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文化財要録コンテンツ

名称関連文化財名称善生寺庭園
要録名称善生寺庭園
指定関連指定区分・種類名勝
指定年月日平成19年4月6日
所在地関連所在地山口市上宇野令字周慶寺1016の1
所有者関連所有者宗教法人善生寺


文化財詳細
制作等の年代又は時代
室町時代

由来及び沿革

(1)善生寺の沿革

 浄土宗導衆山善生寺は、山口盆地の北東に位置し、周慶寺山の北西山麓(標高約50m)に所在する。寛保元年(1741)の「周慶寺由緒書控之写」(ゆいしょがきひかえのうつし)によると、この場所には、弘長元年(1261)開創と伝えられる西方寺があった。西方寺は、大内氏重臣の内藤興盛(1494~1554)の菩提寺で、慶長9年(1604)に毛利輝元(1553~1625)の側室(兒玉氏)が葬られた。寛文元年(1664)に、萩の周慶寺が移されたが、明治初年(1868)に廃寺。明治2年(1869)(明治3年とする説もある)、今市町にあった善生寺は、廃寺となっていた周慶寺の境内及び建物を譲り受けて移転してきた。なお、平成16年(2004)に解体された本堂は、元文5年(1740)に毛利宗広(1717~1751)により建立されたものである。

(2)庭園の発掘調査とその成果

 庭園は、本堂の建て替え工事に先立ち、平成17年度から平成18年度にかけて山口市教育委員会により発掘調査され、新たに導水路や排水路などの遺構とともに、土師器(はじき)などの遺物が出土。これらにより、15世紀末頃に自然沼地を利用して作庭され、当初は、導水路側(東側)から鴻ノ峰を借景(しゃっけい)として観賞したと考えられる。17世紀末頃には、中島が作られた。その後、本堂など建物の建て替えの影響を受けながら池泉の拡張・縮小を繰り返し、現在の形状に至ったことが明らかとなった。なお、懸石は、近世の後補とみられる。



構造及び形式

 庭園は、境内の南側(本堂・庫裡の裏側)を占め、面積は、約 1,500㎡。池泉の北側から観賞する池泉観賞式庭園である。池泉を中心として、南西側には、渓谷風の石組があり、ゆったりとした枯流れとなっている。その左右には、築山がしつらえられ、とくに左側の築山には、高さ約 120・の大ぶりな山形の石材を主体に7石が配置され、庭園主要部を形成。池泉の護岸寄りにも部分的にやや大ぶりな石材が据えられ、汀(みぎわ)に強弱をもたせている。

 東側の池尻(いけじり)に架かる自然板石は、懸石(かけいし)と呼ばれるこの地方独特の手法である。これらの石材は、石英斑岩(せきえいひんがん)や黒色片岩(こくしょくへんがん)などで、周辺に分布するものを採取して使用したと考えられる。

 池泉の中央部には、井泉石組(せいせんいしぐみ)があり、湧水で常時池泉に水をたたえている。




地図



画像
<善生寺庭園>関連画像001(オリジナル画像表示リンク)<善生寺庭園>関連画像002(オリジナル画像表示リンク)<善生寺庭園>関連画像003(オリジナル画像表示リンク)

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