洞春寺開山嘯岳鼎虎禅師手沢本
とうしゅんじかいさんしょうがくていこぜんじしゅたくぼん
山口市
県
有形文化財
安土桃山時代
嘯岳鼎虎は、毛利輝元が祖父元就の菩提を弔うため安芸国の吉田城内に建立した洞春寺を開いた禅僧である。本件は嘯岳鼎虎の手沢本(書き入れなどのある書物)で、室町時代の鈔本鈔本と朝鮮古版本類からなる。
室町時代には、禅宗の僧を中心に仏教や儒教の経典や修業の記録、詩文などの講義の会が流行し、講義録の写しも盛んに行われた。鈔本とは講義録のことをいう。中には高度な占いの写本もあり、禅師が毛利氏の軍事顧問として占いの素養のあったことを示している。
朝鮮では、16世紀以前に発刊された本は、外国の軍隊(豊臣秀吉、清)の侵略にあって荒らされているため、貴重本とされている。禅師が1592年(天正20)文禄の役に小早川隆景に従って渡韓した時に持ち帰ったものとも考えられる。
洞春寺の蔵書目録でかなりの蔵書数が記入されているが、今はそのほとんどが散逸している。
嘯岳鼎虎は、毛利輝元が祖父元就の菩提を弔うため安芸国の吉田城内に建立した洞春寺を開いた禅僧です。本件は嘯岳鼎虎の手沢本(書き入れなどのある書物)で、室町時代の鈔本と朝鮮古版本類からなります。
(1) 古鈔本(こしょうほん=仏教の僧の勉強会ノ-ト) 18冊
時代は今から500年前の室町時代のものです。
内容は、仏教や儒教の教えや修業の記録、漢詩や文学、うらないなどです。
(2) 朝鮮古刊本類 183冊 1葉
時代は今から500年前の朝鮮の古い時代のものです。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の時、小早川隆景(こばやかわたかかげ)に従って嘯岳鼎虎も1592年に朝鮮半島に渡りました。その時に持ち帰ったと考えられる朝鮮の古い時代の本です。 (3) 洞春寺書簿(しまってある本の一らん表) 2冊
洞春寺開山嘯岳鼎虎禅師手沢本
古鈔本類 八件一八冊
朝鮮古刊本類 一四件、一八三冊、一葉
付 洞春寺書簿 二冊
典籍
昭和52年11月11日(山口県教育委員会告示第7号)
山口市水の上町5番27号
宗教法人 洞春寺
(洞春寺開山嘯岳鼎虎禅師手沢本) 八件
(古鈔本類) 一八冊
(朝鮮古刊本類) 一四件
一八三冊
一葉
(洞春寺書簿) 二冊
【寸法・形状・製作者・製作年代等】
〔古鈔本類〕
1.周易之聞書 半1冊、本文共紙(24.7×18㎝)、室町後期の写
表紙左端に「易経 開山嘯岳大和尚真蹟 三冊之内」と題書される。字面高さ約21.8㎝。毎半葉15行、毎行字数不等、朱句点朱印が附される。巻初に毎半葉1字ずつ「長」「門」「萩」「府」「正」「宗」「山」「洞」「春」「禅」「寺」「什」「物」の横書がある。
外題によれば元来3冊であったらしいが、この1冊で周易上下経の64卦の注が収っている。末に至徳元年(1384)から永正元年(1504)に至る命期図が附してある。
平易な言葉で簡潔に字義を講釈する易経講義の筆録である。室町時代には五山禅林から始って、知識層の間に禅籍や外典(経書や詩文集)の講義が流行し、その講義の聞書が作られた。それは鈔あるいは鈔物と称され、仮名書きのものは仮名鈔といわれる。受講者の筆録帳であるため、平易な俗語を混えた文末がゾあるいはナリで結ばれる独特の文体である。当時合戦には占卜が重要な役割をもっていたので、戦国武将の顧問の地位にあった僧侶には易占の知識は不可欠の素養であった。従って室町時代周易の講義は盛んであった。
