木造二天王立像
もくぞにてんのうりゅうぞう
柳井市
県
有形文化財
平安時代
柳井市福楽寺に蔵されている。別項の通り福楽寺にはほかに二組の二天があるが、これは旧上野寺(かみのでら)の二天である。像高は各153cm。ヒノキ材の一木造りである。共に頭の上から足に至るまで、竪一材から彫り出している。玉眼(ぎょくがん)で、体部は大きく内ぐりがなされ、背板をあてている。足下に邪鬼をふむ。阿形(あぎょう)の邪鬼は後補、吽形の邪鬼は当初からのものである。阿形の足に弘安5年(1282)、吽形の足に弘安7年(1284)の銘がある。また作者が仏師木村正智坊であり、江戸時代に修理されたことがわかる。
柳井市の福楽寺にあります。福楽寺には、旧下野寺の二組の二天王がべつにあり、そちらも県有形文化財となっています。こちらは、旧上野寺の二天王です。
像の高さは、それぞれ153cmで、ヒノキを材とした一木造りです。ともに頭の上から足にいたるまで、一材から彫り出しています。阿形(あぎょう)の邪鬼は後から、吽形(うんぎょう)の邪鬼は当初からのものです。
阿形の足のほぞに「弘安5年」(1282)の銘(めい)が、吽形の足のほぞに「弘安7年」(1284)の銘があり、鎌倉時代につくられたことがわかります。また、つくったのは「仏師木村正智坊」とありますが、この正智坊は、福楽寺にある、旧下野寺の二天王二組をつくった人と同じです。
木造二天王立像
彫刻
昭和56年12月11日(山口県教育委員会告示 第5号)
柳井市余田508番地の1(山林)
宗教法人 福楽寺
弘安7年(1284)
二躯
木村正智房
【形状・品質・構造】
E 阿形
○形状
垂髻。天冠台を戴く。台下の地髪はまばら彫とする。眉をよせ眼を瞋らし、大きく口を開いて上・下歯、舌をあらわす。着甲。左手は臂を屈して肩の上にあげ持物を執る形。右手は僅かに臂を屈して体側に張り出して手首を腰に当てる形。右足をあげ、腰を左に捻り、邪鬼の頭と腰を踏んで立つ。左右の鰭袖の先を括る。両上膊部と腹前に獅噛をつけ、手甲籠手をつける。脛当をつけ沓をはく。天衣は下膊部をめぐり、縄状の帯をくぐって両側に垂らす。
〈邪鬼〉
総髪を後ろになびかせ、眼をむき、下歯で上唇を噛んで閉口する。体を左正面に向け、顔をやや右前に捻り、体を伏せ、右前肢は屈臂して前に出し、左前肢は屈臂して立て、手で下顎を支える。右後肢は腰から折り、前肢の脇下に伸ばす。左後肢は膝を折って岩座上にうずくまる。
○品質・構造
ヒノキ材の一木造り。体部の幹部は頭体から左足まで竪一材から彫出し、頭部は耳後で割り、内刳りして玉眼を嵌入した形(水晶欠失、彫眼補填)。体部は背面の下9.7㎝のところから腰下までを割り、内刳りを施す(後頭部及び背板は共に欠失)。垂髻及び左足先は別材矧ぎつけ。右手は手甲までを一材で彫出し、肩で、左手は上膊、下膊と手首で矧ぎつける(手首の先欠失)。右足の膝上から沓までを別材で彫出して、体内に差込む。右沓先、足は別材矧ぎつけとする。天冠台に細い銅紐を巻きつけたと思われ、その一部及び、それを打ちつけた銅釘が残る。後世紙貼り彩色がなされた痕跡が随所に見られるが、現在はほとんど剥落して素木に近い。
後補部:垂髻、腹下の天衣下の前垂れ部分
欠失部:天冠台下の地髪部左右の一部、右肩矧付部前面(鰭袖共)、右手拳の内側、右袖先括り目から下、左鰭袖の内側一部、右足矧付部の前面、右沓先前の一部、左腰背面の一部、右沓踵の一部、股間に三角形(高9.5㎝、底辺6.5㎝)の穴。
〈邪鬼〉
