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長州藩/年表


西暦 和暦 徳川将軍 萩藩当主 長州藩 社会
1574 天正2   (輝元)    
1575 天正3       長篠の戦い
1576 天正4     足利義昭、鞆に下る 安土城なる
1577 天正5       秀吉が中国地方へ出陣
1578 天正6     市川元教、叛乱す  
1579 天正7        
1580 天正8       石山合戦終わる
1581 天正9        
1582 天正10     毛利氏、備中高松で秀吉軍と和睦 本能寺の変/山崎の戦い/太閤検地
1583 天正11       賤々岳の戦い
1584 天正12       小牧・長久手の戦い
1585 天正13       秀吉、関白となる
1586 天正14     長門国検地 秀吉、太政大臣となり、豊臣の姓を賜わる
1587 天正15     毛利氏、秀吉の九州平定に出兵 九州平定/バテレン追放令
1588 天正16     周防国検地 刀狩令、海賊取り締まり令
1589 天正17        
1590 天正18       小田原征伐、全国統一
1591 天正19       身分統制令
1592 文禄1     毛利氏、朝鮮へ出兵 文禄の役
1593 文禄2        
1594 文禄3        
1595 文禄4        
1596 慶長1        
1597 慶長2     毛利氏、朝鮮へ出兵 慶長の役
1598 慶長3       秀吉死去
1599 慶長4        
1600 慶長5   秀就 輝元隠退/萩藩・長府藩・岩国藩成立 関が原の戦い
1601 慶長6        
1602 慶長7        
1603 慶長8 家康     家康、征夷大将軍となり、江戸に幕府を開く
1604 慶長9     萩城築城開始/輝元入城  
1605 慶長10 秀忠   五郎太石事件  
1606 慶長11     萩城下諸士の宅地定める  
1607 慶長12     三井検地 第一回朝鮮通信使
1608 慶長13     萩城完成  
1609 慶長14       朝鮮と己酉約条
1610 慶長15        
1611 慶長16     秀就、萩城入城  
1612 慶長17        
1613 慶長18       伊達政宗、支倉常長を欧州に派遣
1614 慶長19       大阪冬の陣
1615 元和1     山口・岩国・長府の城破棄 大阪夏の陣/武家諸法度・一国一城令を制定
1616 元和2       家康死去
1617 元和3     下松藩(のち徳山藩)成立 第二回朝鮮通信使
1618 元和4     雲谷等顔死去  
1619 元和5        
1620 元和6       桂離宮築造
1621 元和7        
1622 元和8        
1623 元和9 家光      
1624 寛永1     寛永検地(熊野検地) 第三回朝鮮通信使/日光東照宮陽明門完成
1625 寛永2     一門以下諸臣の知行替を行う  
1626 寛永3        
1627 寛永4        
1628 寛永5     右田毛利・学館時観園創設  
1629 寛永6        
1630 寛永7       林羅山、学寮(昌平坂学問所の前身)建設
1631 寛永8     山代宰判で紙・楮(こうぞ)の貢納制度(請紙制度)はじまる  
1632 寛永9        
1633 寛永10     切支丹宗徒弾圧  
1634 寛永11        
1635 寛永12       日本人の海外渡航・帰国を厳禁
1636 寛永13       第四回朝鮮通信使
1637 寛永14       島原の乱
1638 寛永15     藩内の切支丹宗徒を捕らえ、また諸士に誓紙の提出を命じる  
1639 寛永16       ポルトガル人の居住と来航を禁ずる
1640 寛永17        
1641 寛永18        
1642 寛永19        
1643 寛永20       第五回朝鮮通信使
1644 正保1        
1645 正保2        
1646 正保3        
1647 正保4        
1648 慶安1     下松藩、城地を徳山へ移転  
1649 慶安2       慶安の触書を発す
1650 慶安3     行政区域として宰判を設ける  
1651 慶安4 家綱 綱広   由井正雪の乱
1652 承応1        
1653 承応2     清末藩成立  
1654 承応3       隠元、黄檗宗を伝える
1655 明暦1       第六回朝鮮通信使
1656 明暦2        
1657 明暦3       徳川光圀、「大日本史」編纂はじめる
1658 万治1        
1659 万治2        
1660 万治3     当家制法条々など、万治制法が定められる  
1661 寛文1        
1662 寛文2        
1663 寛文3        
1664 寛文4        
1665 寛文5        
1666 寛文6     徳地宰判で請紙制度  
1667 寛文7        
1668 寛文8     高泊開作築造  
1669 寛文9        
1670 寛文10       箱根用水できる
