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文化財の概要コンテンツ

文化財名称ながほねんぶつおどり
長穂念仏踊
指定県指定
市町周南市区分民俗文化財時代
一般向け
説明
 陶氏の菩提寺である吉祥山「竜文寺」で、8月7日に、虫干し供養として奉納されていた踊り。この踊りは、当初、陶氏追善供養として、旧暦7月7日に行われていたが、後に、雨乞い踊りとなって、竜文寺と氏神の周方神社で行われるようになり、旱魃の年にのみ奉納されてきた。周防国富田の若山城主・陶晴賢が、1555年(弘治1)に毛利元就と安芸の厳島(現在の広島県宮島)で戦って敗れ、若山城に留守居していた陶五郎長房・小次郎らも、毛利の進攻に遭い、城を脱出して徳地(現在の佐波郡徳地町)に逃れたが、遮られて長穂の竜文寺に入った。互いの攻防が数カ月も続いたが、勝敗が決まらず、毛利軍は、兵士をこの地方の氏神・周方大明神の祭事として存在していた念仏踊りの踊り子に変装させ、不意を突いて、陶一族を攻め滅ぼした。この陶氏滅亡の哀しい歴史にまつわる話が、念仏踊りの由来として言い伝えられている。寺の境内には、陶盛政ら一族の墓がある。
小学生向け
説明
 吉祥山「竜文寺」で、8月7日に、虫干し供養として奉納されていた踊りです。初めは、毛利氏に滅ぼされた陶氏の冥福(死後の幸福)を祈るために、旧暦7月7日に行われていましたが、後に、雨乞い踊りとして、竜文寺と氏神の周方神社で行われるようになり、旱魃の年にだけ奉納されてきました。戦いの勝敗が決まらないため、毛利軍は、兵士をこの地方の氏神の周方大明神の祭事となっていた念仏踊りの踊り子に変装させ、不意を突いて、陶一族を攻め滅ぼしたという話が、この念仏踊りのいわれとして伝えられていて、寺には、陶盛政ら大内一族の位牌や墓があります。
画像<長穂念仏踊>縮小画像(オリジナル画像表示リンク)

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