一般向け 説明 | 松下村塾は吉田松陰が下級武士や庶民の子弟を教育した私塾。 松陰は萩藩の下級武士杉家に生まれ、のち藩の山鹿流兵学師範を代々勤める吉田家の養子となった。9歳で藩校明倫館に出仕し11歳の時には藩主毛利敬親の前で講義を行った。21歳で長崎・江戸に遊学するが、その後脱藩の罪により萩に閉居となる。1854年(安政元)アメリカ艦隊が日本にやって来たとき海外渡航を試み失敗。幕府のとがめを受け江戸の獄に入れられ、のち萩の野山獄に移された。1855年(安政2)、野山獄を許された松陰は実家の杉家に幽囚となった。 松下村塾はもとは松陰の叔父玉木文之進が主催する塾であったが、杉家に幽囚となった松陰が1856年(安政3)から近隣の子弟のために塾を主催し教育を始めた。その後、松陰を慕って数多くの門弟が松下村塾で学び、前原一誠・高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文・品川弥二郎など明治維新期に活躍した多くの人材がこの塾から輩出された。 松下村塾の建物は八畳と十畳半との2部屋からなる。今も当時の状態がよく保存されており、外部から部屋の中を見て塾の様子を偲ぶことができる。 1907年(明治40)南隣に松陰神社が造られている。 |