一般向け 説明 | 六連島灯台は、慶応3年(1867)に英国と締結した大坂条約に基づき、瀬戸内海の難所に整備された灯台五基のひとつで、下関市の六連島の北東部に築かれた。築造にあたり、日本政府に採用されたスコットランド生まれの英国人土木技師リチャード・ヘンリー・ブラントンが、英国のスティヴンソン社の仕様書に基づいて指導監督した。着工は明治3年(1870)10月、竣工は明治4年11月28日である。 灯台は、建築面積57.7㎡、総高10.2mで、石造の灯塔に金属製の灯籠を載せる。灯塔は円形の平面で、東側には扇形平面の付属舎が取りつく。灯籠には、当初は二重火口芯の灯器が用いられ、第四等レンズが設置されていた。灯籠の上層は鉄製菱型格子窓枠を取り付けており、海側にはガラス、陸側は鉄板を嵌める。 国内最初期の洋式灯台であり、近代航路標識の礎として、近代海上交通史上の価値が高い。 |