2.朱子筮儀外 大1冊、厚手白色表紙(25.5×19.6㎝)、室町後期の写
前半の朱子筮儀は四周単辺(19.5×14㎝)、有界8行の鳥糸欄に書写され、毎行20字、注小字双方、朱筆勾句点及び墨筆訓点が附され、後半の「置閏之法」以下は無辺無界、毎半葉9行18字あるいは8行16字の別筆である。巻首に「鼎虎」の嘯岳禅師の朱印が鈐され、禅師の書写にかかると伝えられる。
朱子筮儀は元の朱子学者胡一桂撰「周易本義啓蒙翼伝」中の周易本義筮儀第14の部分抄録である。後半は同書や元胡炳文按「周易本義通釈」等の説を加えた、易卜筮に関する種々の雑記や図で、中に密教の占卜も混っている。前と筆を異にしているから、両者を合綴したものであろう。
3.山谷詩抄 10冊(存巻1、2、5~8、10~12)、釈月舟寿桂撰 褐色表紙(26.3×20.3㎝)、室町後期の写
表紙に「山谷詩抄萬年千(和)上筆幾」の外題、「内三十九不見共十二」の墨書がある。巻の首尾に「山谷詩抄巻之幾」と題す。字面高22.5㎝。毎半葉14行、毎行字数不同、細字密行。朱筆句点勾点及び朱引が附される。巻10の末を欠き、巻10~12の間に錯簡があり、巻12の末に巻10の尾題の葉が混綴されている。各冊首に「長」「門」「萩」「府」「正」「宗」「山」「洞」「春」「禅」「寺」「什」「物」の横書がある。嘯岳禅師の書写と伝える。
当時蘇東坡と黄山谷(諱は庭堅)の詩は禅僧の流行書であった。この抄物は、建仁時両足院に伝存する永禄3年(1560)より10年にわたる林宗二等の書写になる「山谷詩抄」と同種で、同本によれば本書は月舟寿桂の撰になり、「山谷幻雲抄」と称される。本書は、宋の任淵が注せる「山谷詩注」20巻に拠る抄で惟肖、江西、瑞渓、惟高、天隠、萬里、一韓等五山先人の山谷抄を豊富に集輯引用して、自説を附し、博引詳細を極めた注で、20巻首目一巻からなる。
4.禅林韻府 半2冊(1冊は前表紙欠)、茶褐色表紙(22.3×17㎝)室町末期の写
表紙に「開山大和尚真蹟 全部十冊之内」と記される。単辺(18.2×13.8㎝、うち幅1.5㎝の上眉を設ける)の鳥糸欄をしき、韻順に字を配列し、上眉にその標字を記し、その字を含む桂句を禅籍を中心とする諸仏典から摘抄引載する、いわば韻順の「句隻紙」の如き書である。書名はもとの題名不明なため、意をとって標記のように題した。もと10冊であったらしく、現存の1冊は支より微、他は元より刪に至る。白紙のまま、あるいは匡郭内にまだ空欄が相当残っているから、未完成で、見るに随って抄して行った手控であろう。嘯岳禅師の筆と表紙に記され、禅師の自輯であるか否かは俄かに断定し難いが、体裁から見てその可能性は多い。
5.歴代君臣行跡録 大1冊、白紙朝鮮古表紙(26×16.7㎝)、朝鮮古写
「君臣行迹」と外題がある。字面高23.3㎝、毎半葉12行、毎行25字。「酔」「竹」(鼎形印朱文)、「光城」「金氏」(朱文)の印がある。
伏儀より元の許魯斉に至る君臣につき、毎人に略暦をかかげ、賛が附してある。あるいは韓人の撰になるものか。
6.禅林蒙求 存巻1、大1冊、褐色表紙(25.3×17.5㎝)、宋釈志明撰 元釈徳諫注、室町末期の写
首に徳諫及び志明の自序、巻上目録を冠する。字面高20㎝、毎半葉9行、注文小字双方、毎行31字。朱点朱引が附され、朱筆の字注の書入がある。首に「長」「刕」「萩」「府」「正」「宗」「山」「洞」「春」「禅」「寺」「什」「物」の横書がある。