1671 寛文11        
1672 寛文12        
1673 延宝1     錦帯橋架橋 河村瑞賢、西廻り航路整備
1674 延宝2        
1675 延宝3        
1676 延宝4        
1677 延宝5     初めて藩札(銀札)発行  
1678 延宝6        
1679 延宝7        
1680 延宝8 綱吉      
1681 天和1        
1682 天和2   吉就 綱広隠退 第七回朝鮮通信使
1683 天和3        
1684 貞享1        
1685 貞享2       生類憐れみの令
1686 貞享3     貞享検地  
1687 貞享4        
1688 元禄1       柳沢吉保、側用人になる
1689 元禄2     綱広死去  
1690 元禄3       湯島聖堂落成
1691 元禄4        
1692 元禄5        
1693 元禄6        
1694 元禄7   吉広 吉就急逝  
1695 元禄8     宇部・常磐池築造  
1696 元禄9     三田尻開作築造竣工  
1697 元禄10        
1698 元禄11        
1699 元禄12        
1700 元禄13        
1701 元禄14        
1702 元禄15       赤穂浪士の仇討
1703 元禄16       近松門左衛門「曽根崎心中」
1704 宝永1        
1705 宝永2        
1706 宝永3        
1707 宝永4   吉元 吉広卒去 幕府による諸藩の藩札停止
1708 宝永5        
1709 宝永6 家宣     間部詮房・新井白石登用
1710 宝永7        
1711 正徳1       第八回朝鮮通信使
1712 正徳2        
1713 正徳3 家継      
1714 正徳4        
1715 正徳5     万役山事件 長崎貿易制限令
1716 享保1 吉宗   徳山藩改易 享保の改革はじまる
1717 享保2       大岡忠相を江戸町奉行に登用
1718 享保3     清末藩中絶  
1719 享保4     明倫館創設/徳山藩再興 第九回朝鮮通信使
1720 享保5       江戸町火消いろは45組創設
1721 享保6       目安箱を置く
1722 享保7       上米の制を定める
1723 享保8       足高の制を定める
1724 享保9        
1725 享保10        
1726 享保11     「萩藩閥閲録」完成  
1727 享保12        
1728 享保13        
1729 享保14     清末藩再興  
1730 享保15     藩札(銀札)通用再開。札座設ける  
1731 享保16   宗広 吉元卒去  
1732 享保17     享保の虫枯れ 享保の大飢饉
1733 享保18        
1734 享保19        
1735 享保20     益田氏・育英館創設  
1736 元文1        
1737 元文2        
1738 元文3        
1739 元文4     銀札通用禁止  
1740 元文5        
1741 寛保1        
1742 寛保2       公事方御定書できる
1743 寛保3        
1744 延享1     櫨(ハゼ)・蝋(ロウ)の専売制実施  
1745 延享2 家重      
1746 延享3        
1747 延享4        
1748 寛延1       第十回朝鮮通信使/竹田出雲「仮名手本忠臣蔵」初演
1749 寛延2        
1750 寛延3        
1751 宝暦1   重就 吉就卒去/大阪質米切手訴訟事件  
1752 宝暦2        
1753 宝暦3     阿川毛利・時習館創設  
1754 宝暦4       初めての死体解剖を山脇東洋が行う
1755 宝暦5        
1756 宝暦6        
1757 宝暦7     銀札通用再開  
1758 宝暦8     東洋門下の栗山孝庵、日本で三番目の刑死体の解剖を行う  
1759 宝暦9     宝暦の改革/栗山孝庵、日本で初めての女性の刑死体の解剖を行う 山脇東洋、日本最初の解剖図誌「蔵志」刊行
1760 宝暦10 家治      
1761 宝暦11     宝暦検地  
1762 宝暦12        
1763 宝暦13     撫育方設置  
1764 明和1       第十一回朝鮮通信使
1765 明和2     鶴浜開作築造  
1766 明和3     幕府より美濃・伊勢の堤防普請を命ぜられる  
1767 明和4     大浜開作築造 田沼意次、側用人に/明和事件
1768 明和5        
1769 明和6        
1770 明和7        
1771 明和8     塩の生産調整を行う休浜同盟成立  
1772 安永1        
1773 安永2        
1774 安永3     「防長古器考」できる 「解体新書」出版
1775 安永4        
1776 安永5        
1777 安永6        
1778 安永7        
