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文化財の概要

文化財名称

木造金剛力士立像

文化財名称(よみがな)

もくぞうこんごうりきしりゅうぞう

市町

山口市

指定


区分

有形文化財

時代

南北朝時代

一般向け説明

 山口市清水寺の山門に安置されている。共にヒノキ材の一木造り、内ぐりはほどこさない。眼は水晶を入れた玉眼(ぎょくがん)である。像高は阿形(あぎょう)が188.3cm、吽形(うんぎょう)が196.3cmである。阿形は口を開いて、右手はななめ下にさげて力み、左手には独鈷(どっこ)をもつ。吽形は口を閉じ、右手をひじから前にまげ、手の平を前にして五指を開く。右手は下方にさげてこぶしを作っている。共に両手は肩ではぎつけている。また天衣(てんね)は別材でつくられる。後世のもののように体部に無理な誇張はなく、彫りが深く重量感に富む。制作は南北朝時代とみられる。近年修理がなされ、後補の彩色はのぞかれ、当初の素地仕上げとした。

小学生向け説明

 山口市の清水寺の山門にあります。
 ともにヒノキを材とした一木造りです。
 眼は水晶を入れた玉眼となっています。
 像の高さは、阿形(あぎょう)が188cm、吽形(うんぎょう)が196cmです。金剛力士は、ふつう仁王(におう)と呼ばれています。阿形は口を開き、吽形は口を閉じています。
 作られたのは南北朝時代のものとみられます。

文化財要録

要録名称

木造金剛力士立像

指定区分・種類

彫刻

指定年月日

昭和56年3月24日(山口県教育委員会告示 第2号)

所在地

山口市宮野下1120番地

所有者

宗教法人 清水寺

制作等の年代又は時代

南北朝時代

員数

二躯

製作者

不詳

由来及び沿革

 清水寺のことが記録にはっきりするのは、建久6年(1195)9月の周防国国庁文書に
 清水寺院内 参町五段 田二十六段 畑九段
  四杢 東限寺山峯 西限里際 自営佐古縄手宗永
                      西垣根
      南限榑原茅山 北限堂後谷
とある。これにより少なくとも、鎌倉時代にはすでに清水寺が大寺として存在していたことを証することができる。
 室町時代の大内弘世の時、境内に鎮守杜山王大権限の社殿が造立された。内殿にある神牌に、応安七年甲寅三月一日とある。その後、大内盛見が堂宇の朽廃を歎き、これを修理し、さらに大内政弘の時、それまで天台宗であったのを真言密寺とした。この改宗にあたって、仁王門を重建したといわれる。

品質及び形状

【形状・品質・構造】
イ 阿形
 単髻を結ぶ。瞋目して斜め右下方をにらむ。玉眼を嵌入。開口して上下の歯をあらわす。鼻穴をうがつ。右手は臂を伸ばし、躰側の斜め右下方に張り出し、掌を下にして五指を開く。左手は臂を屈げて肩の上に振りあげ独鈷を握る。上半身は裸形、腰から下に裳(一段折り返し)をつける。腰の両側から天衣を垂らす。顔は斜め右に向け、腰を左にひねり、裳の裾を右方になびかせ、右足をやや右前にふみ出し、左足に重心をかけて岩座上に足柄で立つ。
ロ 吽形
 単髻を結ぶ。瞋目して斜め左下方をにらむ。玉眼を嵌入。閉口して口元をへの字に結ぶ。鼻穴をうがつ。右手は臂を屈し、斜め前方にあげる。左手は躰に沿って、垂下するが、わずかに臂を屈げ拳をにぎる。上半身は裸形、腰から下に裳(一段折り返し)をつける。腰の両側から天衣を垂らす。顔を斜め左に向け腰を右にひねり裳を左方になびかせ、左足をやや左前にふみ出し、右足に重心をかけて岩座上に足柄で立つ。
イ 阿形
 ヒノキ材の一木造り。宝髻、頭部、躰部を通して足柄をふくめて大部分を竪一材から彫出し、内刳りは施さない。右手は肩から手首まで一材で彫出し、肩で矧ぎつける。手は別材矧ぎつけとする。左手は肩、手首で矧ぎつける。裳の裾の両端、左足のふくらはぎの内側、左足のふくらはぎの両側、左足の膝上の裳のめくれ部、両足先など別材で補う。天衣は両腰の矧ぎつけ部を残してすべて欠落。右手の第一指をはぐ。同じく第三、第四指の指先を乏失し、第二、第五指は付根から欠失。右足第一指欠失。
 全身に砥の粉下地にして、麻布を貼り、白土下地して彩色を施しているが、ほとんど剥落している。宝髻及び頭部にわずかに朱色が残り、また膝上の裳のめくれ部に唐草、股間に緑青と紫色で描いた牡丹と唐獅子の図が残る。ただし、彩色は後補。岩座はヒノキの板づくり、周囲に岩形をはぎつける。
ロ 吽形
 ヒノキ材の一木造り。頭部(宝髻は別材)躰部、両足のふくらはぎの左半分をふくめて、竪一材から彫出し、内刳りは施さない。左手は肩から拳までを一材から彫出し、肩で矧ぐ。右手は肩から下膊の中央あたりまでを一材から彫出し、肩で矧ぐ。下膊の中央あたりから先欠失。右腰の外側、裳の裾の両側、両足のふくらはぎの右半分と足柄、両足先、天衣を別材で彫出して、それぞれ躰部に矧ぎつける。このほか腰まわり、両膝の上の裳のまくれ部、両足のふくらはぎの右半分の矧ぎつけ部などに、材を少なからず補っている。このうち、両足のふくらはぎ及び足柄、腰から下の補材、天衣などは矧ぎ目が離れてばらばらに落下している。
 全身に砥の粉下地して麻布をはり、白土下地に彩色をしているが、ほとんどが剥落している。裳の一部に雲形の文様が残っている。彩色は後補。岩座は阿形と同様である。

寸法又は法量

単位cm
    阿形/吽形
像高188.3/196.3
髻頂~顎51.5/52.4
頭頂~顎 36.8/37.6
面巾 21.1/22.2
耳張り 26.6/26.2
面奥 31.9/31.4
胸奥 35.8/36.5
腹奥 30.9/33.8
臂張 91.5/82.5
裾張 84.8/89.2
足先開き 70.9/71.0
岩座横 105.1/105.1
岩座縦 71.8/71.8
岩座高さ 30.4/30.4

参考情報

【その他参考となる事項】
 清水寺は、山号を花滝山といい、千手観音立像を本尊とする真言宗の寺院である。寺の縁起は寺伝によると「平城天皇の御代、大同元年天皇は悪夢を見給い、勅使をこの宮野の地に下された。勅使が来ってこの山に登ってみると、大岩の巌窟の間から観音が出現し給うた。よって勅使はこれを天皇に報じた。ここに一寺を建立した」という。
 江戸時代すでに寺の創建がはっきりしなかったほどの古寺である。山口盆地にある地の古寺の多くが、大内氏全盛の室町時代以来の創建であるのに比べると、この清水寺は、山口盆地最古の寺院ということができる。
 明応二年(1493)に大内義興が再建したといわれる観音堂は、山口県指定(昭和42年1月17日)され、永禄9年に改築された山王杜本殿も指定(昭和41年6月10日)されている。

地図

画像

木造金剛力士立像 関連画像001

木造金剛力士立像 関連画像002