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文化財の概要コンテンツ

文化財名称けんぽんぼくがたんさいせっしゅうとうようぞう(うんこくとうえきひつ)
絹本墨画淡彩雪舟等楊像(雲谷等益筆)
指定県指定
市町山口市区分有形文化財時代江戸時代
一般向け
説明
 山口市常栄寺に蔵されている。
 掛幅装で、たて104.9cm、横34.2cm。
 黒いずきんをかぶり、墨衣の上に袈裟(けさ)を着け、衣中胸前で手をくむ半身像で、雪舟の自画像を写したものといわれる。
 雪舟は備中(岡山県)の人。京都相国寺にはいり、禅を学び画を周文に習う。1460年頃山口に移り、大内氏の庇護をうけ山口に雲谷庵を営む。1467年、遣明船で渡明し、天童山景徳寺の第一座となった。帰国後、雲谷庵を本拠とし、日本各地を遊暦し多くの作品を残した。1506年(永正3)雲谷庵で没したと伝えられる。わが国山水画の大成者である。
 画像を写した雲谷等益は、雪舟流の画法をうけついだ雲谷等顔の次男である。萩藩御用絵師となり、藩邸や大寺のふすま絵などを多く描いている。1644年に没した。
 賛を書いた玉舟は臨済宗(りんざいしゅう)の僧で、京都大徳寺の185世。1668年に没した。 等益、玉舟らの没年からみて、この絵は江戸時代初期、17世紀前半頃の制作とみられる。
小学生向け
説明
 山口市の常栄寺(じょうえいじ)にあります。
 寸法は、たて105cm、横34cmです。
 雪舟の自画像を写したものといわれます。
 江戸時代の1600年代前半に描かれたものとおもわれます。
 雪舟は備中国(現在の岡山県)の人で、京都にある相国寺(しょうこくじ)にはいり、禅を学び、画を周文(しゅうぶん)に習いました。1460年ごろ山口に移り、大内氏の庇護をうけて雲谷庵(うんこくあん)をいとなみました。1467年、遣明船で中国へ渡り、帰国後、雲谷庵を本拠とし、日本各地を旅し、多くの作品を残しました。1506年雲谷庵で没したと伝えられています。日本の山水画の大成者です。
 画像を写した雲谷等益は、雪舟流の画法をうけついだ雲谷等顔の次男です。萩藩御用絵師となり、藩邸や寺のふすま絵などを多く描いています。1644年に没しました。
画像<絹本墨画淡彩雪舟等楊像(雲谷等益筆)>縮小画像(オリジナル画像表示リンク)

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