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2019/03/05 【ニュース】新規登録の有形文化財(建造物)―松室大橋―

 今年度、新たに登録された建物の内容を、詳しく掘り下げてお伝えする「新規登録の有形文化財(建造物)」。今回紹介するのは、松室(まつむろ)大橋です。

 松室大橋は、錦川の上流部、現在の菅野(すがの)ダムの北側に架かっています(右の地図)。少し入り組んだ場所に位置していますが、橋の本体が赤色に塗られているので、近くまで行けば、すぐに見つけることができます。

 松室大橋は、長さ約41m、幅約4m、「トラス」という三角形を組み合わせた構造を用いた、鉄(正確には鋼)の橋です(右の写真)。

 ①鋼製の単純トラス橋(橋脚が二つしかない橋)、②最初に建てられた場所から移動していない、③今でも車が通れる、という三つの条件を満たした橋としては、現在知られているもののうち日本最古の橋です。
 車が通る橋(車道橋)は、より重い車がより安全に通れるよう、時代の変遷とともに幅が広く頑丈な構造のものに架け替えられる傾向にあります。こうしたなか、現在まで残った数少ない事例が松室大橋です。大正期から現在まで、現役の橋として利用されてきましたが、架け替えはもちろん、構造を変えるような改修も行われておらず、架橋当時の様子をよく残しています。

 橋の西のたもとには、「大正九年十一月 日本橋梁株式會社 製作 大阪」と鋳出された橋銘板が掲げられています(左の写真)。この銘板から、日本橋梁株式會社によって、大正9年(1920)に建設されたことが分かります。
 ちなみに、建設を担当した日本橋梁株式會社の創立者である岩井勝次郎(いわいかつじろう)は、周南市に本店を置く株式会社トクヤマの前身である日本曹達(にほんソーダ)工業株式会社の創設者です。周南市ゆかりの人物が関わった会社が周南市内に建てた橋、ということになります。

 松室大橋は、建設後、大きな改修を受けていません。そのうえ、比較的小さな橋のため、建設当初に用いられた技術を間近に観察することができます。整美な切石を用いた橋脚も美しいのですが、一番の見どころは、鋼材をつなぐため、びっしりと打たれたリベットでしょう(左の写真:半円状に丸く飛び出した部分)。
 リベットを使って鋼材をつなぐ方法は、鋼橋を建築する際に用いられた技術です。日本では明治時代から利用されており、腐食に強い、つなげた場所が変形したり、火災に遭ったりしても強度が落ちにくいなど、現在の技術と比較しても、優れた性能を持っています。
 しかし、施工に熟練技術を要する、施工時の騒音が激しいなど弱点も多く、昭和40年(1965)頃から高力ボルトや溶接接合に取って替わられました。現在では、ごく限られた用途で使用されているにすぎません。

 ここで、松室大橋に使われている「リベット接合」の技術について簡単に紹介しましょう。
 橋梁で使われている「リベット接合」の原理や手順は単純で、時代による変化もほとんどありません(左の図)。
 まず、つなぎ合わせたい場所に穴を開けます。次に、リベットを赤くなるまで熱します。リベットを素早く穴に差し込み、先端をリベットハンマーで丸く叩き潰します。その後、自然に冷却するのを待ちます。冷えるとき、リベットが縮むため、より強固につなぎ合わされます。

 原理や手順は単純ですが、施工の際、加熱時間や温度の管理、リベットの長さの調整、リベットハンマーでの的確な整形など、一つ一つの工程を確実にこなさないと施工できません。しかも、作業の大半には、経験に基づく「勘」や「慣れ」が必要とされています。そのかわり、うまく仕上がれば、最新の技術でも再現困難な性能を発揮します。
 見た目は地味かもしれませんが、無数のリベット一つ一つに職人の「技」が込められているといってもよいでしょう。

 現地で見て、触れて、大正時代の「技」を体感するのはいかがでしょうか。 (ι)



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