防府天満宮の石大鳥居
ほうふてんまんぐうのいしおおとりい
防府市
県
有形文化財
江戸時代
防府市松崎町の防府天満宮の参道入口に建つ。花崗岩製で、中央部高さ5.78m、柱間内側幅4.43m、笠木総長7.32mの大鳥居である。
この鳥居は、1629年(寛永6)に、参道の一の鳥居として、長州藩初代藩主の毛利秀就の寄進によって建立されたもので、左右の柱に藩奉行名、三田尻町奉行名、宮司名、さらに世話人、石工名などが刻されている。石工名は薩州住木賀兵衛尉とあり、小工讃州塩飽島住人五人などとある。木賀兵衛尉は薩州の人であるが、塩飽島で石工の技を学んだらしい。塩飽島にも木賀兵衛尉の建立した鳥居が二基ある。県下には木賀兵衛尉銘の鳥居が外に三基あり、秀就夫人の五輪塔も同人作である。この鳥居は山口県下では在銘年号の石鳥居としては最も古いものであり、貴重な史料である。
防府市にある防府天満宮の参道入口に建っています。中央部の高さはおよそ6m、柱の間は約4.4mもある大きな鳥居です。
この鳥居は、江戸時代の1629年に、長州藩初代藩主の毛利秀就(もうりひでなり)の寄進によって建立されたものです。左右の柱に、藩奉行の名前と三田尻町奉行の名前、宮司の名前、さらに世話人、石工の名前などが刻まれています。この鳥居は、銘のある石鳥居としては県内で最も古いものとされています。
防府天満宮の石大鳥居 1基
建造物
昭和59年11月2日(山口県教育委員会告示 第3号)
防府市松崎町69番地
宗教法人 防府天満宮
江戸時代初期、寛永6年(1629)10月
一基
大工 木賀兵衛尉(薩州住) 小工 塩飽島(香川県)の住人5人 肝煎(世話役) 宮本吉右衛門
【法量、材質、形状及び特徴】
法量 最高高さ 619.0cm 中央部高さ 578.2cm 柱間内側最大幅 443.0cm 笠木総長 732.0cm 貫下高さ 437.0cm 柱間内側(貫部)幅 386.0cm
材質 花南岩製(産地不明)
形状及び特徴
防府天満宮の一の鳥居として、参道入口に建つ。前の道路は旧山陽道。江戸時代初期の建立の鳥居としては、古い形状をよく備え、古風である。特徴として、次のことがあげられる。
(1)鳥居の高さに比べて柱間が広く、全形のプロポーションとして重厚で安定した感じを与える。柱の状況から当初は地表面が現位置よりも約45cm高かったと思われる。
(2)笠木を一石で造り、その厚さが両端と中央でほとんど同じで、いわゆる反増が顕著でない。
(3)笠木、島木の両端が地面に対して垂直に切られている。このような切り方を水切りともいう。
(4)笠木と島木(一石)は、柱の外側部分から強く反り上がる。
(5)笠木と島木は一石で作られている。
(6)柱が太く(柱間比1:7)転びが少ない。柱は円柱状で、上部において粽状にややすぼむ。
鳥居の形式としては、一般的な明神鳥居の形式に入るが、柱脚には礎盤がなく、掘立て柱形式をとる。
また、近世初期の明神鳥居の多くが、笠木と島木がともに襷切り(斜め切り)或いは笠木が襷切りで島木が水切り(垂直切り)になっているのに対して、防府天満宮の鳥居は、笠木と島木がともに水切りとなっており、さらに笠木が反増になっておらず、中世以前の形式をよく残している。
正面向って右柱
「當國大守大江朝臣秀就公御建立奉行益田玄蕃頭藤原元祥防府代官雑賀三郎兵衛藤原元相 原権左衛門尉源元勝」
正面向って左柱
「宮司大専坊誉執行圓楽坊良英 寛永六年己巳十月吉祥日 石大工薩州住吉賀兵衛尉同小工讃刕塩飽嶋住民五人肝煎同國住人宮本吉右衛門尉」
額来
「天神宮」
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