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長州藩/内容

◇安土桃山時代

 16世紀なかば、ポルトガル人が日本を訪れ、鉄砲伝来やザビエルによるキリスト教布教にはじまる南蛮貿易が盛んになりました。
 戦国大名の中からは織田信長があらわれ、室町幕府をほろぼし、一向一揆をおさえ、四方の大名を攻めて、全国統一をめざしました。信長は南蛮貿易をおしすすめ、関所の廃止や楽市楽座によって商工業の発展をはかり、安土に当時としては巨大な城を築いています。
 本能寺の変後、信長のあとをついだ秀吉は、八年後に全国を統一しました。統一後、秀吉は、検地と刀狩によって兵農分離をおこないました。
   敗れた後醍醐天皇は、吉野へのがれて朝廷をかまえました。  
   このあと60年ちかく、京都の朝廷(北朝)方と、吉野の朝廷(南朝)方とのあいだで争いがつづきました。   
   この争いは各地にひろがり、北朝にくみする方と、南朝にくみする方とのあいだで、多くのいくさがおこりました。


【この時代、毛利氏は】

紙本著色毛利元就像

 中国地方一円をおさめた毛利氏は、全国統一をめざす信長の勢力とぶつかり、激しく戦いました。
  しかし、本能寺の変直前に行なわれていた戦いで和睦したあとは、一貫して秀吉に協力し、豊臣政権下では、徳川家康とともに五大老として補佐し、その政権を支えました。
 秀吉の死後、関が原の戦いで西軍の大将として敗れた側にたった毛利輝元は、徳川家康によって、それまで治めていた七カ国の領国をとりあげられ、周防・長門の二国に領地を減らされました。

毛利隆元関係資料 毛利輝元関係資料


【関連する文化財】

  

名称  所在地 
紅地桐文散錦直垂 防府市
能装束 防府市
里村紹巴筆連歌学書 防府市
紙本墨書刀絵図 防府市
毛利元就詠草連歌 防府市
絹本著色毛利元就像   山口市
紙本著色毛利元就像 防府市
毛利元就関係資料 防府市
毛利隆元関係資料 防府市
太平記 吉川元春筆 岩国市

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◇幕藩体制

 徳川家康は、江戸に幕府をひらき、武家諸法度や参勤交代制度などをもうけて諸大名を統制し、将軍の権力をつよめていきました。また、日本人の海外渡航と帰国を禁止し、島原の乱以降は外国船の来航・貿易地を長崎出島に限るなど、鎖国とよばれる体制をつくりました。
 しかし、時代を下るにつれ、享保の改革・天明の改革・天保の改革などたびたび改革をおこなって、一揆や財政悪化に対処しければならなかったように、幕府の力はゆらいでいきました。


【長州藩では】

正徳元年朝鮮通信使進物並びに進物目録 旧目加田家住宅 明倫館水練池及び有備館附明倫館碑

 領地が周防・長門の二国となった毛利氏は、萩に城を築いて、ここに城下町をつくりました。1653年には、清末藩成立によって、萩本藩と四支藩(岩国藩・長府藩・徳山藩・清末藩)の体制ができました。
 長州藩は、その当初から財政が苦しく、藩内の検地をたびたびおこなってきびしく年貢をとりたてるとともに、人づくり物づくりに力をいれ、明倫館を中心に藩校をつくり、防長四白(米・塩・紙・櫨)とよばれる産業をおこしました。


【関連する文化財】

  