本書は3巻、禅苑における仏祖の行業を初心に知らしめ照心、弁道に資するため、李翰の「蒙求」に倣って4字1句の韻語として、暗誦に便ならしめたもので、わが国でも室町以来簡便なる禅宗史として広く読まれた。
7.善財童子讃辞 大1冊、褐色表紙(25.3×20㎝)、室町末期の写
字面高22㎝。毎半葉14行、毎行22字。首に「長州萩」「正宗山」「洞春禅」「寺什物」と横書がある。
善財童子は福城長者の子で、発心して南方に遊行して53の善知識を歴訪して、最後に普賢菩薩に遇って、その十大願を聞き、阿弥陀仏の浄土に往生して法界に入らんと願うに至った聖者で、この求道説話は仏道修行の階梯を示したものとして仏徒に親しまれ、図画や偈賛が多い。本書はその賛辞類を編したもので、編者が明らかでないが、末に底本の「大明国北京順天府宛平縣時雍坊居住……今捨財命上刊造印施十方善男信女……甲寅年四月仏誕生日施」なる6行の蓮牌木記が移写されているから、明刊本の転写である。筆跡は「朱子筮儀外」(伝・嘯岳禅師筆)に類似している。
6.大施餓鬼集類分解 大1冊、表紙欠、(26×17㎝)、室町末~近世初の写
字面高23㎝。毎半葉注文15行、毎行字数不同。朱点朱印が附される。首に、「長禄三卯乙七月下休」の澄昕の「大施餓鬼集類分解序」及び寛正3年竺雲等連の序がある。本書は仏教、殊に禅宗が重んずる施餓鬼会に関し宋の釈宗暁撰「施食通覧」等に拠って秘決要文を輯めて注を加え、諸書よりの引載が多い。
〔朝鮮古刊本類〕
7.周易伝義大全 24巻、特大15冊、花文様刷出丁子色朝鮮古表紙(32.5×22㎝) 明胡廣等奉勅編
首に易序あり。巻首「周易伝義大全巻之一」、次行低一格「周易上経」と題す。四周双辺(23.2×16.6㎝、単辺も混る、匡郭の寸法は葉により小差があり一定しない)、有界10行、毎行22字。注文の伝、本義の標目は墨囲陰刻で、程伝、本義の注文は経文より一格を低して単行大字であるが、両注の疏文は小字双行。句点声点が附刻される。版心は粗黒口双黒魚尾、「周易大全巻幾」、まれに下象象に月、又、三、二十三などの刻工名と思われる字が白字で刻されている。各冊首の上欄に「長」「州」「萩」「府」「正」「宗」「山」「洞」「春」「禅」「寺」と横書される。
大全には、明の成祖が永楽年間(1403~25)胡廣等に命じて宋・元の程朱学派の諸注や学説を集成編集せしめた「五経大全」「四書大全」「性理大全」の三大全がある。本書はこの五経大全中の易経の部で、元来首に首目及び朱子図説があるはずであるが、本書はそれを欠いている。この大全は明代を通じ、勅編の権威をもって盛行し、わが国や朝鮮でも朱子学の流行とともに大いに使用された。朝鮮においては李朝を通じて、古くから幾たびか銅活字あるいは整板をもって官書や地方版が重刊された。本書は、字様粗朴、版式が不整で、恐らく15世紀中葉から16世紀初めにかけた地方版と推定される。
8.纂圖互註周禮 12巻、図1巻(欠1、6巻、図)、大5冊、花紋刷出丁子色表紙(28×18.5㎝)、漢鄭玄注、唐陸徳明音義、朝鮮成化14年(1478)刊
本文巻首に「纂圖互註周禮巻第二」次行「天官家宰下 陸白本亦作天官家宰下 鄭氏註」と題し、巻末に成化14年3月金宗直の刊書版が附される。四周単辺(20.8×15.1㎝)、有界9行、毎行15字、注小字双行。注文句末に○をもって隔して音義、あるいは「重言」「重意」が白文の標識をもって附される。版心小黒口双黒魚尾、「(篇名)幾(丁付)」。各冊首に「長」「刕」「萩」「府」「正」「宗」「山」「洞」「春」「禅」「寺」「什」「物」の横書がある。
