毛利元就詠草連歌
もうりもとなりえいそうれんが
防府市
県
有形文化財
室町時代
戦国大名毛利元就は、和歌・連歌に関しても余技の域を脱するものがあると高く評価されている。本件は、元就の没後間もない1572年(元亀3)6月に、元就の自撰自筆の草稿本「毛利元就詠草」をもとにして、三条西実澄・里村紹巴・聖護院道澄ら当時の連歌の第一人者たちによって編集された元就詠草連歌と江戸時代の初期の写本である。
一代で中国地方最大の戦国大名となった毛利元就は、戦争のことは良く知られていますが、和歌・連歌の趣味も高く評価されています。本件は、元就の没後間もない1572年(元亀3)6月に、元就の自撰自筆の草稿本「毛利元就詠草」をもとにして、三条西実澄・里村紹巴・聖護院道澄ら当時の連歌の第一人者たちによって編集された元就詠草連歌と江戸時代の初期の写本です。
毛利元就詠草連歌
毛利元就詠草(毛利元就詠草自筆稿本残巻)
毛利元就句集(元亀三年二月里村紹巴筆)
毛利元就詠草連歌(元亀三年六月道澄筆)
毛利元就詠草(春霞集の祖本)
付 毛利元就連歌懐紙
毛利元就短冊和歌
毛利元就青柳詠草
毛利元就短冊和歌
典籍
昭和59年4月10日(山口県教育委員会告示 第1号)
防府市多々良1丁目15-1
財団法人 防府毛利報公会
(毛利元就詠草)一冊
(毛利元就句集) 一巻
(毛利元就詠草連歌) 一巻
(毛利元就詠草) 一冊
付 (毛利元就連歌懐紙) 一帖
(毛利元就短冊和歌) 三幅
(毛利元就青柳詠草) 一巻
(毛利元就短冊和歌) 六枚
(1)毛利元就詠草(毛利元就詠草自筆稿本残巻)
毛利元就自撰、自筆 昭和12年国司家より献上・紙本墨書、袋綴冊子装。牡丹唐草文様の絹表紙、見返しに金箔を押す。全紙数23丁、貼紙1枚、遊紙なし。ただし、零本であって巻首・巻尾にそれぞれ数葉の脱葉があるかと思われる。
本文料紙は楮紙。本文は1面8行書き、歌は1首、二行書き。外題は、毛利吉広(4代藩主)の筆になり「元就公尊筆」と記した題簽は、表紙中央に貼布されてある
詠草和歌34首及び上句の欠脱した歌1首、詠草付句149句、詠草発句17句からなる。
巻末に貼布があって、毛利吉広の筆になる跋が記されてあり、「右一冊太祖元就公真跡也……正統吉廣」と極めている。
▲縦21.9㎝ 横14.5㎝
箱蓋表金泥書「元就公御筆 外題跋 吉廣公御筆」
(2)毛利元就句集(元亀三年二月 里村紹巴筆)
里村紹巴編・筆
紙本墨書 巻子装。
柿色龍丸文金入緞子表紙。見返しに金箔を押す。料紙は鳥の子で、裏に金砂子を置く。紙継ぎ15枚。
元亀3年2月上旬に紹巴の筆写したもので、「毛利元就詠草連歌」の句集部分の自筆原本である。
句集には編者紹巴の跋があり、「……あやしき鳥の跡を残すへきの尊命にしかたひ又一ハのほせをかるゝ正体を都にとゝめ時節をまち文をすてゝ武をもつハらとする人をいさめんたよりになさんと元亀三年二月ハしめこれをしるしをはりぬ紹巴(花押)」とある如く、本件は紹巴が元亀2年(1571)6月元就逝去の翌年に下命をうけて編輯したもので、文武を兼ね天下の輿望をになった元就の人となりを讃えている。
句集(連歌部分)は、前半が附句、後半が発句にわかれ、それぞれ49句、30句が撰ばれており、その全句に紹巴が評語を加えている。
▲縦18.7㎝ 長729.4㎝
※重要美術品(昭和10年12月13日認定)
(3)毛利元就詠草連歌(元亀三年六月道澄筆)
里村紹巴編、昭高院准后大僧正道澄筆
紙本墨書 巻子装。
茶地錦の表紙。見返しは金地布目に菊桐一字三星紋をあらわす。料紙は鳥の子、紙継ぎ69紙。
外題には「元就卿詠艸 道澄親王筆」、内題(端作り)は「詠草」とあって題下に「陸奥守従四位下大江元就」と記す。
和歌は1首1行書き、本来、1面9行書きであった冊子本を、後に巻子本に装釘している。
本書は、詠草部分と連歌部分とからなり、前半の詠草には、三条西実澄によって元亀3年4月に記された跋が添えてある。「……然れは天のしたにその勇士なる誉をのみ称して風雅の庭にあそふこころさしのふかきゆへをいまたしる人なかりきかくてなからんのちの忘かたみにとやうら波のおりおりよせけんあまのかる藻かきつめたるくさくさののこりとゝまれるを人々みなおとろきぬまゝにこれをたゝにやはとて一まきとなしつゝ、あをうなはらのしほあひをしのき八重たつ雲の山路をわけてあまつ雁のつて待えたるをいかてかはあさくもみ侍らんかやうにあつめしるしけん人こそは又いやつきにその名もあらはれ侍ぬへけれと思ふさへそむつましきや……于時元亀第三暦仲呂吉辰懸車老翁特進実澄」とあり、成書に実澄が評語を加えたものであること、又、後半の連歌の紹巴の跋(元亀3年2月はじめ)より遅れて成立していること、さらには歌集の編者も句集と同じく紹巴である可能性の強いことがわかる。