樟材。頭部を一材、体部を上下二材から彫出し矧ぎつける。体部の下方地付部の一材は後補。右前肢は臂から先を別材矧付(後補)。右後肢は腰に矧付(後補)。
岩座・框座共に後補。
F 吽形
○形状
重髻。天冠台を戴く。台下の地髪はまばら彫りして毛彫りを施す。眉をよせ瞋目しては口を結ぶ。玉眼を嵌入していたと思われるが、今は亡失。着甲。左手は臂を屈して斜め前方に立てる。右手は腕を体側に水平にあげ、臂を屈してほぼ垂直に立て、五指を曲げて持物を執る形。腰を左に捻り、右足を前に踏み出し、左足に体重をかけて邪鬼の頭と腰を踏んで立つ。左右の鰭袖の先を括る。両上膊に獅噛をつけ、手甲・籠手をつける。脛当をつけ沓をはく。袴を膝部でしばり、下方を足首近くまで垂らす。天衣は下腹部を巡り、縄状の帯をくぐって両側に垂らす。
〈邪鬼〉
体を右正面に向けて伏せ、頭を右前に捻り、両前肢を屈臂して、頭と頬の下に入れて頭を支える。両後肢は膝を折って岩座上にうずくまる。
○品質・構造
ヒノキ材の一木造り。体部の幹部は頭から体、右足までを竪一材から彫出し、頭部は耳前で割り、内刳りして玉眼を入れる形。体部は背面の下11.3㎝のところから腰下まで割り、内刳りして背板を矧ぎつける(背板欠失)。垂髻、右足先別材矧け。右手は肩が手の甲までを一材に彫出し、肩で矧ぎつける。指先は別材矧付。左手は肩・下膊部、手首で矧ぐ。左足膝から足までを一材で彫出し、体部に差込む。
後世紙貼りして彩色がなされた痕跡が随所に見られるが、現在はほとんど剥落して素木に近い。
後補部:垂髻。右裳裾先
欠失部:玉眼、左手首から先、右広袖の補材矧付部、右裾中央下の一部、両肩矧付部の補材。
〈邪鬼〉
ヒノキ材、頭・体・前後肢とも横一材から彫出し、後肢の両足先に別材を矧付け(矧付部から先欠失)。
なおEとは異なり吽形と同時期の製作にかかる。
岩座・框座共後補。
単位cm
E/F
像高/153.3/153.7
頂上~顎/35.1/31.1
面長/18.5/16.7
面幅/15.8/15.8
面奥/※19.5/20.5
胸奥/※26.1/※24.4
腹奥/※27.4/※24.3
臂張/79.5/73.1
裾張/※23.5/54.2
足先開き/50.0/48.0
足高(前)右/10.6/8.4
左/9.6/8.1
足の奥行右/9.5/10.0
左/9.0/11.5
足幅(前)右/3.8/5.1
左/3.5/4.5
〈邪鬼〉単位cm
頭高/26.2/17.3
総長/69.8/69.5
前肢張/32.6/27.0
腰張/31.1/29.7
腰高/14.7/15.9
E)右足
○踵面
弘仁五年
框座底 及大破明四亥□、春御願申出柳〔 〕、在市中托鉢□、差免御役人中□、出情を以志□、一貫五百三拾目、出銀を以再興□、成就者也、于明和五戊子、六月廿日住持〔 〕。
F)左足
○内側面
上野寺、二天事、右志者爲弘立佛、法廣作佛事行奉、造立如件、弘安七年甲申三月五日、奉立之而巳。
○踵面
佛師木村正智房、大願主僧円妙、造立之。
○外側面
上野寺福樂坊□、狐鹿山大願王阿闍梨、〔 〕、弘安七年より、四百七拾六年及、貞享五年戊辰、二天中建立スル者也、歳四十九歳。
○前面
京都大佛師宗□、願主、長尾茂平衛。
右足
○外側面
弘仁五年甲午歳、貞享五季迄八百七十、六年及五月廿一日ヨリ中建、〔 〕立スル者也。
框座底 當山本尊并脇士二天、在〔 〕中托鉢、被差□(免カ)御役人中、出情ヲ以志銀、一貫五百三拾□(目カ)、出銀ヲ以致再興、成就者也、于時明和五戊、六月廿日、住持諦巌。
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