同版本に名古屋市蓬左文庫(尾張徳川家の文庫)蔵の完本がある。ただし同本には巻末の跋を欠くが、本書には幸い刊書跋がある。すなわち、成化14年に慶尚藍尹孝孫の命で嶺南13邑で分刻され、その板木が清道郡閣に蔵されて刷印に応じたという。纂図互注というのは、宗から明前期にかけ、経書に器物制度表地図等の参考の図、すなわち纂図を掲げ、注の句末に当該経文と類似の文章(重言)、類似の意味(重意)にあたる他の経文の句を掲げた経書で民間で盛んに出版された科挙の受験参考書である。宋明初の版木書の多くはこの纂図互註本であったので、五経については李朝でもその系統の翻刻が多く、わが国でも室町時代の経書の写本も大体この系統である。本書は初め宣徳正統間(15世紀中期)に鋳字所で銅活字で印行され、本版はそれに基づく第2次版といわれる。
9.春秋胡氏伝 30巻、附林堯叟音注括例始末、大8冊、雷文花文刷出淡香色朝鮮古表紙(31×20.7㎝)、宋胡安国撰、林堯叟音註
首に「春秋胡氏伝序」及び「諸国興廃説」を附し、本文巻首に「春秋胡氏伝巻之一 附林堯叟音註括例始末 」、次行低二格に「魯隠公上(直下双行注)」と題す。四周単辺(23×16.7㎝)双辺も混え、匡郭の寸法は一定しない。毎半葉有界10行、毎行19字、伝文は低一格単行大字、注文は小字双行、句点声点を附刻し、眉上に校字と経文の干支が標記される。版心粗黒口双黒魚尾「胡伝幾(丁付)」。裏丁や左欄外やや上部に耳格(ほとんど枠なし)あり、「某公幾」と刻される。「隻渓」「書院」の蔵印及び上記諸本と同じ長州藩府云々の洞春寺の墨書横書が各冊首にある。
附刻された林堯叟の音注などは元来堯叟の春秋左伝句解に附されてあったものを便利なため胡伝に分裂附載したものである。本版は刊年が明らかでないが、本書には成宗朝期(15世紀後期)乙亥字銅活字版があるから、その後恐らく15世紀末から16世紀前期の刊刻であろう。「隻渓書院」の蔵印は、柳成竜(1542~1607)の印でその旧蔵本であったことを物語る。
10.中庸或問重訂揖釈疏義大成 1巻、特大1冊、甲辰字銅活字本、艶出丁子色
朝鮮古表紙(33×20.7㎝)元倪士毅等注、明闕名者編、朝鮮隆慶4年(1570)刊
本文巻首に「中庸或問重訂輯釈疏義大成」、次行低二格「朱子章句」、第3行より第7行にかけ低五格に「新安 道川 倪 士 毅 重訂輯釈、新安 東 山 趙 沙 同訂、陽 克升 朱 公遷 約説、新安 林隠 程 復心 章図、後学 陽 王 逢 訂定通義」と題す。四周双辺(22.1×15.1㎝)、有界12行、行20字、注低一格、章句等は大字単行、他の注文は小字双行。句点附刻。版心白口双花文黒魚尾、「中庸或問(丁付)」巻首に長門萩府云々の横書がある。
本書は、元の倪士毅の「四書輯釈」を基礎に元明初の朱子学派の末疏類を増補する「四書輯釈章図通義大成」41巻首1巻中の中庸或問のみの端本である。李朝成宗2年すなわち成化20年甲辰(1484)に鋳造された銅活字をもって明の嘉靖4年(1525)刊本を翻印したもので、間々木活字が補充に使用されている。この甲辰字は宋版欧陽集等の字様に範をとったやや小形の優雅な書体である。
