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文化財の概要コンテンツ

文化財名称しかいろう
四階楼
指定国指定
市町上関町区分重要文化財時代明治
一般向け
説明
  四階楼は、古代から近代にかけて、海上交通の要所として栄えてきた山口県東南、室津半島の先端部にあり、明治12年(1879)に小方謙九郎を施主として、迎賓もしくは宿泊施設として造営された。小方謙九郎は、天保5年(1834)に生まれ、幕末には第二奇兵隊に所属して活躍し、維新後は室津(上関町)へ帰って、廻船問屋や汽船宿を営んだ。また、彼は日本に初めてスキーを導入し、飛行機の普及にも積極的であった長岡外史の父として知られている。  
 建設当時「最先端なるモダンな建築物」であった四階楼は、その奇抜な和洋折衷様式のデザインから、文明開化の地方への普及がうかがえ、こうした高層建築が、当時広島や大阪などにも建てられたという記録が残っているが、現存しているのは四階楼のみである。 
小学生向け
説明
  四階楼は、古代から近代にかけて、海上交通の重要な場所として栄えてきた山口県東南、室津半島の先端部分にあります。1879年に小方謙九郎が、大切な客を迎えたり、宿泊のための施設として建てさせました。小方謙九郎は、1834年に生まれ、幕末には第二奇兵隊に入って活躍し、維新後は室津(上関町)へ帰って、商品などを船で運ぶための世話をする問屋や、汽船の乗客や荷物のための宿を営みました。また、彼は日本にスキーや飛行機を広めた長岡外史の父として知られています。  
 建設当時「最先端なるモダンな建築物」だった四階楼は、日本風と西洋風の様式をとりまぜた、風変わりなデザインで、文明開化が地方に広まっていたことがわかります。このような高い建物が、当時広島や大阪などにも建てられたという記録がありますが、いま残っているのは四階楼だけです。 
画像<四階楼>縮小画像(オリジナル画像表示リンク)

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