名称 所在地
萩城城下町 萩市
萩市堀内地区伝統的建造物群保存地区 萩市
萩市平安古地区伝統的建造物群保存地区   萩市
萩城跡 萩市
旧萩藩御船倉 萩市
萩往還 萩・  山口・ 防府
慶長国絵図 控図 宇部市
毛利輝元関係資料 防府市
毛利秀就関係資料 防府市
萩藩主毛利家墓所 萩・ 山口
岩国藩主吉川家墓所 岩国市
錦帯橋 岩国市
香川家長屋門 岩国市
旧目加田家住宅 岩国市
山田家本屋 周南市
旧福原家萩屋敷門 萩市
口羽家住宅 萩市
旧梨羽家書院 萩市
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋 萩市
明倫館水練池及び有備館附明倫館碑 萩市
防長土図 山口市
正徳元年朝鮮通信使進物並びに進物目録   山口市
旧上関番所 上関町
森田家住宅 萩市
徳修館 周南市

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◇産業

 江戸時代のはじめより、幕府や藩は、新田開発にちからを入れ、農具や肥料が改良されたこともあわさって、米の生産量が飛躍的にのびたました。
 この時代は、農業だけでなく、鉱業における採掘技術や水産業における漁法、織物業における綿栽培など、諸産業で技術開発がすすみ、生産がふえました。
 その結果、貨幣経済がすすみ、問屋制家内工業や工場制手工業がみられるようになりました。


【長州藩では】

久賀の諸職用具 製塩用具 柳井市古市金屋伝統的建造物群保存地区

 藩の収入を安定させるため、江戸時代を通して、沿岸を埋めたてた大規模な開作が多くおこなわれました。
 塩田もたくさんつくられ、西廻り航路ができたのちは、塩は遠く北海道まで運ばれました。
 紙と櫨(蝋)の生産も積極的におしすすめられ、これら米・塩・紙・櫨は藩の重要な商品となり、防長四白とよばれています。  また、北浦地方を中心に捕鯨も盛んに行なわれました。


【関連する文化財】

  

名称 所在地
潮音洞 周南市
土手町南蛮樋 平生町
周防灘干拓遺跡 山陽小野田市・ 山口市
製塩用具 防府市
長門の捕鯨用具 長門市
早川家住宅 長門市
白須たたら製鉄遺跡 阿武町
大板山たたら製鉄遺跡 萩市
伊佐の売薬用具及び売薬関係史料 美祢市
長登の岩絵具製造用具及び製品 美祢市
久賀の諸職用具 周防大島町
菊屋家住宅 萩市
熊谷家住宅 萩市
柳井市古市金屋伝統的建造物群保存地区   柳井市
小田家の生活用具・商家資料・町家 柳井市
国森家住宅 柳井市
宝泉寺船絵馬群 萩市

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◇文化

 17世紀末、上方(京・大阪)を中心に、歌舞伎・人形浄瑠璃・浮世絵・俳諧などに代表される新しい文化がおこりました。それらを総称して元禄文化とよびます。
  18世紀の中ごろからは、江戸の町人を中心に、歌舞伎見物が盛んになり、錦絵が刷られ、川柳や狂歌がはやり、貸本屋が繁昌しました。こちらを化政文化とよびます。


【長州藩では】

幸若流舞之本(毛利吉就所持本) 鷺流狂言 切山歌舞伎

 毛利輝元は、雲谷等顔(うんこくとうがん)を御用絵師にとりたて、雪舟の画風をうけつぐ雲谷派の再興を行い、また、幸若舞の本の収集につとめています。このように、江戸時代の前期の文化は武家中心でした。
 後期になると、化政文化とよばれる中央の文化が地方に伝播し、長州藩でも、豪農や豪商、町人が文化の担い手となっています。


【関連する文化財】

  

名称  所在地 
萩焼古窯跡群 萩市
須佐唐津古窯跡群 萩市
幸若流舞之本 防府市
絹本墨画淡彩雪舟等楊像 山口市
花月楼 萩市
狩野芳崖筆板絵着色絵馬 下関市
ガラス絵 泰西風景図・長崎港図 山口市
島田人形浄瑠璃芝居 光市
熊毛町安田の 糸あやつり 人形芝居   周南市
徳地人形浄瑠璃 山口市
俵山女歌舞伎 長門市
切山歌舞伎 下松市
鷺流狂言 山口市

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