11.新刊皇明歴朝資治通紀 前編8巻(7、8巻欠)、後編34巻(1、2、13~16、19、20、23、24、27~30、33、34巻欠)、特大12冊、乙亥字銅活字本、丁字色朝鮮古表紙(33×20.5㎝)、明陳建撰、朝鮮(16世紀中葉)刊首に嘉靖歳在乙卯仲夏之吉東莞清瀾居士臣梁陳建拝手稽首謹書の「皇明通紀序」、「皇明通紀凡例」(末題「皇明歴朝資治通紀凡例畢」)、「新刊皇明歴朝資治通紀前編巻目」、「新刊皇明歴朝資治通紀後編巻目」、次に「採拠書目」を冠する。前編の本文巻首に「新刊皇明啓運録巻之一」、次行低三格に「粤浜逸史浦瀾釣叟臣東莞陳建輯著」と題され、巻2以下は次行の撰者名題署がない。後編は本文巻首に「新刊皇明歴朝資治通紀巻之幾」と題す。四周双辺(23.3×16.7㎝)、有界10行、毎行18字。上欄に綱目を標記、行2字。版心粗黒口双花紋黒魚尾、「皇明啓運録幾」。巻2以下裏葉左欄外やや上方に耳格がある。「太祖」の如く諡号が印される。前編の巻2は第46丁以下、巻4は第29丁以下が欠丁。本版の活字は乙亥字であるが木活字の補充が混っている。各冊首に長刕萩府云々が横書される。
著者陳建は、明中期の正統朱子学をもって任じ、陽明学を激しく批判した人物である。前編の皇明啓運録は明の太祖洪武年間の創業重統を叙し、後編は永楽より正徳16年(1521)に至る8朝の編年史である。本版は嘉靖34年(1555)序刊の陳氏自家版による翻印で、刊年を詳らかにしないが、恐らく李朝の明宗宣祖前期間の刊印と思われる。使用された乙亥字は景秦6年乙亥(1455)に鋳造され、字母は姜希顔の筆になり、当時通行の松雪体である。
12.闕里誌 存巻5、6、8、9上、10下 特大4冊、甲寅字銅活字本、淡香色朝鮮古表紙(34.5×21㎝)、明陳鎬撰、朝鮮(16世紀)刊
表紙に目録外題が墨書され、本文巻首に「闕里誌巻幾」と題す。四周単辺(25×17.1㎝)、有界10行、毎行17字。版心小黒口双三葉花紋黒魚尾、「闕里誌巻幾」。各冊首に長刕萩府云々の横書がある。
闕里は孔子の生地、すなわち山東省曲阜の別名である。明の弘治17年(1504)闕里の孔子廟の重建が成った時、李東陽が奉勅致祭にあたり、提学副使陳鎬に命じて、孔子及び孟子の事蹟、孔子の家譜、孔廟、歴朝の諡号追崇恩典誥勅祀典から曲阜の山川古墳に至るまでを排纂せしめたのが本書で、全13巻、正徳元年(1506)蹟阜で刊行した。本版はその翻印で、不幸にも残本である。甲寅銅活字であるが、間々木活字をもって補充され、また注の小字には甲辰字が混用される。
甲寅銅活字は、世宗16年甲寅(1434)に鋳造され、明初の官刊本の字様に基づいている。衛夫人体あるいは晋体と称される如く、漢隸の伝承による最古の正楷書の意で、李朝では公式文書は皆この書体によった。俗に実録字とも呼ばれる。その書体の方正端麗なること、朝鮮活字の精華と評されている。
13.朱子書節要 20巻、特大10冊、丁子色朝鮮古表紙(34.5×21.5㎝)、宋朱憙撰、朝鮮李滉編、朝鮮万暦3年(1575)川谷書院刊
巻首に真城李滉の自序(前葉欠)、次に低一格をもって高峯奇大升の序、次に「朱子書節要総目」がある。巻末に望滉の「退渓李先生答李仲久書」、箕城黄俊良の「星州印晦庵書節要跋」、高峯奇大升の「定州刊朱子書節要跋」を附し、その末の次行に「万暦乙亥季夏重刊干川谷書院暮年而工畢」なる陰刻の刊記1行がある。毎巻前に目録をおき、本文巻首に「朱子書節要巻之幾」と題する。四周双辺(22.2×16.2㎝)、有界10行、毎行18字、注小字双行、上欄に校字を標記し、圏点が行間に附刻される。版心白口双三葉花紋黒魚尾、「朱子書節要幾」。各冊首に長刕萩府云々の横書がある。