1779 安永8        
1780 安永9        
1781 天明1        
1782 天明2   治親 重就隠居 天明の飢饉/群書類従編纂はじまる
1783 天明3        
1784 天明4     若島座、萩城内で上演  
1785 天明5     徳山・鳳鳴館創設  
1786 天明6        
1787 天明7 家斉   清末・育英館創設 松平定信、筆頭老中となる
1788 天明8        
1789 寛政1     重就卒去 奢侈禁令・棄捐令
1790 寛政2     陸奥白河藩へ三田尻塩輸出 寛政異学の禁
1791 寛政3   斉房 治親卒去  
1792 寛政4     長府・敬業館創設 ロシア使節ラクスマン、大黒屋光太夫を連れ、通商を請う
1793 寛政5       定信失脚、家斉の大御所時代はじまる
1794 寛政6        
1795 寛政7        
1796 寛政8        
1797 寛政9        
1798 寛政10       本居宣長「古事記伝」できる
1799 寛政11        
1800 寛政12     三田尻塩が蝦夷地の用塩として幕府に買い上げ 伊能忠敬、全国測量開始
1801 享和1     厚狭毛利・郷学朝陽館創設  
1802 享和2        
1803 享和3        
1804 文化1       ロシア使節レザノフ、通商要求
1805 文化2     吉敷毛利・郷学憲章館創設  
1806 文化3     伊能忠敬、測量を行う  
1807 文化4     宍戸氏、郷学徳修館創設  
1808 文化5        
1809 文化6   斉熙 斉房卒去 間宮林蔵、間宮海峡発見
1810 文化7        
1811 文化8       第十二回朝鮮通信使(易地行礼)
1812 文化9        
1813 文化10        
1814 文化11     大野毛利・弘道館創設  
1815 文化12     上田鳳陽・山口講堂創設  
1816 文化13       伊能忠敬、測量終える
1817 文化14        
1818 文政1        
1819 文政2        
1820 文政3        
1821 文政4        
1822 文政5        
1823 文政6        
1824 文政7   斉元 斉熙隠居  
1825 文政8       異国船打払令
1826 文政9        
1827 文政10       頼山陽「日本外史」できる
1828 文政11     狩野芳崖生まれる(~1888)  
1829 文政12     物産会所設置  
1830 天保1        
1831 天保2     天保の大一揆  
1832 天保3     負債八万貫に達する/一揆の首謀者処罰  
1833 天保4       天保の飢饉
1834 天保5        
1835 天保6        
1836 天保7   斉広 斉熙卒去/斉元急逝/斉広急逝  
1837 天保8 家慶 敬親   大塩平八郎の乱/モリソン号事件
1838 天保9        
1839 天保10        
1840 天保11     天保の改革/医学所設置  
1841 天保12     風土注進案作成着手 水野忠邦、天保の改革/高島秋帆、西洋砲術演習
1842 天保13       天保の薪水給与令
1843 天保14     羽賀台大演習 上知令
1844 弘化1        
1845 弘化2        
1846 弘化3        
1847 弘化4     厚狭古開作築立  
1848 嘉永1     (この頃より各地で寺小屋開設急増)  
1849 嘉永2     明倫館再興  
1850 嘉永3       佐賀藩、反射炉築造開始
1851 嘉永4        
1852 嘉永5        
1853 嘉永6 家定      
1854 安政1       米・英・露と和親条約
1855 安政2     西洋学所開設 薩摩藩が外輪蒸気船試運転
1856 安政3        
1857 安政4        
1858 安政5 家茂   萩反射炉築く 米・蘭・露・英・仏と修好通商条約
1859 安政6       安政の大獄激化
1860 万延1     山口講習堂・三田尻越氏塾を藩学に準ず 咸臨丸、太平洋横断/桜田門外の変
1861 文久1     航海遠略説を藩是に  
1862 文久2     航海遠略説を却下 坂下門外の変/家茂と皇女和宮の婚儀
1863 文久3     馬関海峡で外国船に砲撃 八月十八日の政変
1864 元治1     外国連合艦隊、下関を砲撃 禁門の変/第一次長州征伐
1865 慶応1     武備恭順にかたまる 英公使パークス着任
1866 慶応2 慶喜   第二次長州征伐 将軍家茂死去のため長州征伐中止
1867 慶応3     討幕軍出発 大政奉還/王政復古の大号令/パリ万国博覧会
1868 明治1       戊辰戦争/五箇条の御誓文/神仏分離令
1869 明治2   元徳 敬親隠居、元徳・藩知事に 戊辰戦争終結/版籍奉還
1870 明治3     脱隊騒動 平民に苗字をゆるす
1871 明治4     敬親卒去/中野梧一(初代県令)就任 廃藩置県

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