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文化財の概要コンテンツ

文化財名称たけひさはまふんぼぐん しゅつどひん
武久浜墳墓群出土品
指定県指定
市町山口市区分有形文化財時代弥生時代
一般向け
説明
 武久浜墳墓群は、響灘(ひびきなだ)に面する下関市武久町の海岸砂丘にある弥生時代(やよいじだい)中期(約2,100年前)を中心とする埋葬跡(まいそうあと)です。発掘調査により、石棺墓(せっかんぼ)等が発見され、遺体とともに棺の中に入れられた半両銭、ガラス小玉、磨製石剣や棺の外に供えられた弥生土器がみつかりました。
 半両銭は、青銅(せいどう)製で、直径2.2㎝、重さは1.3gです。半両銭は、紀元前4世紀後半~紀元前2世紀後半にあたる中国戦国時代の秦(しん)~前漢(ぜんかん)中頃までつくられました。これまで国内の弥生時代の遺跡では、本例を含めて5遺跡からみつかっていますが、この資料は唯一墓に収められたことが明らかなものです。
 ガラス小玉は、直径約4㎜で、色は3個が濃いグリーン、2個がコバルトブルーです。本来腕輪や首飾りとして使うものですが、当時としては貴重なもので、墓からみつかることはそう多くありません。
 磨製石剣は、大陸系磨製石器(ませいせっき)の一つで、この資料は県内で出土した石剣の中でも、比較的厚手で丁寧につくられており、残りも良いものです。
 弥生土器には2種類あり、1種類は土器の表面に赤色の塗料を塗り丁寧に磨いた優美なものです。形や粘土、作り方の特徴から、北部九州でつくられ持ち込まれたものとみられます。もう1種類は、形には若干北部九州の影響がみられるものの、器壁が厚く、粘土に多くの砂粒を含むもので、地元でつくられたものと考えられます。
 これらの出土品は、全国的に著名な下関市豊北町の国指定史跡土井ヶ浜遺跡(どいがはまいせき)をはじめとする響灘沿岸地域に展開する弥生時代埋葬跡の特徴や盛衰、大陸を含めた他地域との交流のようすを知る上で、極めて貴重な資料といえます。
小学生向け
説明
 武久浜墳墓群は、響灘(ひびきなだ)に面する下関市武久町の海岸砂丘にある約2,100年前のものを中心とする埋葬跡(まいそうあと)です。発掘調査により、石棺墓(せっかんぼ)などが発見され、遺体とともに棺の中に入れられた半両銭、ガラス小玉、磨製石剣や棺の外に供えられた弥生土器がみつかりました。
 半両銭は、青銅(せいどう)製で、直径2.2㎝、重さは1.3gです。半両銭は、紀元前4世紀後半~紀元前2世紀後半にあたる中国戦国時代の秦(しん)~前漢(ぜんかん)中ごろまでつくられました。これまで国内の弥生時代の遺跡では、本例を含めて5遺跡からみつかっていますが、この資料は唯一墓に収められたことが明らかなものです。
 ガラス小玉は、直径約4㎜で、色は3個が濃いグリーン、2個がコバルトブルーです。本来腕輪や首飾りとして使うものですが、当時としては貴重なもので、墓からみつかることはそう多くありません。
 磨製石剣は、県内で出土した石剣の中でも、比較的厚手で丁寧につくられており、残りも良いものです。
 弥生土器には2種類あり、1種類は土器の表面に赤色の塗料をぬり丁寧にみがいた優美なもので、北部九州でつくられ持ち込まれたものとみられます。もう1種類は、器壁が厚く、粘土に多くの砂粒を含むもので、地元でつくられたものと考えられます。
 これらの出土品は、全国的に有名な下関市豊北町の土井ヶ浜遺跡(どいがはまいせき)をはじめとする、響灘沿岸地域にひろがる弥生時代埋葬跡の特徴や盛衰、他地域との交流のようすを知る上で、極めて貴重な資料といえます。
画像<武久浜墳墓群出土品>縮小画像(オリジナル画像表示リンク)

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