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文化財の概要

文化財名称

金銅薬師如来立像

文化財名称(よみがな)

こんどうやくしにょらいりゅうぞう

市町

長門市

指定


区分

有形文化財

時代

鎌倉時代

一般向け説明

 長門市俵山温泉の薬師堂の本尊である。金銅製で、像高は43.1cmある。頭、体の主幹部を両腕足をふくめて銅の一鋳から鋳成し、目鼻立ちなどをタガネで整形する。両手とも手首から先は別鋳である。納衣は左右の肩をおおう。右手はひじをまげ、斜に上にあげ手の平を前にして五指をのばす。左手は体にそってたらし、ひじをわずかまげて前に出し、手の平を上にして薬壷をとる。もとは鍍金がなされていたと思われるが、現在はほとんど見えない。背面に刻銘があり、延慶4年(1311)に阿武郡紫福村の寺の仏像として造立されたことがわかる。現在俵山薬師堂の本尊であるが、幕末俵山の大火災の後にもたらされたものと伝え、それまでは長門市極楽寺にあったことが古記録に見える。県下で中世の銘文のある金銅仏は他に無く、この像は県下における彫刻史金工史の資料として価値が高い。

小学生向け説明

 長門市俵山温泉の薬師堂の本尊です。
 金銅製で、像の高は43cmあります。
 頭、体の主幹部を両腕足ほぞをふくめて銅の一鋳から鋳成し、目鼻立ちなどをタガネで整形します。
 もとは鍍金(ときん)がなされていたとおもわれますが、現在はほとんど見えません。
 背面に刻銘があります。これにより、1311年に阿武郡紫福村の寺の仏像としてつくられたことがわかります。
 現在は俵山薬師堂の本尊ですが、これは江戸時代末におこった俵山の大火災の後にもたらされたもので、それまでは長門市の極楽寺にあったことが記録に見えます。
 山口県で、中世の銘文のある金銅仏はほかに無く、価値の高いものです。

文化財要録

要録名称

金銅薬師如来立像

指定区分・種類

彫刻

指定年月日

昭和60年10月29日(山口県教育委員会告示 第4号)

所在地

長門市俵山5108番地

所有者

俵山温泉合名会社

制作等の年代又は時代

延慶4年(1311)

員数

一躯

品質及び形状

【形状】
○本体
 肉髻を盛り上げ、螺髪は切子型。肉髻珠、白毫相はあらわさない。鼻腔はうがたず三道を刻む。衲衣は左右の肩を蔽う。右手は臂を屈し、斜め上にあげ、掌を前にして五指を伸ばす。
 左手は躰に沿って垂らし、臂をわずかに屈して前に出し、掌を仰ぎ、薬壺を執る。両足を少し開き、揃えて立つ。
○台座
 一重の蓮華座で、蓮肉には中房の外周に花芯を刻み、間弁付単弁の蓮弁三葉を彫出し、その下に敷茹子を置く。中房の中央に裾型を彫り、さらに足ほぞに合わせたほぞ穴を刳る。後方に光背のほぞを立てたと思われるほぞ穴を刳る。○本体
 頭・躰の主幹部を両腕・足ほぞを含めて銅の一鋳から鋳成し、目鼻立ちなどタガネで整形する。両手共に手首から先を別鋳し、それぞれ袖口に差込み銅釘を袖、手首を貫通して留める。背面襟下11.5㎝の位置にほぞを鋳出する。ほぞの中央に小穴があり、光背を取りつけたものと思われる。
 足納の中央に左右とも小穴をうがつ。頭頂に角形の小穴がある。右脇下、像底に鋳くずれの穴がある。当初は鍍金されていたと思われるが、現在は全く剥落して、青黒色を呈している。
 全体に肌があれているのは、火中したためか。袖の下の襞奥や裳の襞に朱色が残るが後補の彩色のあとか。
○台座
 ケヤキの竪一材の前面に半肉に彫出する。台座は後補。

寸法又は法量

単位㎝
○本体
像高/43.1㎝
頂上~顎/8.0
面幅/5.2
臂張り/12.6
腹奥/7.5
足先開き/6.9
髪際下/40.7㎝
面頂/4.8
面奥/7.4
胸奥/7.1
裾張り/10.1
ほぞ(左)
前高/1.3㎝
後高/2.1
前幅/1.2
後幅/1.7
奥行/2.5

○台座
高さ/13.7㎝
縦径/14.2
中房縦径/14.0
敷茄子高さ/6.1
横径最大/18.8㎝
中房横径/16.5
蓮肉高さ/6.9
敷茄子径/3.0

銘文

 背面下方に陰刻する。文字の大きさは、ほぼ方1.5㎝、彫りは普通である。
長門國
奉建立金銅薬師如来一尊
延慶四年辛亥二月 日 僧 道妙 敬
               沙門智法 白
     〔     〕(阿武郡紫福)□□(光)□
 

地図

画像

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