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文化財の概要コンテンツ

文化財名称やすおけもんじょ
安尾家文書
指定県指定
市町下関市区分有形文化財時代
一般向け
説明
  安尾家は、戦国時代から大正時代に至るまで現在の下関市長府で鋳物業(金属を溶かして型に流し込み、鐘・鍋・釜などをつくる)を家業とした家である。
「安尾家文書」は、安尾家に伝えられた、1212年(建暦2)から1549年(天文18)までの15点の文書。
 長門国の金屋(鋳物師)の動向や、津波木(萩市)、須佐(萩市)、瀬戸崎(長門市)、厚狭(山陽小野田市)、肥中(下関市豊北町)に金屋があったことを教えてくれる点で注目される。
 県下では、中世の鋳物師に関する文書はほかには知られず、全国的にも数が限られている。
小学生向け
説明
  「安尾家文書」は、鎌倉時代の1212年から室町時代の1549年までのあいだに書かれて、下関市長府三島町にある安尾家に代々つたえられた、中世の鋳物師(いもじ)に関する古文書です。鋳物師とは、金属を溶かして型にながしこみ、鐘(かね)・釜(かま)・鍋(なべ)などをつくる仕事にたずさわった人です。安尾家は、1915年(大正4)まで、現在の下関市長府で鋳物業をしていました。鋳物に関するこのような文書は全国的にも数が限られており、貴重な文書です。
画像<安尾家文書>縮小画像(オリジナル画像表示リンク)

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