し、漸時、西進して当地方に伝えられたといわれているが、一説によればこの神舞は荒神神楽で豊後の国より大島郡を経て海を渡り平生町曽根にはいり、瀬戸内の山間を北上したものの一つであるともいわれている。記録によるとこの神舞は文化11年(1814)に荒玉神社の氏子が伝授をうけたことになっているが、それ以前、南河内近延の黒杭宮、同角の長田宮、北河内下の三上宮の神官たちがおこなっていた神主神楽(その神楽舞は神主たちが上方から習ってきたということになっているが、黒杭宮の勧請が寛政3年(1791)におこなわれているから、その頃、この地方で伝授したものであろう。)があり、それを黒杭の神主から習い、初めは神主とともに舞っていたものを、明治2年に氏子だけで舞う里神楽になった。

内容

 「願舞」の時には前夜に神殿で湯立・火鎮および一部種目の奉納を行い、当日は早期から演舞者全員で錦川で潔斎し、ついで荘厳(神殿入り)を行ない、漸次12座を演ずるほか、八関(八席ともいう)を奉納する。これに要する時間は、15時間にも及ぶ。八関は舞者26人、楽士2組の10人で、いわゆる演技者全員で参加する。
(1)荘厳(神殿入り)
 舞子全員が神殿入りして祓いを受ける。
(2)六色幸文祭(六色又はえびす舞)
 3人1組で2組前後に出て舞う。最初の組が謂(祭之)を語る。
(3)諸神勧請(勧請)
 4人。白衣に格衣(赤色)、はかま、白足袋を着し、頭に烏帽子。又、着幣ゆうたすきをつける。採物は舞鈴・扇。これまでが、神迎えの儀式とされる。
(4)注連灑水(灑水)
 4人。白衣に黒衣(黒の紋付)、烏帽子、はかま。タクリ1本巻き、腰幣をつける。
行波の地は錦川に沿い昔から洪水に悩まされ、治水を願った舞である。
(5)荒霊豊鎮(荒神舞)
 4人。衣は灑水に同じだが、四季を示すノボリを腰にさし(青・赤・白・黒の色で示す。)刀をさす。これを四剣というが、他にもどき(神種)、薙刀の舞がある。もどきはもどき面をかぶり、男根を持つ。
(6)真榊対応内外(内外)
 勧請と同じ衣。長さ1m程度の舞幣を持つ。なお、内外の始る前に柴鬼人一匹が出る。
(7)日本紀(国すくい舞)
 一人舞。翁面をかぶる。格衣は青色。尉の舞ともいう。
(8)天津岩座(岩座)
 四人がまず出て、東西南北で舞う。勧請と衣は同じ。これにアマノウズメノミコトが八乙女面、青格衣、付髪をつけ、タヂカラオノミコトが黒衣、赤白タスキ、鬼面、鬼ウチワをつけ、大神(アマテラスオオミカミ)が神明面(姫面)、赤衣、右手に月、左手に日を持って出る。大神は子供である。
(9)弓箭将軍(将軍)
 悪魔払いの3人舞。黒衣、赤白タスキ、腰幣に弓を持つ将軍とタスキなしで大刀をもつ、一童・二童が出る。
(10)三宝鬼人(三鬼人)
 鬼面をつけた三鬼と直面の奉吏の舞。
(11)五龍地鎮(地鎮)
 東方太郎王子、南方二郎王子、西方三郎王子、北方四郎王子、小童、六郎兵衛(部眷僕――通称六郎兵衛面をつける)、五郎王子(鬼面)、文選(翁面)が出る。
(12)愛宕八幡
 東・西に寄って舞う二人舞。
 以上は毎年の荒玉社の奉納舞であるが、7年毎の願舞では次の3つが加わる。なお、舞おさめは、時によって地鎮止めか、岩座止めになるが、願舞は岩座止めである。
(13)湯立
(14)火鎮
(15)八関の舞(松の舞)
 湯立・火鎮は前夜に行なう行事である。八関の舞は舞子26人で演ぜられる。神殿より舞子による舞が演ぜられ、鬼は八関(小屋がけした小さな部屋)に閉じこめられ、最後に白装束・白ハチマキの荒神が松に登り神くじによって三方に引かれた大なわの一つをきめて、それをつたわって降りる。八難を超えていく人生を表わしたものだと土地の人はいい、この神舞中の圧巻である。

