慶長国絵図 控図
けいちょうくにえず ひかえず
宇部市
国
重要文化財
江戸時代
国絵図は、江戸幕府の命令によって作成された一国単位の大型彩色絵図。江戸時代の国土の基本図となったもので、慶長・寛永・正保・元禄・天保の各期に作成され幕府へ上呈された。防長両国分については、寛永期を除く絵図の控図が揃って現存している。この慶長国絵図は、萩藩の家老福原広俊が幕府への国絵図上呈を担当したことにより、その控図が福原家文書の中に伝えられたと考えられる。縦167㎝、横315㎝の周防図と縦171㎝、横264㎝の長門図からなり、両絵図は合紋(継ぎ合わせの符号)で簡単に合わせることが出来るようになっている。裏書により、慶長期に作成された正当な控図であることが分かり、防長全域を表す地図として現存する最古のものである。干拓の全く行われていない近世初期の防長海岸線の地形状況を知り得る極めて有益な歴史地理資料である。
国絵図は江戸幕府の命令により作成された一国ごとに大きな絵図です。江戸時代、何度か作成されましたが、そのもっとも早い慶長年間に作成されたのが「慶長国絵図」です。萩藩家老福原広俊が幕府への絵図提出の仕事を担当したことから、その控図が福原家に伝えられました。縦167㎝、横315㎝の周防図と、縦171㎝、横264㎝の長門図からなり、両図は合紋という継ぎ合わせの符号で、簡単に合わせることが出来るようになっています。防長全域を表す地図として残っている最も古いものです。
慶長国絵図 控図
周防国・長門国
歴史資料
平成1年6月12日
宇部市大字小串1111番地の1(宇部市立図書館)
宇部市
慶長期(慶長9~12<1604~1607>年頃)
二舗
【形状・品質・法量】
〇法量 縦167㎝ 横315㎝(周防)
171㎝ 264㎝(長門)
〇紙数 30枚(周防) 25枚(長門)
〇墨書等
(1)周防(左下)
「 周防六郡高辻
并拾六万四千四百二十石二斗一舛二合
周防長門十四郡高辻 (印)
合廿九万八千四百八十石二斗三合」
裏書
「上 防州 京進ノ扣
(印) 」
(2)長門
「 長門八郡高辻
并拾三万四千五十九石九斗九升一合
(印)
むらさき筋ハ 郡境
あかき筋ハ 道
あをき筋ハ 川 」
裏書
「上 長州 京進ノ扣
(印) 」
※(朱方朱字印)は、いずれも「宇部文庫」。ま た、裏面四隅に黒印「福□封」(長方黒字印)が捺される。
〇郡付
墨・朱描の二重枠の短冊形の中に郡名、石高、 田畠数、物成高を記載。
〔例〕
「 高壱万六百六石四斗六升四合
田方九百十三町九段三畝拾歩
大嶋郡内
畠方四百十八町三段一畝
物成八千六拾四石三斗弐舛八合 」
大半は本紙に直接描かれるが、長門のうち豊 西・豊東・厚狭の3部の郡付は貼付の体裁。
〇村形
墨描で印形をあらわしたなかに村名を書き、郡毎に色別。「椿郷」「吉敷庄」などの例もある。村形の外に村高を記載。
〇地形描写
海陸を墨描で画し、海は青塗、陸は無地。海辺の砂州や砂嘴など砂地は白く塗る。山地は鳥瞰図風に描き、樹木繁茂のようすを表現。とりわけ長門のうち豊田郡の華山が入念に描きわけられ、「下山」の銘記がある。他に「長登山」(美祢郡)の記載がある。
〇人文事物描写
(1)城
長門国に萩城、長府の串崎城が、周防国に山口の鴻峯城が、岩国の横山城が描出される。
(2)その他
阿武川河口のデルタにわたる橋本橋が板橋の姿で描かれる。大津郡中に建物5棟の描写があり、記載はないが大寧寺と判断される。都濃郡中、郡付の下に「龍文寺」と朱書きされる。
(3)国境関係
周防・長門両国図は接合できる形に仕立てられ、周防は吉敷郡「賀川」の上に、長門は厚東郡「四ヶ小野」の下にそれぞれ朱描で合紋(「凵」)がある。
<周防>
玖珂郡境に「川限安藝ノ内」「安藝ノ内浅原」、都濃郡境に「石見ノ内吉賀郡」と逆書き書留めがあり、岩国沖合の甲島には国境が走って二分し、上半に「甲 安藝ノ内」、下半に「甲 周防ノ内」と表記される。
<長門>
関門海峡を隔てた門司側に、海岸線を白で粗描した上に、古城山を彩描して、「豊前門司」と郡付同様の二重枠短冊紙を貼付する。
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