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文化財の概要コンテンツ

文化財名称(あかますずり)ひえだとしお(がごう:ぎょくほう)
(赤間硯)日枝敏夫(雅号:玉峯)
指定県指定
市町宇部市区分無形文化財時代
一般向け
説明
 赤間硯の起源は不詳であるが、その歴史はかなり古く、赤みを帯びた紫色の硯(原石は赤色頁岩)としてよく知られ、我が国を代表するものである。硯は、筆墨に頼った時代の必要不可欠な文房具として、江戸時代を頂点に赤間(下関市)や厚狭(山陽小野田市)に多くの硯師(硯屋)を輩出させて盛んに生産され、藩のお抱え細工人となる者もあったが、その後は生活の近代化により急速に衰退し、硯制作者は今や指折り数えるまでに減少している。
 日枝敏夫(三代玉峯(ぎょくほう))は、山口県宇部市大字西万倉に、赤間硯の制作・販売を行う父・二代玉峯(ぎょくほう)の長男として生まれ、父の下で赤間硯の制作技法とともに、硯の原石となる赤色頁岩の採取の技術を習得した。その後、更に研鑽を積み、伝統的な硯の制作技法を高度に体得するとともに、その表現の研究を深めた。
 同人は、赤間硯において用いられる原石の採取を昔ながらの坑内掘りで自ら行い、硯制作に必要な、採石、加工、研磨、仕上げなどの工程をすべて一人で行うことができる。そして作品は、陸と海が必然となる古典的な硯の造形において、重厚でありながらシャープな稜線を巧みに取り込んだ姿を見せている。その作風は、基本を踏まえつつも柔軟な発想がひかり、陸と海が創り出す新しい硯の造形世界を切り拓いたものとして高い評価を得ている。
小学生向け
説明
 赤間硯(あかますずり)のはじまりは、くわしくはわかりませんが、その歴史はかなり古く、赤みをふくんだ紫色の硯としてよく知られ、わが国を代表するものです。硯(すずり)は、筆と墨(すみ)に頼った時代に欠かせない文房具として、江戸時代を頂点に、赤間(下関市)や厚狭(山陽小野田市)で盛んにつくられましたが、その後は生活の近代化により急速におとろえ、硯制作者は今では指折り数えるまでに減っています。  
 日枝敏夫(ひえだ としお)さん(三代玉峯(さんだいぎょくほう))は、宇部市大字西万倉で、赤間硯の制作と販売を行うお父さん(二代玉峯)の長男として生まれ、お父さんのもとで制作技術と、赤間硯の原石である赤色頁岩をとる技術を学びました。そして修行を重ね、伝統的な硯をつくる技を高度に身に着け、硯を美しく見せるための研究を進めていきました。
 日枝さんは、赤間硯制作で必要な原石を昔ながらの坑内掘り(こうないぼり)という方法で自分が採石し、形にする作業、磨く作業、仕上げの作業のすべてをたった一人で行います。硯は高くなっている部分を陸、低くなって墨がたまる部分を海といいますが、必ずこの2つが必要とされる単純な構造の硯においても、重みがありながらも鋭い縁の線を巧みに使った独特の硯を制作しています。その作風は、基本をしっかりと押さえながら自分のアイデアもしっかり盛り込んだ新しく美しい硯の世界を切りひらいた人として高く評価されています。
画像<(赤間硯)日枝敏夫(雅号:玉峯)>縮小画像(オリジナル画像表示リンク)

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