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文化財の概要コンテンツ

文化財名称せいえんようぐ
製塩用具
指定国指定
市町防府市区分重要民俗文化財時代江戸時代
一般向け
説明
 入浜式製塩法は、塩浜の砂が乾くのに従って、底の潮水を吸上げ土砂に塩分が付く方式で、揚浜方式にくらべ少ない労働力でより多量の塩分をとることを可能にしたもので赤穂で考え出された。
 防府の三田尻に入浜方式が伝えられたのは1699年(元禄11)のことで、それ以来三田尻は防長地方最大の塩田を形成し、瀬戸内海有数の大塩田地帯に発展した。
 1952年(昭和27)頃から瀬戸内の入浜式塩田は、流下式に切り替えられ、1958年(昭和33)頃には、生産過剰となり防府の塩田は廃田となった。
 製塩用具は三田尻塩業組合により入浜式製塩関係用具として収集保存された49点と、別に日本専売公社防府製塩試験場が収集し追加指定された能登の揚浜式製塩関係用具24点からなる。ともに日本の製塩法の推移を示す貴重な文化財である。
小学生向け
説明
 塩田から塩をつくる昔の道具が海洋民俗資料収蔵庫(防府市)にあります。
 古い塩田では、人手で海水をくみあげて散水して塩分を砂につけ、塩を採取していました。その後、塩田の砂がかわくのに従って、底の潮水を自然にすい上げ砂に塩分をつける方法が兵庫県の赤穂(あこう)で考え出されました。                
 今から300年前に、赤穂で考え出された方法が三田尻に伝えられ、防府の三田尻(みたじり)塩田は山口県東部で最大となり、瀬戸内海沿岸で有数の大塩田地帯に発展しました。
 50年前頃から新しい流下(りゅうか)式という方法に切りかえられて、塩はあまるようになり、現在、防府の塩田はその役割を終えましたが当時の塩をつくる道具が伝えられています。また、塩田の跡は公園になっており、当時の姿を見ることができます。
画像<製塩用具>縮小画像(オリジナル画像表示リンク)

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