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文化財の概要コンテンツ

文化財名称ぜんしょうじていえん
善生寺庭園
指定県指定
市町山口市区分記念物時代室町時代
一般向け
説明
 善生寺は、山口盆地北東の周慶寺山の北西山麓にあり、ここには大内氏重臣の内藤興盛(1494~1554)の菩提寺西方寺があった。西方寺には、慶長9年(1604)に毛利輝元(1553~1625)の側室が葬られた。寛文元年(1664)に萩の周慶寺が移されたが、明治初年(1868)に廃寺、今市町にあった善生寺が移転してきた。
 庭園は、境内の南側にあり、面積は約 1,500㎡。池泉の北側から観賞する池泉観賞式庭園である。池泉を中心として、南西側には、渓谷風の石組があり、ゆったりとした枯流れとなっている。その左右には、築山がしつらえられ、とくに左側の築山には、高さ約 120cmの大ぶりな山形の石材を主体に7石が配置され、庭園主要部を形成している。
 東側の池尻(いけじり)に架かる自然板石は、懸石(かけいし)と呼ばれるこの地方独特の手法である。池泉の中央部には、井泉石組(せいせんいしぐみ)があり、湧水で常時池泉に水をたたえている。
 発掘調査によって導水路や排水路などの遺構とともに、土師器(はじき)などの遺物が出土。これらにより、15世紀末頃に自然沼地を利用して作庭され、当初は、導水路側(東側)から鴻ノ峰を借景(しゃっけい)として観賞したと考えられる。17世紀末頃には、中島が作られた。
 発掘調査によって作庭時期や変遷などの全容が確認された貴重なもので、県内では、数少ない中世庭園の一つであり、資料的価値はきわめて高い。
 江戸時代の史料によると、雪舟が作ったと記されている。
小学生向け
説明
 善生寺は山口市古熊にあります。ここには大内氏の家臣内藤興盛(ないとうおきもり)の菩提寺西方寺(さいほうじ)がありました。
 庭園は、池や水の流れを観賞する庭園です。南西側には、けわしい谷のような石組があり、水を使わずに水の流れを表現しています。その左右は、山をかたどって小高くなっており、とくに左側には、高さ約 120cmの大ぶりな山形の石材など7石が置かれ、庭園の主な部分になっています。
 東側の池の端にかかる板のような石は、懸石(かけいし)と呼ばれるこの地方独特の手法です。池の中央には、井戸の石組があり、わき水でいつも池を満たしています。
 発くつ調査によって水路や土器などが出土しました。室町時代に自然の沼地を利用してつくられ、はじめのころは東側から鴻ノ峰を背景として観賞したと思われます。
 雪舟がつくったと伝えられています。
画像<善生寺庭園>縮小画像(オリジナル画像表示リンク)

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