編者の李滉(1501~70)は、李朝第1等の硯儒で、本書は浩瀚な朱子文集の中から学問に切要なる朱子思想の精忰の文を選んで20巻に編したものである。柳仲郢が定州において刊した整版本をそのほぼ3年後にさらに川谷書院で重刊したのが本版で、川谷書院は慶尚道星州にあった書院である。本版の字様は乙亥字に類似し、恐らく倣乙亥字木活本の復刻であろう。
14.大学衍義補 存巻12~14、17~19、45~47、63~66、70~72、76~79、111~113、129~131、140~148特大11冊、丁字色朝鮮古表紙(35.5×21.5㎝)明丘濬撰、朝鮮成宗25年(1494)刊、甲寅字銅活字本
表紙右下端に「共互五」の墨書があり、本文巻首に「大学衍義補巻第幾」と題す。四周単辺(25.1×17.1㎝)、有界10行、毎行17字。版心粗黒口双三葉花紋黒魚尾、「衍義補幾」。各冊首に長刕萩府云々の横書がある。
蔵書印として「菁江 釣徒」(朱文)、「趙 庭 堅」(同)、「士 固」(白文)、「咸山 世家」(朱文)、「菁江明月 閑把漁竿 魚鳥□群」(朱文・白文混り)、「喜 賓」(鼎形印朱文)がある。
本書は大学の義理を敷衍して人君の修身為政の質に供した宋の真徳秀の大学衍義43巻の増補で、明の大儒丘濬の編になり全160巻、歴代の典故事例の参考書としても和漢を通じ尊ばれた。使用活字は甲寅字であるが、かなり木活字の補充が混っている。
15.新編古今事文類聚 221巻、目録6巻(目録第1、巻65~67欠)、78冊雷文花紋刷出丁子色古朝鮮表紙(31×19㎝)、宋祝穆編、巻171以下は元富大用編、朝鮮嘉靖21年(1542)刊、甲辰字銅活字本
巻首に祝穆伯和父の自序、「新編古今事文類聚総目」(以上第1冊)、次に「新編古今事文類聚目録」があり、本文巻首に「新編古今事文類聚巻之一」、次行低九格に「建安 祝 穆 和父編」(巻171以下は「南江 富 大用 時可編」)と題す。四周単辺(20.7×14.6㎝)、有界12行、毎行19字、注小字。版心白口双四葉花紋黒魚尾、「事文幾」、首冊初葉に「宣賜 之記」の大方形朱印が鈐され、前表紙見返しに嘉靖21年正月の内賜記が著わされる。また巻206末の後表紙見返し「丁丑十一月念八日……」の韓人の識語がある。前半には巻中所々朱筆句点朱引、間々朱筆訓点が附される。各冊首に長刕萩府云々の横書がある。
本書は部類を分ち、始めは群書の要語を用い、次に古今の事実と古今の文集より引載を掲げ、ほぼ唐の「芸文類聚」に似た類書である。
本書は元来分集形式をとるが、本版は集を廃し全巻を通して総221巻、目6巻に次している。本文は甲辰字活字であるが、特大字及び序文は乙亥字の大字を用い、全巻にわたり往々木活字を補充混用している。本帙には幸い内賜記が存するので、その刊年は嘉靖20年頃を降らぬことが推定される。
15.南華真経 存巻8(雑篇則陽第25零簡)、1葉、晋郭象注、宋林希逸口義朝鮮(16世紀)刊
南華真経、すなわち荘子の巻八雑篇則陽第25の末句の箇所の一葉のみの断簡(32×40㎝)。四周単辺(23.7×16㎝)、有界10行、毎行19字。郭注を「注日」として正文間に小字双行をもって挟み、林注は「口義日」と標して改行低一格単行大字。版心粗黒口双三葉花紋黒魚尾、「南華真経八 八七九」、上象鼻に「任」の白字の刻工名がある。朱点朱印墨訓点の書入れが附される。
郭象の注と林希逸の荘子斉口義とをいわば古注と新注とを合輯する変った本である。恐らく16世紀の刊と思われる。
16.分類補註李太白詩 25巻、附李太白文集1巻、唐翰林李太白年譜1巻、14冊、雷紋花紋様刷出香色朝鮮古表紙(32×20.5㎝)、覆甲寅字銅活字本