設備・衣装・用具

(1)衣装
 格衣・黒衣・白衣・ゆうたすき・はかま・白たび等。
(2)採物
 幣・鈴・しゃくじょう・太刀・なぎなた・弓・矢・鉾・ようらく・風折烏帽子
(3)面
 鬼面
 神種面  ひょうげた面で、子孫繁昌を意味する男根を持つ。
 部眷僕  六郎兵衛面と通称している。
 翁面   日本紀の国すくい面。文選も同じく用いる。
 女神面  神明(大神)面は大。八乙女面は小さいが同型。 7年目毎の願舞には錦河原に四間四方の神殿を組み、神殿の北25間離れた所に高さ13尋半もある登り松を立て、前夜祭には、この神殿で湯立・火鎮と一部の曲目を奉納する。奉納時間は15時間である。

音楽

 楽器は太鼓・横笛・てびょうし。

特色

 行波でおこなわれている神楽は地元では願舞または神楽といっているという。神舞ということばは山口県では玖珂郡南部・熊毛郡・大島郡に分布し、県外では大分県・宮崎県に分布を見ている。神楽といっていないことに留意したい。これは芸州神楽、石州神楽などと系統を異にするものと考えられる。呼称が違うように、演舞の様式を見てもその系統を異にするものである。
 演目の曲目を12種行なうことから12の舞とよばれる神楽が周防北部山地にひろく分布しており、その根元は島根県にも分布を見る大元神楽とも同系のもので、事実、12の舞を大元神楽とよんでいる地もあり、行波の神舞は演目15で、一見12の舞の系統に属するように思われ、また、12の舞の呼称もあるが、その演舞の様式から見て、演目の中には12の共通するものがありつつ別系統のものと見られる。
 行波の演舞様式に最も近いものとしては、祝島の神舞がある。祝島の神舞は大分県東国東郡伊美八幡宮の神職社人が大体5年毎に伊美から海を渡って来て祝島の宮戸八幡宮の祭事に小屋掛(神殿)をして舞うものである。この神舞は、祝島から長島の四代を経て大島郡屋代に伝えられいまも同型の神舞がこの地から日見に伝えられ日見におこなわれている。(これには異説もあるが長島四代の伝承をここではあげておく)平生町曽根の神舞も屋代のものに近いが、演目の上から見ていくと、むしろ日見と行波とは共通している。ただ日見には松登、八関舞がないのに対して、曽根にはそれがある。八関舞、松登は石見系の神楽にも見られるところであり、行波神舞が大元神楽と違うといっても元初の演舞の様式において違うのであって、長い間に演目の交流複合のあるのは当然のことである。

参考情報

 平成7年4月1・2日実施の次第概要
①荒玉社神移し(神事)
②湯立(神事と神楽)
③火鎮(神事と神楽)
④六色幸文祭(神楽)
⑤緒神勧請(神楽)
⑥注連灑水(神楽)、以上初日
⑦降神の儀(神事)
⑧六色幸文祭(神楽)
⑨緒神勧請(神楽)
⑩注連灑水(神楽)
⑪日本記(神楽)
⑫真榊対応(神楽)
⑬荒霊豊鎮(神楽)
⑭八関(神楽)
⑮愛宕八幡(神楽)
⑯弓箭将軍(神楽)
⑰三宝鬼神(神楽)
⑱五龍地獄(神楽)
⑲天津岩座(神楽)
⑳昇神の儀(神楽)、以上2日
  

画像

岩国行波の神舞 関連画像001