山口県と岩国市では、山口県岩国市にある木造橋「錦帯橋(きんたいきょう)」の世界遺産(文化遺産)への登録を目指しています。
多くの方に、錦帯橋の素晴らしさを知っていただきたく、今後、不定期で、錦帯橋を紹介していきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
錦帯橋
1 錦帯橋
(1)錦帯橋が架かる錦川
錦帯橋は、錦川(にしきがわ)に架かる橋です。錦川は、島根県との県境にある、周南市の莇(あざみ)ヶ岳を水源とし、瀬戸内海に注ぐ長さ約110km、流域面積約885平方kmに及ぶ山口県一の大きな川です。関東地方の方に分かりやすくお伝えすると、神奈川県を流れる相模川と長さ(約113km)がほぼ一緒で、流域面積(約1,680平方km)が半分強といったところです。
このため、錦川の普段の水量はさほどでもありませんが、一旦大雨が降ると一気に流量が増え、河床から7mを超え、橋桁に迫ることもありました。錦帯橋が架けられるまでも、何度か橋が架けられていたようですが、当時の桁橋では洪水によりひとたまりもなく流されていたようです。
この「錦帯橋の前にも架けられていた橋があった」という事実は、実は、地元でも知らない人は多いようです。一例をあげると、錦帯橋架橋からさかのぼること16年の1657年(明暦3年)には、第2代岩国領主の吉川広正(きっかわ ひろまさ)が橋を建設し、9月16日に渡り初めを行いますが、1659年(万治2年)5月19日には、流されてしまっています。
(2)日本三大奇橋
錦帯橋は、錦川の川底に敷石を敷き詰め、4つの小島状の石造橋脚を築き、5つのアーチ型の橋を架橋した全長225m、幅5mの橋で、水面からの高さは最大で10mあります。
この構造から錦帯橋は、日本三大奇橋に数えられています。これは、江戸時代、番付を付けることがはやっており、構造が変わった珍しい橋を「日本三奇橋」あるいは「日本三大奇橋」と呼んでいたことに由来します。周防国錦川の錦帯橋、甲斐国桂川の猿橋、越中国黒部川の愛本橋をそう呼ぶことが多いのですが、愛本橋に代えて、信濃国木曽川の桟(かけはし)や、下野国日光の神橋(しんきょう)、阿波国祖谷(いや)のかずら橋を挙げているものもあります。なお、桟と愛本橋は現存していません。
(3)流されない橋
関ヶ原の合戦後、周防・長門両国の大名となった毛利輝元から周防国玖珂郡・大島郡の3万7129石が吉川広家(きっかわ ひろいえ)に与えられました。広家は、岩国に城下町を築き、以後、吉川家は「岩国領主」と呼ばれます。
広家は、山陽道を眼下に望む横山に城を築き、その裏手の麓に館を、錦川を挟んで対岸の岩国に城下町を築きます。館と城下町とを架け渡すため、早くから橋が架けられましたが、橋は洪水のたびに流されていました。
第3代岩国領主の吉川広嘉(きっかわ ひろよし)は、洪水があっても流れない橋を架けたいという熱い思いで研究を進め、1673年(延宝元年)に錦帯橋を創建しました。
しかし、完成後、わずか8ヶ月で洗掘により橋脚が崩壊し、流されてしまいました。その反省にたち、橋脚を強化して翌年には再建、また、その後に洗掘を防ぐ敷石の改良を進め、1950年(昭和25年)のキジヤ台風まで、276年間流されなかった橋となりました。
276年間流されなかったというのは大変すごいことなのですが、実は、日本には291年間流されなかった橋もあります。それは隅田川に係る千住大橋(せんじゅおおはし)でした。1594年(文禄3年)に架橋され、1885年(明治18年)まで流されませんでした。江戸時代の初めから終わりまで一度も流されなかったことから、「江戸300年を生き抜いた名橋」とも呼ばれていたそうです。
今回は、錦帯橋とはどんな橋なのかについて御紹介しました。次回は、国指定名勝である錦帯橋について、御紹介したいと思います。どうぞ、お楽しみに。 (M)
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