唐李白撰、宋楊斉賢集注、元蕭士贇補注、明薛仲編、朝鮮(16世紀中葉)刊
首目と文集が1冊となり、首に宝王元年李陽水撰「唐翰林李白詩序」等を冠し、次に「李太白文集目録」をおいて、文集に入り、本文首に「李太白文集」と題す。詩集は「分類補註李太白詩目録」を冠し、本文巻首に「分類補註李太白詩巻之一」、第2・3行低6格に「春陵楊斉賢子見 集註/章貢蕭士贇粋可 補註」と題す。四周双辺(25.3×16.8㎝)、有界10行、毎行18字、注小字双行、注文の「斉賢白」「士贇白」の標識は墨囲白文。版心白口上下下向二葉花紋黒魚尾、「李白詩註巻幾」。各冊首に長州萩府云々の横書がある。
本書は、元明以来最も広く行われた李白詩の注釈書である。本版は李朝世宗17年(1435)刊、甲寅字銅活字本の復刻整版である。ただし、精善な復刻とはいい難い。
17.纂註分類杜詩 25巻(巻19、序目次)、特大19冊、雷紋花紋様刷出丁子色朝鮮古表紙(32×20.2㎝)、唐杜甫撰、宋劉辰翁批点、朝鮮(16世紀)刊本文巻首に「纂註分類杜詩巻之一」、次行低8格に「盧陵須渓劉辰翁批点」と題す。四周単辺(稀に双辺を混える、25×16.6㎝)、有界9行、毎行17字、注小字双行、注文の「批」「某日」の標識の某等は陰刻で、行間に圏点が附刻される。版心粗黒口双四葉花紋黒魚尾、「杜詩幾」、下魚尾の中に所々白文の刻工名がある。各冊首に長州萩府云々の横書がある。
本書は諸家の注を合輯したもので、恐らく韓人の編にかかるものと思われる。
18.醫閭先生集 9巻(巻1~3欠)、特大2冊、雷紋花紋様刷出丁子色朝鮮古表紙(32×20㎝)、明賀欽撰、朝鮮嘉靖40年(1561)刊
表紙に「共三」の墨書があり、元来3冊の完本であったことが判明する。本文巻首に「醫閭先生集巻之幾」と題す。巻末に潘辰撰の醫閭先生墓誌銘を附録とし、嘉靖9年の本刊書跋及び嘉靖40年の刊書跋が附される。四周単辺(20.5×14.8㎝)、有界10行、毎行20字。版心白口(所々に粗黒口をえる)双黒魚尾、「醫閭巻幾」。各冊首に長州萩府云々の横書がある。
本版は明嘉靖9年遼東刊本の翻刻で、嘉靖40年慶州府晋州において開板されたものである。
19.蘇文正宗 14巻(巻1欠)、特大4冊、雷紋花紋様刷出淡香色朝鮮古表紙(31×21.4㎝)、宋蘇洵・蘇軾・蘇轍撰 朝鮮闕名者編 朝鮮(16世紀)刊本文巻首に「蘇文正宗巻之幾」、次行低一格に「老泉(東坡)先生」と題す。四周単辺(22.9×16.8㎝)、有界12行、毎行20字。版心粗黒口双黒魚尾「老蘇巻幾」。各冊首に長州萩府云々の横書がある。
本書は蘇洵・蘇軾・蘇轍父子の三蘇の文を抜粋合輯したもので、李朝人の編纂になるものと思われる。本帙は洵及び軾に止っている。16世紀前期頃の刊刻であろう。
附・洞春寺書簿 半冊、香色表紙(27×18.5㎝)、覆表紙添付 釈天桂編
元禄9年釈天桂写
書名と冊数が1行1部、毎半葉4行に大字で録される。元禄9年(1696)洞春寺蔵書の目録で、分類されず配列に一定の順序はない。記録者の天桂硯佑は洞春寺7世で、その後享保6年(1721)建仁寺に陞住している。
附・洞春寺書簿 半1冊、縹色表紙(24.8×18.6㎝)、明治5年写
毎半葉8行。明治5年の洞春寺蔵書目録で、書名巻数を記し、仏書は函箱番号順に、次に「漢書」と標して外典が録される。
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