浅黄糸威褄取鎧 兜付
あさぎいとおどしつまとりよろい かぶとつき
防府市
国
重要文化財
室町時代
胴の高さ28.8㎝、草摺(胴の下にさがっていて、足の太股を守る部分)の長さ27.2㎝、小札は黒漆塗りの鉄に革札の1枚交じりである。薄黄色の組糸を毛を伏せたようにして威し(小札を横長に綴った板を上下につなぐこと)、褄取り(草摺の端を三角形に、地色とは別の色で威すこと)をしている。金具廻りや革所は獅子牡丹文染の韋包みとなっている。兜は鉢の高さが11.2㎝、径の左右が19.7㎝、前後が21.2㎝、鉄の黒漆塗り三十八間二方白の「星兜」(鉢のはぎ合わせの鋲頭を大きくこしらえて打ち付けたもの)である。後頂部が高く、前頂部が低くなっていて、南北朝時代から室町時代初期にかけての特徴を表している。1330年代後半から1390年代初め頃の南北朝時代の正式な鎧としては、残っている例の少ない優れたものである。
また、1429年(正長 2)の正月26日、大内盛見が将軍家から拝領し、寄進したことを朱書きした銘のある鎧櫃が残っている。
・鎧唐櫃
鎧唐櫃の身は、黒漆塗り、縦64.0㎝、横69.0㎝、高さ68.0㎝、板の厚さ1.1㎝の杉製で6つの脚が付いている。縦67.1㎝、横72.9㎝、高さ10.0㎝の黒漆塗りの蓋の裏に、「足利将軍家から拝領した鎧を正長2年(1429年)、松崎宮(現在の防府天満宮)に徳雄(大内盛見)が奉納した」という朱漆で書かれた銘があり、鎧の伝来を明らかにするとともに、製作時代(室町時代)が分かる鎧唐櫃として貴重なものである。
1330年代後半から1390年代初めごろの南北朝時代に作られた鎧です。兜も付いています。1
429年の1月26日、大内盛見が将軍家から贈られたものを寄進(寄付)したことを朱で書いた銘のある鎧櫃(よろいびつ=鎧を入れておくもの)が残っていて、それも重要文化財に指定されています。
・鎧唐櫃
「浅黄色糸威褄取鎧 兜付 附立挙臑当」に付いている鎧唐櫃です。身は、縦64.0㎝、横69. 0㎝、高さ68.0㎝で、厚さ 1.1㎝の杉の板に黒漆を塗って作られた唐(中国)風の「鎧の入れ物」です。縦67.1㎝、横72.9㎝、高さ10.0㎝の蓋の裏に、「足利将軍家からいただいた鎧を正長2年(1429年)、松崎宮(今の防府天満宮)に徳雄(大内盛見)が奉納した」ということが朱漆で書かれています。
浅黄糸威褄取鎧 兜付
附 立挙臑当 一双
附 鎧唐櫃 一合
正長二年正月廿六日の朱漆寄進銘がある
重要文化財(工芸品)
昭和28年11月14日(昭和29.2.12文化財保護委員会告示 第2号) 工第589号
昭和58年6月6日(文部省告示 第85号)追加指定
防府市松崎町14番地の1
宗教法人 防府天満宮
南北朝時代 (附鎧唐櫃→室町時代)
一領
小札は黒漆塗鉄、革札の一枚交ぜ。威毛は浅黄絲で褄取る。耳絲・畦目組糸。菱縫紅絲。胴立挙前二段で、後は押付板、逆板共三段、草摺は脇楯共四間五段である。金具廻、革所は獅子牡丹文染韋包み、小縁は紅五星韋、伏組は紅・白・浅黄の色系である。覆輪は鍍金、境粧板菖蒲韋包、端喰紅・白綾、八双鋲は鍍金魚子地、桐文毛彫入八双座に桐文鋲うつ。弦走韋が欠失し栴檀・鳩尾を欠いている。脇楯の壺板に孔三個がある。兜は、鉄黒漆塗三十八間二方白の星兜鉢で、星三十二行あり、一行十二点をうち、威垣・八幡座に一点ずつ鍍金の星をうつ。二方白は鍍金地板に鎬垂前三条あり、中央に星十一点、左右各十点ずつうつ。八幡座は葵葉座共六重で、響孔は四個ある。眉庇には鍍金魚子地枝桐文高彫の鍬形台が付いている。は五段で四段を吹返し桐の居文をうっている。 (附鎧唐櫃)【法量・品質・形状】
身 縦64.0㎝
横69.0㎝ 高68.0㎝
板厚 1.1㎝
蓋(復元) 縦67.1㎝
横72.9㎝ 高10.0㎝
杉製黒漆塗、覆蓋造、六脚付の鎧唐櫃
胴高 胸板より発手まで 28.8㎝
草摺長 弦走縁より 27.2㎝
兜鉢高 11.2㎝
径左右 19.7㎝
前後 21.2㎝
未指定物件より指定 台帳・指定書番号 エ589
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