最後に「茲有毛利陸奥守大江元就朝臣哥作之 巻端者三條大納言実澄卿被述批語奥者紹巴法師挙稱美之詞感慨不浅者也予一覧之次勒以作一冊染愚毫訖、于時元亀第三暦仲呂吉辰、忝縊従三位惟特惟馨 豈武勇 権威耳乎、寔可謂光前絶後芳名而己 林鐘曰 大僧正(花押)記之」の奥書を有する。
三条西実澄が評と跋とを付した歌集(詠草)1巻と紹巴が評と跋とを付した句集(連歌)1巻とを合わせて、紹巴と新しく交渉のあった聖護院道澄が元亀3年6月に書写したものである。
毛利元就は元亀2年6月14日没しているが、その3ケ月前の「元亀二年三月十六日人々尋来りて花みむともよほし侍るに」なる詞書を持つ歌も載せており、元就の没後直ちに編輯に入り、実澄、紹巴に評と跋とを乞い道澄によって浄書されたものと考えられる。
▲縦29.7㎝ 横1112.7㎝
黒塗金縁内箱金泥書並びに溜塗外箱黒漆書
「昭高院准后大僧正道澄御筆 贈從三位前陸奥守大江朝臣元就公御詠艸」
(4)毛利元就詠草(春霞集の祖本)
江戸時代初期写 紙本墨書 袋綴冊子装
紺無地の表紙。料紙は楮紙。全紙数58丁、その内墨付57丁、巻首に遊紙1丁あり。本文は1面6行書き。
外題は表紙左肩に貼付された題簽に「詠草大江元就」とある。内題は「詠草」で題の左下に「陸奥守従四位下大江元就」と記す。
歌集部分には三条西実澄が、句集部分には紹巴が、各々評と跋文とを付しており、その跋の後に「大僧正(道澄)」の奥書を有する。さらに道澄が三原中納言隆景(小早川隆景)に送った旨の記述が付されており、巻末には「しよほうしつそう」(諸法実相)の八文字を冠に詠み込んだ折句歌8首を載せる。
本書によって刊行した板本が「許保里耶麻志布」(郡山集 文政3年刊)であり、又、「春霞集」(明治24年12月刊)であって、その祖本にあたると考えられる。
▲縦23.0㎝ 横15.7㎝
(附)・毛利元就連歌懐紙(永禄五年卯月三日賦何人連歌)
紙本墨書、折紙綴
外題「元就公連歌懐紙」、打雲料紙4紙
百韻、元就ほか11名、元就の付句は15句。
発句「卯花や雪もたかねの時鳥 重雄」
脇句「若葉むらむら明ほのゝ山 元就」
第三句「残る夜の月に霞のいま見えて 隆元」
▲縦17.7㎝ 横54.0㎝
・毛利元就短冊和歌
各紙本墨書 掛幅装
①「よろこひのつきせぬ色を春そまつみせてやむめの花もほゝゑむ 元就」
▲(短冊)縦35.4㎝ 横5.6㎝
②「晴れゆくや月の光も移ぬる代々にかハらぬ詠めなりけり 元就」
▲(短冊)縦36.2㎝ 横5.㎝
③「田家水 かりあくる秋の田面にゆく水のかけもさひしき草のいほかな 元就」
▲(短冊)縦34.3㎝ 横5.2㎝
・毛利元就青柳詠草
紙本墨書 巻子装
外題「元就公青柳詠草」、楮紙料紙
「柳 元就上 青柳の糸くりかへすそのかみは誰か小手巻の初成覧」
▲縦17.5㎝ 横51.8㎝
(年月日未詳)廿六日如元書状(勧弁宛)1通、(年月日未詳)毛利元就青柳詠草名歌記(常保筆)が添う。箱金泥書「元就公青柳詠草」、箱蓋裏に金泥で明治二十七年十二月宍戸の識文がある。
・毛利元就短冊和歌
各紙本墨書
①「尾崎にて花御歴覧の日
心ありて おる一枝に老か身も ゆかてや堪む遠山さくら 元就」
背に極札1枚が貼付される。
▲縦33.1㎝ 横5.3㎝
②「うつし植て木すゑ立副桜はな 君の千とせのかさしなるらん」
▲縦36.7㎝ 横5.8㎝
③「かくハかり情あるしの花なれハ 色香を何にたくへてもみむ 元就」
背に極札1枚が貼付される
▲縦36.4㎝ 横5.8㎝
④「日の光やふしわかねはいその神 ふりにしさとに花も咲けり」
背に「毛利元就卿御筆古歌短冊」と墨書する貼紙がある。
▲縦35.6㎝ 横5.7㎝
⑤「君ならて誰かあくへきつゝ井つゝゐつゝにさける桃の下水 元就」
背に極札1枚が貼布される。
▲縦36.3㎝ 横6.0㎝
⑥「歸鷹知春 いつよりかをのか常世をすみかとてかすめは歸る春の鷹かね 元就」
▲縦37.2㎝ 横5.5㎝
その他参考となる事項
(1)毛利家文庫(山口県文書館蔵)に「御詠草一事」1冊がある。安永8年(1779)の年紀をもつが、照高院道澄が「毛利元就詠草」を浄写するに至る経緯などを明示する。
(2)防府毛利報公会には、元亀2年(1571)6月毛利元就逝去後、間を置かず認められた僧正道澄筆の「毛利元就弔文并和歌」(懐紙墨書、巻子装)1巻があり、毛利家と道澄の関係を暗示する。
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